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アップロード、ヒトミさんの場合(3)

「迷ったんかあ?」


 新大阪駅から地下鉄に乗り換え、着いた駅で、ヒトミさんはお茶漬け屋へ入る。だしの効いた鮭茶漬けを食べてホッとする。それから伯母の家に向かうバス乗り場を探してふらふらとロータリーを彷徨い、やっと知っている地名の入ったバス停を見つけ、よっこらっしょっとベンチに座る。

 すると隣に座っていたおばあさんが、「墓地に行くのはこのバスでええん?」と聞いてきたので、ヒトミさんはバスの路線図を見て確認してから、「ええみたいです」と答える。安心したおばあさんが、「飴ちゃん食べるか?」と飴を一つくれたので、飴ちゃん文化が健在なことに喜んだヒトミさんは、大阪弁のイントネーションで、「ありがとう」とお礼を言う。
 
 月に一度おじいさんのお墓参りに行くというおばあさんは、毎月、バス乗り場で迷うのだという。「もう来んでええゆうことかいな」「でもな、病院行くほか行くとこないねん」。そう言って笑うおばあさんは、すでにヒトミさんが飴を舐め終えてしまっていることに気づき、「もう一個あげるな」とバッグの中を探っていたところにバスが来て、順番に乗ったあと、バスが動き出すまでの間に飴を探し出したおばあさんは、ヒトミさんが座った席まで飴と笑顔を持って来てくれた。墓地前のバス停で降りる際に、おばあさんはヒトミさんを振り返り、手を振ってから降りて行った。
 
 大阪の伯母は、ヒトミさんの亡くなった母の姉である。ヒトミさんの母は身体が弱かったので、ヒトミさんは子どもの頃、夏休みや春休みになると、よく伯母の家に預けられていた。伯母には娘が一人いて、一つ年上の従妹は、同じ一人っ子のヒトミさんにとって姉のような憧れの存在だった。いつも素敵な服を着て、洗練された仕草の従妹の言動は眩しくて、子どもの頃のヒトミさんには少し遠い存在のようにも思えていた。
 
 いま、伯母の家には、その従妹が帰って来ているという。ヒトミさんの窮状を知った伯母は、「ほんのタッチの差やってん」と言ったあと、従妹が離婚して帰って来ていることを教えてくれた。電話口で、「あの子が帰ってこんかったら住む部屋あってんけどなあ」と言うので、ヒトミさんは、大丈夫、ほんの一週間くらい泊めてもらえればとお願いした。
 
 数年ぶりに、伯母の家の最寄りのバス停で降りると、数年前に、母親と二人でバスを待っていた日のことが思い出された。伯母の大切な旦那さんが亡くなって、そのお葬式のために訪れたとき、ヒトミさんの母はまだ何とか元気だった。憔悴する伯母を一人にはしておけないと、ヒトミさんの母はしばらく伯母の家に泊まることになっていて、東京へ帰るヒトミさんをバス停まで送って来たヒトミさんの母は、「腰が痛いとよ」と言った。

 それがガンの再発のサインだったことにあとで気づいたヒトミさんは、何としてもあのときのこのバス停に戻りたいと何年も願っていた。東京での暮らしに何があったというのだろう。始まったばかりの残念な結婚生活と、孤独を紛らわせる都会の雑踏。そんなものより大事だったのは母だったのに。
 ヒトミさんの後悔は、いままた胸を締めつけ、ヒトミさんをバス停に縛りつける。ヒトミさんは目を瞑り、横に母親がいる光景を思い出す。時を溯る。幹線道路の騒音が消えてゆく。「腰が痛いとよ」と母が言う。ヒトミさんは東京へ帰ることをやめる。母親と一緒に実家へ戻り、母親を病院へ連れて行く。そしてずっとそこで暮らす。そして……。

 どれくらい座っていただろう。到着予定時刻を過ぎてもなかなか現れないヒトミさんを心配した伯母からの電話が鳴り、ヒトミさんは現実に引き戻される。そして努めて明るく、「いま着いたあ」と伯母に言う。

 ゴロゴロとキャリーケースを転がしながら、伯母の住む巨大なマンションへ辿り着くと、あれ? どこだっけと入口がわからない。子どもの頃から来ているはずなのに、入口を見失ったヒトミさんは、伯母に電話をして「どっから入るんだっけ」と聞くと、伯母はコロコロ笑いながら、ヒトミさんが間違った小径から敷地内に入ってしまっていることを教えてくれた。ようやく部屋の前まで辿り着くと、チャイムを押す前に、玄関のドアが開いた。
「迷ったんかあ?」
懐かしい従妹の笑顔がヒトミさんを迎えてくれた。

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「なんでそんな男と結婚したん?」と従妹が聞く。
 ヒトミさんは答えられない。
「バツイチなんやろ? 前の離婚原因はなんやったん?」
「うーん、お店を出すことで意見が合わなかったらしい」
「なんの店やった?」
「お酒も出す飲食店」
「料理人?」
「ううん、料理人を雇って自分は接客」
「東京で店出すなんてお金あるんやなあ」
「うーん、ご両親の援助があるから」
「年はいくつなん?」
「私と同い年」
「ええ年やんかあ、そりゃええご身分やなあ」
 従妹とヒトミさんの会話を聞いていた伯母が、
「でも付きおうてるときは優しかってんやろ。結婚したら豹変する男っておんねんで」と言う。
 
 そう、ヒトミさんの夫の態度が急変したのは入籍した日からだ。忘れもしない、他人から家族になった日からだ。
「いまは我慢せんでいい時代やからな」と従妹が言う。
「せやけど逃げなあかんのはしんどいなあ」と伯母が言う。
 
 従妹は、私らは卒婚やねんと言い、長女が結婚して長男が就職したのを機に別れたのだと教えてくれた。来年には孫が出来るという従妹にびっくりしながら、ヒトミさんは自分が何もつくり出していないということに改めて気づく。

「あんたの前の旦那さんはええ人やったのになあ」と伯母が言う。
 そうなのだ、ヒトミさんも前に一度結婚していた。そのええ人は、結婚三周年の旅行先の海で、波にさらわれて死んでしまった。ヒトミさんの大切な人は、ヒトミさんの目の前で海に消えてしまったので、ヒトミさんは三年くらい海を見ることが出来なかったけれど、十年後には別の海で、ボーイフレンドとサーフボードに乗れるくらいにはなっていた。
 
 人間には忘れる権利があり、そうすることで生きてゆく種族なのかもしれないけれど、忘れることは義務ではなく、どうしても忘れられないことはある。ヒトミさんの心の奥底に、自分だけが生き残ってしまったという罪悪感と、死んでしまった人を美化してしまう癖が残った。それらをずっと心の内に抱え、ヒトミさんは恋愛というものを繰り返したけれど、ねえ、どうしてそんな男なの? と友人たちはいつもヒトミさんの恋人たちに眉をひそめ、幸せならばいいけれど、と遠くから見つめてくれていた。そんな中、ヒトミさんはまた結婚してしまった。ヒトミさんは辛うじて、結婚はするものだと思ってしまう世代だったからだ。
 
 でも少し、おかしいなとは思っていたのだ。結婚する前から。夫の気分の変動の仕方と言動が。
 時々、ふいに理不尽な怒りがヒトミさんに向けられることがあり、え? と違和感を覚える寸前に、その怒りは巧妙に隠されて存在しなかったような体を装うので、ヒトミさんはそれを気のせいだと前向きに捉えた。夫は普段とても人当りのいい人だったから、小さな飲食店を経営していることもあり、接客業の人はそういうものかとヒトミさんは思っていた。相手の欠点を知っても、自分だって大した人間ではない、欠点だらけの人間なんだからという意識が、小さな違和感を見過ごすようヒトミさんに命令したのかもしれない。
 
 結婚したばかりの頃、一緒に出掛けた先の地下鉄の駅で、夫に急かされたヒトミさんが駅の階段から転げ落ちてしまったことがある。地面にうずくまるヒトミさんを見て、夫は助け起こそうともせずに、ゲラゲラと笑い出した。心の底から可笑しそうに笑っている夫の姿を見て、ヒトミさんは思わずゾッとした。そんなヒトミさんを、通りがかりの黒いスーツ姿の女性が助け起こしてくれて、ヒトミさんの耳元で、「あの男から早く離れて」と言った。その見知らぬ女性は、とても真剣な眼差しでヒトミさんを心配してくれたのに、あのときのヒトミさんは、その言葉の意味がわからなかった。女性へのお礼もそこそこに、夫の機嫌が悪くならないうちにと、ヒトミさんは急いで立ち上がって歩き出した。

 ヒトミさんの夫の店で雇われていた若い料理人の男の子が、どうしても夫に違和感を覚え、何度かヒトミさんに相談してきたこともある。ヒトミさんは、夫の店と同じ商店街にある顔馴染みの女性が営むレストランで週末だけアルバイトをしていたのだが、夫の店は日曜日が休みなので、その男の子が日曜日によくレストランに来るようになった。真っ直ぐな心を持った若い彼は、あの人はおかしいです、別れた方がいいと思いますと、まるで母を想う息子のようにヒトミさんの身を案じてくれていたが、ヒトミさんがうにゃうにゃと胡麻化しているうちに、男の子は夫の店を辞めて町からいなくなった。
 それからも従業員は次々と入れ替わり、夫の店は、常に従業員募集をしている店になった。

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文章 日向寺美玖
装画 アトリエ藻っくん

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