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アップロード、ヒトミさんの場合(4)

願い事は叶わないと思っていたし


 日曜日、ヒトミさんの夫は店の常連さんたちとテニスクラブへ出掛ける。それはもう長いこと習慣となっていて、雨の日以外、休みの日に夫婦で一緒に過ごすことはほとんどなかった。
 夫の店の客だったヒトミさんは、夫と結婚してから会社勤めをやめ、夫に請われてしばらく夫の店を手伝っていたのだけれど、案外ヒトミさんが接客業に向いていることが判明して常連客が増え始めた頃、夫がここは自分の店だから俺のやり方でやりたいと、ヒトミさんが人気者になっていくのを嫌い始めた。
   
 ちょうどその少し前から、ヒトミさんの両親が体調を崩していたので、ヒトミさんは夫の店を手伝うのをやめ、月に一度は九州へ帰り、両親の介護をし、行ったり来たり、不安な時期を過ごしていた。
 結婚前に貯めていたお金は、両親の元へ通う飛行機代や生活費に消えていき、夫に生活費を渡してほしいと頼んでも、家賃や光熱費を払ってやってるだろう、それが生活費だと言い放つ夫とは、価値観の違いが明らかになるばかりで、母親が亡くなったあと、父親が亡くなるまでは定職に就くことは諦めようと腹を括り、週末だけのアルバイトで何とか自分の年金を払ったり食料品を買ったりしていた。
   
 ヒトミさんの夫は閉店作業を従業員に任せるから、だいたい十時頃には家に帰って来たが、ヒトミさんの話を聞くでもなく、ただテレビを観て、お酒を飲み、テニス仲間でもある常連客たちの悪口を言い、ヒトミさんの作った料理を食べ残した。
   
 ヒトミさんの夫は、ヒトミさんの母親が危篤の際に、前から決まっていたことだからと常連客たちとテニス合宿へ行き、母親が亡くなってから葬儀にやって来た。父親の葬儀の際には、お前はこれで天涯孤独だなと、涼しい顔で言ってのけた。

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 ヒトミさん夫婦の家には誰も来なかった。近くに住む夫の両親さえ来なかった。ヒトミさんの義理の両親は、一人息子の嫁のヒトミさんにとても良くしてくれ、ヒトミさんの両親の病気のことを気にかけてくれた。母が亡くなったときも父が亡くなったときも、夫の代わりに慰めてくれた。
 
 ヒトミさんは時々、一人で夫の実家へ行き、掃除や片付けや料理を手伝った。息子に遠慮して頼めないようなことを二人はヒトミさんに頼み、病院への付き添いもした。ヒトミさんは自分の存在意義をそこでしか確かめられず、義理の両親の生活の面倒を見ることは、少なからずヒトミさんの楽しみでもあった。
   
 しかしヒトミさんが逃げ出して、義母に電話で状況を伝えたとき、動揺した義母は、今まで黙っていた息子の秘密をぽろりとこぼした。義母の息子、ヒトミさんの夫の最初の結婚が、妻への暴力で終わったのだと教えてくれたのだ。ヒトミさんの夫の前妻は階段から突き落とされ、手や足を複雑骨折したという。それを聞いて、ヒトミさんの身はすくみ上がった。
   
 電話口で義母が、暴力を振るわれたの? と小さな声で心配そうに聞いたとき、すぐに電話を代わった義父が、息子を怒らせたのかとヒトミさんに聞いた。前の結婚のときの事件については、息子を怒らせたあっちも悪かったのだと言った。その瞬間、この人たちを頼れないとヒトミさんは悟った。

 自宅にいると不機嫌な顔しか見せない夫が、ヒトミさんに対して怒鳴ることしかしない夫が、店では笑顔を振りまいて、傍からは感じのいい人として生きている。ヒトミさんにとっても彼は、結婚するまでとても感じのいい人だった。

 五年に及んだ結婚生活で、ヒトミさんはすっかり言葉を失ってしまっていた。永遠に届かない言葉を発し続けたせいで、本当の自分の声すら忘れてしまった。母親が亡くなり、すぐあとに父親も亡くなり、喪失感の連続の中、心を寄せるということを知らない夫に労わられることもなく、ただ日々、何かを失い続けていた。
 
 夫の人生にもいろいろあって、たくさん傷つくことがあったのかもしれない。こんな風になってしまったのには原因があるのだろうと、夫の言動の裏にあるものを理解しようと努めていたヒトミさんだったが、そんなことはいつしかやめてしまった。例え一つ一つの言動に、きちんと理由があったとしても、ヒトミさんにとっては不可解でしかなかったからだ。
 
 そしてある日、声が聞こえたのだ。
「あなたは怒鳴られるために生まれて来たんじゃない」
 その声は、何度も何度もヒトミさんに囁き続け、ヒトミさんに一筋の光を与えた。その光は、暗闇の中、おぼろげに道を示した。その道は西へ向かっていた。

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「ヒトミちゃん、ごはん出来たで」
 客間に寝転がってぼんやりしていたヒトミさんは、伯母の声で我に返る。食卓には料理自慢の伯母の手料理が並んでいる。
「やっと一人暮らしに馴れて一人分の料理作るんにも馴れたとこやのに、この子帰って来てなーんもせーへんし、おばちゃん疲れてんで」
 そう言いながらも伯母は楽しそうで、いそいそと素敵なグラスにビールを注いでくれる。
 
 ヒトミさんは、伯母から料理を習ったといっても過言ではない。伯母は料理だけでなく、器も大好きで、毎日晩酌を楽しんでいた旦那さんのために、まるで小料理屋のような盛り付けで、毎夜見事に食卓を彩っていた。伯父さんを見送ってからの伯母の憔悴ぶりは見ていて辛かったが、伯母は立ち直った。
 
 ヒトミさんはその夜、高熱を出した。温かい家族の団らんが、ヒトミさんに安らぎを与えたのだろう。その安心感から、溜まっていたものが噴き出すように、ヒトミさんの熱は三日間下がらなかった。
 そんなヒトミさんに伯母も従妹もただ優しく、うんと柔らかいティッシュを枕元に置いてくれたり、眠り続けるヒトミさんを起こさないようリビングのテレビもつけず、二人は小声で話し、やっと起き上がれるようになった四日目、従妹が大きなケーキを買ってきてくれた。
 
 その日は、ヒトミさんの誕生日だった。
「さすがに五十二本ものロウソクはようもらわれへんかってん」
 従妹が笑いながら、大きなロウソク一本と、小さなロウソクを二本立てたバースデーケーキをヒトミさんの前に置き、火をつけてから、「願い事し」と電気を消した。
 
 ヒトミさんは、あまり願い事をしたことがない。願い事は叶わないと思っていたし、もし叶っても、代償として何かが失われるのだと思っていた。でもいまは、素敵なケーキに向かって、どうか幸せになれますようにと素直に願った。
 
 ロウソクを吹き消し、伯母の作ってくれたご馳走を食べながら、「こんなん子どものとき以来やなあ」と言う従妹と、遙か遠く過ぎ去った日々の楽しい思い出を語り合う。それはまるで子どもの頃に戻ったような幸せなひとときだった。伯母は夫を亡くし、従妹は夫と別れ、ヒトミさんは夫から逃げ出している。こんな状況のなか、ヒトミさんにとってそれは奇跡のように嬉しい夜だった。

 熱が下がって起き上がれるようになると、伯母や従妹の通常の生活を乱している気がして申し訳なくなってきて、そろそろ動かないといけないとヒトミさんは思った。まだ咳が止まらない風邪の後期ではあったけれど、何となく、神戸へ行ってみようという気になった。
 
 三ノ宮駅は、思っていたほどの人混みではなかったけれど、若い頃によく行った高架下の商店街は健在だった。ヒトミさんは若者向けのお洒落なカフェでパニーニを食べ、カフェラテを飲み、気分を良くして駅前の不動産屋の貼り紙を見て回った。いつかはどこかへ落ち着かないといけないと考えたとき、伯母や従妹の近くに住めたらいいなあと思ったのだ。
 
 もう東京には住めないだろう。良い思い出があったとしても、いまは悪い面ばかりが浮上してくる。神戸の物件は、東京のそれより格段に安かったけれど、ヒトミさんの貯金はほぼ無いに等しかったし、ちゃんとした仕事をもう何年もしていないし、第一、まだ離婚調停を申し立てたばかり。第一回目の調停の期日がやっと決まり、一カ月半後には東京に戻らなければならない。
   
  でも、とヒトミさんは一人ごちる。少しだけ、新しい暮らしの片鱗を夢見ることだけはしてもいいのかもしれない。そう考えて、良さそうな物件の貼り出してある不動産屋の店内へ、静かにするりと入って行った。

オレンジ〇




文章 日向寺美玖
装画 アトリエ藻っくん


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