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許すことは出来なかったけど…


「許して欲しい」



義父が言った言葉は一生忘れない。


※  ※  ※  ※  ※



彼岸を前にご先祖様が眠るお墓に立ち寄った。
お花とビールと饅頭を持って。

近くには商業施設や公共施設があり、自宅からは車で15分ほどのところ。
そこからさらに5分ほど行くと義母のいる施設に着く。

このお墓には義父が旅立ってから、わりと頻繁に来るようになった。それまでは義母の両親が眠るだけのお墓だったので、彼岸や盆正月の行事に来る程度。
義父母の管理下という感覚でいたし、仏壇に手を合わせても、お墓まではなかなか足を運ぶことはなかった。

最近になって相談事や報告したい事がある時には自然と足が向くようになった。
仏壇じまい、実家の処分、長男の結婚、末っ子の就職、娘の再スタートなど…
嬉しいことから義母の困り事まで。

コロナ禍で人に会えないのもあるのだろうか・・・気になっていることでもここに来れば、何とかなりそうな感覚を得られる。不思議と気持ちの整理ができるようになった。

☆   ☆   ☆   ☆


生前、私と義父の関係は良好ではなかった…というより、
間に立つ義母がややこしくしていた…というのが正しいのかもしれない。

気に入らない嫁
息子を牛耳る嫁
可愛げのない嫁
生意気な嫁

全ては義母から発せられる言葉を義父は鵜呑みにしていた。
夫がどんなに言葉を尽くしても私が意思ある行動を示しても溝は深くなるばかりだった。

義父からしてみれば、私は
ひとりの人間というより、
〇〇家の嫁、息子についてる付属品という扱い。


義母というフィルターを通して、私という人間を見ていたから。

出世まで果たし、定年まで立派に勤め上げた義父。

仕事ぶりまでは知らないが、家の中での義父は周りにイエスマンだけを置く裸の王様だった。義母はそれを上手に利用していたのだ。

そんな家族の関係性に次第にストレスを感じ、自分の育った家庭環境と違うことに疑問を持つようになった。義両親に夫の意見は通用しない。全て義父母の思い通りに進んでいった。
言っても何も変わらないし、尊重してもらえない。

結婚している息子家族のことまで干渉してくるなんてあり得ない!

これって、おかしくない?
夫との口論は絶えなかった。

無駄な抵抗だと分かっていたけど、義父母の住むこの地に越してこなければならなくなったことを機に私は自分の意見を言うようにした。

自分の気持ちを吐き出すことでギリギリのところで踏ん張っていられた。

自分たちの領域にまで介入してほしくなかっただけ。

嫌な事は嫌だと言うようにしただけ。

風当たりはどんどん強くなる一方。

「嫁の分際で‼️」

と、私に怒りを爆発💥した。

「嫁ひとり、言うことを聞かせることが出来んのか!」と孫の前でも容赦なく夫に拳を振り上げることもあった義父。

そこで

「もう喧嘩はやめて!」と、義母が止めに入る。


私に対する不満からシナリオは作られる。嫁を悪役にすれば良いだけの陳腐なもの。事の始まりを作る義母が正義のミカタになるように設定される。物語の最後はいつも自分にスポットライトが当たるように。


そんな茶番を演じていた義母の言動に義父が疑問を感じるようになったのは自身が病に倒れてから。体調を崩してから、自分が作ってきた場所が思っていたのと違うことにようやく気付くのだ。



私が義両親との距離を置くようになって随分と月日が経っていた。
その頃は夫も両親のもとに行けなくなるほど、
疲れ切っていた。
眠れないでいた。

常に母親の言動に振り回されていた。

お見舞いにも母親と顔を合わせなくていい時間帯を選んでいたほど。

義父が転院を繰り返し、
最期を迎えることになる緩和ケア病棟に入院してからのこと。


夫から
「親父がankoに会いたがっている」


義父との時間もあと僅かだろうという事も感じていた。
自分の気持ちに正直でいようと思っていたし、夫からそう言われた時は、わりとすんなりとその言葉を受け入れることが出来た。


仕事帰りに夫と待ち合わせをして義父の病室へ。

ベッドに横たわる義父は
私の方を見るなり、顔をクシャクシャにした。
今まで見たことがなかった義父だった。

あんなに威張っていたのに。
あんなに恰幅の良かった義父がこんなに細くなってしまって…

布団の下から
義父が手を伸ばそうとする。私がその手を握ってくれるだろうと期待していたのだろうけど。

私の身体は動かない…全く反応出来なかった。

本当なら伸ばされた手を支えてあげなければいけないのだろう。出された手を握って再会を喜ぶべきなのだろう…
けど、、、、出来なかった。

気持ちはあるけど、
身体が拒否した。

仕方ない。
これまでの年月はそう簡単にはひっくり返せない。


さらに義父は続けた。


「今までのことは許して欲しい。悪かった…本当に申し訳なかった…」

いきなり、そんな言葉をかけられるとは思わなかったけど、


自分でもびっくりするほど、その言葉に反応した。

「気持ちはわかるけど、時間がかかると思う…今はお義父さんの言葉を受け止めるだけしかできない…ごめんなさい。」


素直な気持ちだった。


自分に嘘はつきたくなかった。

形だけ整えるのはとても簡単な事だけど、それをしてしまうと、後できっと後悔する。許す事で救われる…という事も本当はあるのかもしれないけど、私はそれができなかった。

少しずつ、許す方へ向かっていけばいずれ辿り着けるのではないだろうか…たとえ時間がかかったとしても。



許すことはできない。


その思いを伝えたあの日を境にだんだんと義父と話す機会が増えた。向き合えるようになった。お互いに気持ちが通じ合うというか、脳梗塞の後遺症で言葉がうまく言えなくなってからのほうが義父の存在を近くに感じるようになった。義父の口元を見れば大概のことを感じ取れるように。


義母のことを頼む


そう言いながら、義父が旅立ってから、ずっと探している。
許してくれ...の答えを自分に問いながら過ごしている。

だからだろうか…自然と義父の眠る墓に足が向かうのは。

生きている時より、義父のことを想う日が多い。


忘れないことが許すことに繋がっていれば…と


今の私にはそれしかできない。



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