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人は自分が思うほど自分のことなど意識していないってこと

一度は聞いたことがある『断捨離』という言葉。これを提唱したのはやましたひでこさんという方。テレビやラジオなどで大活躍の彼女に、私も感化された一人である。

断捨離とはモノへの執着を捨てることが最大のコンセプト。モノへの執着を捨てて、身の周りをキレイにするだけでなく、心もストレスから解放されてスッキリする、これが断捨離の目的だ。

最初は寄付からスタート

息子が大学進学後、私もまた本格的に断捨離を始めた。そしてあれから3年。自宅はすっかり過ごしやすい状態になった。自分の目に入る空間はほぼ完璧。大学から帰省した息子が『モデルルームかよ!』とツッコミを入れるほどになっている。

そんな我が家であるが、実はそれは上辺だけのこと。その原因は、クローゼットの中にあるまだ手放せていなかった衣類にある。

断捨離の番組で衣服から片づける光景をよく目にしていた私。

そうか……衣服や布類からやればいいんだな


しかし、最初はかなり抵抗があった。

まだコレ着れるのにな…これもまだ使える……

それでも番組と同じように、

  • コレはもう着ていない

  • 今の自分にふさわしいか

  • 着ていて自分がハッピーと思えるか

などと、自問自答しながら仕分けをしていた。しかし、いざ捨てようとなると衣服が可哀想と罪悪感に襲われる。

そこで、寄付ができるところがないか探した。寄付するところは多々ある。しかし、無料引取とは言え、大半は送料がかかる。

捨てるものに対してお金をかけることに疑問を感じながらも、最初はとにかく手放そうと寄付をして処分していた。

誰かの役に立って良かった


そう自分に思い込ませ、納得の手放し方をしていたつもりだった。しかし、衣服はシーズンごとに増えていく。一向に減らない。

断捨離が進まない理由

私の親は買い物好きだ。良かれと思ってよく衣服のプレゼントしてくる。時には自分や買い物仲間が購入した着なくなったものまで。これにはさすがに困る。これが冬服のコートやセーターなどとなるとたまったもんじゃない。クローゼットもタンスにも入りきらないほどの量。貰ったものをすぐに処分できるほど鬼畜生な性格ではないので、結局、自分が買った好みの少し古いものを捨てる羽目になる。そして段々、着たいと思える服が少なくなり、また買うを繰り返しドツボにハマる。

私にも隠れていた執着

番組を見続けていると、自分と似たような境遇の人が現れた。


もしかして私も執着してる?


それは衣服を通しての親に対する執着。

若くして結婚した私の親は苦労人だ。若い頃に我慢したこと、ツラかったことなど、これまで散々聞いていた。そんな親だが、努力の甲斐あって今ではそれなりの資産を持つほど。今まで子供にいろいろしたかったができなかったと言う親。それを詫びるかの如く、本当によくしてくれている。そんな苦労人の親の気持ちを聞いてしまっている私は、無下にできなかった。

そんなに買わなくても大丈夫だから…

そう伝えても、忘れた頃にやってくるプレゼント。それほどに母があの日々を悔やんでいるのだとしたら、私はどうすればいいのか。その思いを受け止め続けるしかないのか。でも、これではうちは衣服で埋もれてしまう。

そんなことを思い続けながら、可能な限り自分では服を買わず、母がプレゼントしてくる服を受け取っていた。もちろん着る服もあれば着ない服もあった。ギュウギュウのクローゼットはなんだか痛々しかった。

先日、久しぶりに実家へ帰った。その際、母がプレゼントしてくれた服を着て帰った。

母『涼しそうな服着とるね。』
私『プレゼントしてくれたやつよ。』
母『あら、そうだっけ?』


拍子抜けした。

そんなものなのだ。

人は自分が思うほど自分のことなど意識していないってこと

そして、ようやく私は気づいた。自分もまた執着していたのだと。
親が苦労をしていたのは自分達のためだったのだから、絶対に傷つけたり悲しませることはしてはいけない。親もまた過去に縛られていたけれど、私も同じくその過去に縛られていたのだ。

母が私にプレゼントしたい気持ちが過去からきているのは間違いない。しかし、それを絶対に着て欲しいとは思っていない。つまり、『有難う』と言って喜ぶ『子』の姿を見せることに意味があったのだ。それをすることによって母の心は満たされ、その度に解き放たれていたのだろう。

プレゼントを私に渡した時点で母はその都度、思いを遂げている。だからこそ、自分のプレゼントした品を覚えていなかったわけだ。それは衣服でなくても何でも良かったに違いない。

プレゼントを受け取ったことで私もまた親の思いをしっかり受け止めた。だから後のことは気にする必要はない。母の過去の思いまでも背負う必要もない。

その数日後、某古着屋にてずっと手放せなかった衣服を手放すことができた。帰り道、とても清々しい気持ちになった。ようやく肩の荷が降りたような気がした。

私もまた執着を捨てることができた。気持ちをスッキリさせてくれる断捨離は奥深いと改めて思う。

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