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サムライ瞑想 No003

「サムライ瞑想」シリーズの3回、雄乃三毛猫です。
今回は「はじめに:―現代のサムライになるために!―」、
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はじめに:―現代のサムライになるために!―

 サムライは侍と書き、古くはサブライともいう。新渡戸稲造の“武士道”のサムライである。
 サムライの中には、切腹が決まった前日に“明日は仕事があるから、今日はこれで休む””と言って、自宅に帰りイビキをかきながら寝てしまった者もいたといわれている。これほど”肝が据わった”状態もあるということだ。
 本当に自分の死に納得していたかどうかは別にしても、このサムライが自分の死の前日でも自害することに動揺しなかったのは確かなことだろう。彼らの“死生観”は、

“人は一代、名は末代”

という慣用句が示す通り、名誉を重んじて死に恥をさらす刑死や病死を最も嫌った。
 サムライの行動原理(規範)は、このような死生観を基盤にして確立されている。自分の死に直面しても慌てないように、サムライは常日頃から“心身を刃の下に曝け出す”という覚悟をしなければならない。この“心身を刃の下に曝け出す”とは、自分の死を含めた全ての事柄に対応するために心身を準備することであり、所謂いわゆる、”肚をくくる“ということだ。サムライは、この準備のために、生活の中で常に瞑想を行なっていた。瞑想は、ある程度慣れてくると、寝ていても立って動いていても行うことができる。これが“サムライ瞑想”である。
 サムライは、文武両道を旨として、日ごろから心身をトレーニングしていた。剣術などの武術と四書五経の音読が心と身体のトレーニングとなり、心身は健康な状態に保たれていたと思われる。つまりこの心身のトレーニングもサムライ瞑想の一部といえる。
 戦国時代には、“病死までも恥”とする死生観があったために、身体を健康に保つことは当たり前だった。しかし、現代に生きる私たちは、心身共に健康であるとは言い難い。そこで本書では、心身を健康にするためのノウハウを含む“サムライ瞑想”を紹介・説明していく。
 ちなみに “サムライ瞑想”では、心身の鍛錬のために、サムライのように剣術を習い、四書五経を読破する必要はない。 本書では以下のような章立てて、第一章~第六章に分けて “サムライ瞑想”を理解しつつ、マスターできるようになっている。

第一章:サムライの死生観と心身トレーニングについて。
 死生観とは、死をとおして培われた生き方のこと。サムライの死生観、日々の心身トレーニング、身体操作と瞑想、行動原理を確認しつつ、現代人との相違点をみていく。

第二章:サムライ瞑想の概要。
 サムライ瞑想の目的、身体的準備と心的準備、現代のサムライとは?サムライと現代人との相違点をさらに掘り下げ、現代人にとっての心身の準備とその重要性を中心に、サムライ瞑想の概要を紹介する。

第三章:心身の慢性緊張について。
 ちなみにここでの心身の慢性緊張とは造語である。“身体の緊張”とはあらゆる肉体的活性化を意味しており、筋肉の緊張、神経の興奮、等のことである。 “心の緊張”とは精神的な緊張ともいい、修正できない思考、制御できない感情、主観的な印象、等を意味する。これらの緊張は一時的であれば問題はない。しかし、慢性化して継続すると問題となり、肉体的・精神的ストレスと呼ばれて心身に悪影響を及ぼすようになる。

第四章:サムライ瞑想における心身の慢性緊張の解放について。
 慢性緊張を解放することを目的として、サムライ瞑想における1)心身相関、2)未病・病気との関連、に関する知識をまとめて紹介する。

 1)心身相関では、心と身体の2つの慢性緊張を同時に解放するための手掛かりとなる。そこで、この心身相関を再考する。
 2)未病・病気との関連を心と身体の慢性緊張に分けて整理する。そして、心身の慢性緊張”を解くことが健康と重要な関連があることを示す。ちなみに未病とは、健康状態の範囲であるが病気に著しく近い心身の状態のことを指している。
 さらに、心身の慢性緊張”を解くためのポイントとなる理論的思考に関する、本書での考え方についても言及する。

第五章:サムライ瞑想の実践。
 心と身体の制御法に関して、サムライ瞑想の特徴をピックアップする。そして涅槃の状態を実現するために、サムライ瞑想をおこなうための基本をここで総括する。
 涅槃は、サンスクリット語でニルヴァーナとなり、一般的に仏教と関連のある語彙である。この語彙は、英語で“救い”、“消火”や“解放”と訳すことができる。サムライ瞑想は、心と体の慢性緊張を解放することを便宜的な目標としているので、“涅槃”とは“慢性緊張から解放された状況”に対応させることができる。

第六章: 他の瞑想法との比較。
 心の慢性緊張を解放することに注目して、他の瞑想法や様々な技法とサムライ瞑想を比較することによって、“サムライ瞑想”の特徴を浮き彫りにしている。
 健康面からみると、“サムライ瞑想”は心身の調節技法と定義することができる。これは、サムライが即座に肚をくくれるように、“全ての事柄に対応する心身を準備”していたからだ。
 瞑想は、観想のための習慣化したツールの一つとして宗教の多くが利用している。このため多くの瞑想では、心的問題を解決することを目的として心理的アプローチをおこなう。これに対して、サムライ瞑想は心の面だけではなく身体面へのアプローチも含んでいる。これがサムライ瞑想の大きな特徴であり、身心両面へのアプローチは“心身の慢性緊張を解放する”ことが重要なポイントとなっている。
 “サムライ瞑想”は、動いていても止まっていても実践できるが、畳の上で生活していたサムライに敬意を表して、本書では正座での方法を主としている。理論が理解できれば椅子に座っていても立っていても可能なので、試していただきたい。
 “サムライ瞑想”の実践では、 “涅槃”に入るための理論とノウハウに言及している。サムライ瞑想での涅槃とは心身の慢性緊張が一時的に解放された状態のことを表している。またこの実践方法は身体構造・特性を理解しつつ上手く重力を利用するという手法をとっている。


 17世紀初頭に刊行された”日葡辞書“では、ブシンやモノノフに””武人“や”軍人“を意味するポルトガル語の訳語が与えられているのに対して、サムライ/サライは”貴人/尊敬すべき人“と訳されている。
 サムライの死生観を表している慣用句の一つである“人は一代、名は末代”とは、不名誉な死を嫌っているだけで、実は“命は大切に使うべきだ”と主張しているのだ。また、戦国武将の織田信長は、幸若舞-敦盛の一説;

“人間五十年、化天げてんのうちを比ぶれば、夢幻の如くなり、一度生を享け、滅せぬもののあるべきか”
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 これは“人生の短さを嘆くよりは、その短さを短いままに直視し、生きている時を思うざま生き抜くべし”という意味になる。“短い人生を懸命に生きようとする”死生観である。

 このような死生観を持つサムライだからこそ、上述したように”貴人/尊敬すべき人“と訳される場合もあることも納得できる。現代の私たちにも、 “心身の慢性緊張を解き”、“涅槃に入る”ための理論をマスターして、“サムライ瞑想”を行ないながら、人生を楽しんで生きることができる。そしてそれぞれが現代のサムライ(貴人/尊敬すべき人)になることも可能となる。

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今回は、いにしえのサムライの行動原理(規範)・死生観を紹介しながら、今を生きる私たちが目指す理想の姿の一例を”現代のサムライ”として紹介しました。
これから”現代のサムライ”になるための各論となります。次回は
第一章 サムライの死生観と瞑想
 第一節 儒教を基礎とした死生観
  第一項 死の捉えかた
です。

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                            雄乃三毛猫



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