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2024/2/23「器の大きい人ってどんな人?」レポ

今日は、7名定員でタカテツ初参加の方が6名という、大変珍しい会でした。いつもは、常連さんと初参加の方が半分くらいの割合で、どんな方が参加されるかわからないので、少し緊張しました。
初参加の方は、東京新聞の記事を見ていらした方が多く、有難い限りです。

さて、今回のテーマは、先月のオンライン哲学対話で「うすっぺらい人ってどんな人?」のテーマの時に、うすっぺらい人の対極は「器の大きい人なのでは?」という流れになり、「じゃあ、器の大きい人ってどんな人なのか」を考えよう、と思い、設定しました。

【アイスブレイク】
はじめに、アイスブレイクとして、「1分でアヒルを作る」を実施しました。
もちろん、みなさん、違うものが出来上がりました。
「同じ6コのブロックを使ったけれど、全然違うものが出来上がりましたね、哲学対話も同じで、答えは一つではありません。皆さんが違う考えを持っているということを知り、自分との違いを感じることが大事です。」と、レゴ®シリアスプレイ®と哲学対話の親和性について説明しました。

8人8色

【対話】
・器が大きい人は、何でもウェルカムで受け入れてくれるイメージ。一方で無関心な面もあると思う。
→無関心とは、干渉しないことですか?
→そうですね、あまりくっつかずに、離れている感じです。
・執着がないということだと思う。
・度量が大きい、包容力があるイメージ。小さいことには動じない感じ。
・許す人、許せる範囲が広い人だと思う。
・どうして、器が大きい人と感じるのか。実際に会って話さないとわからないのではないか?
→テレビや本を通じても、器が大きいと感じることはある。
・みなさんが、今まで出会った「器の大きい人」は、具体的にどんなことろで器の大きさを感じましたか?
・正直、いままでそのような人に会ったことはない。テレビを見て、すごい人だ。と思ったことはある。
・自分と比較して、同い年なのにスゴイなどと感じることはある。
・具体的には、赤ちゃんと老人(認知症がある、自身の母)の言動で、器の大きさを感じることがある。場をなごませる力などがある。
→両者に共通するのは、欲がないことなのでは?
・自分のことだけを考えるのではなく、他者や社会のことに目を向けている人が器の大きい人なのでは?
・自分の生き方を持っている人が器の大きい人では?
・器が大きいかどうかは、他者が評価することである。
・死が近づくと、許しの心が出てくると聞いたことがある。もしかしたら、老人はそのような意味で器が大きいのかもしれない。
・自分でコントロールすることができないことを許容することでは?
・世の中がよくなるように、自分の欲を捨て他者のために生きている人。
・正反対の意見ですが、自分のやりたいこと、自分の役割をやりきる、達成しようと思って、周りの人を巻き込んでいく人が器の大きい人なのでは?
・欲がない人と、自分のやりたいこと、役割をやり切る人は、両極端に居るが、その両極が器の大きい人かも。
・赤ちゃんは、まさに自分のやりたいことだけを表現する側にいる、でもそれで周りの人を巻き込む力がある。
・子どもは、欲求がとても多いけれど、実は大人のことを見て、分かっていると思う。
・自分のやりたいことをやる、という意味は、志を持って共感を集めて行動を起こすということ。ただ単に欲求を満たすだけではいけない。

【まとめ】
わたしが当初考えていたのは「許せる人」が器の大きい人である。ということです。しかし、今回の対話では様々な角度から意見が出てきました。最終的には、欲について両極にある(欲がない生き方⇔欲をもって、やり切る生き方)人が、器の大きい人なのでは?と収束していき、妙に納得しました。
今日は、とっても寒く、店内暖房をつけても、うすら寒かったですが、みなさんの暖かい雰囲気でよい対話ができたと思います。

ご参加いただいたみなさま、どうもありがとうございました!

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