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サムライ瞑想 No007

第一章 サムライの死生観と瞑想  第二節 サムライの日々の心身鍛錬
の始まりです。今回は、第二節の概要と第一項 武芸での身体操作、です。
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第一章 サムライの死生観と瞑想

第二節 サムライの日々の心身鍛錬

サムライは、戦いを常とする戦国時代の戦士を起源とするため、その生活の中には、刃の下でも十分に自分の命を使って戦うための訓練が含まれる。
言い換えると、日々“刃の下に心身を置く”が如き訓練を行って、“あらゆる状況に対応できる心身の準備をしている”のだ。またこれは、“肚をくくる”ことに他ならない。“肚をくくる”とは着物の帯を締めなおして心と身体の準備をするとの意味だからである。

あらゆる状況の対応にはサムライは自分の能力を100%発揮する必要があり、そのため訓練も身体的と精神的(心的)の二種類に分類することができる。サムライは、この二種類の訓練を自分の生活様式に上手く組み込みながら、いついかなる時でも即座に肚を括ることができるように準備していたのだ。 

第一項 武芸での身体操作

サムライは、日々の肉体的トレーニングとして、さまざまな武芸の修練を行なっていた。
武術とは戦闘のための技術であり、芸能とは芸術の諸ジャンルのうち人間の身体を使って表現する技法と言われる。武術と芸能はともに身体操作の技術の習得を必要とする点で共通しているので、本書では、この“武術”と“芸能”を合わせて“武芸”としている。
 
武術のうち、武器や身体を使った攻撃術としては、剣術棒術槍術薙刀術弓術鎖鎌術、砲術、柔術、などがある。これ以外の戦闘技術としては、水術馬術捕縛術、隠遁術などが知られている。ちなみに、隠遁術は忍術のことで、忍者の技のことを指している。  
芸能には、舞踊演劇雅楽/邦楽 などがある。身体としては、舞踊では立ち振る舞いを見せ、演劇では物語を表現し、雅楽/邦楽では楽器を奏で、唄では声を聴かせる。これらのための身体技術が芸といえる。
戦士としてのサムライの特徴から、芸能より武術の方が実際に身体のトレーニングとしては人気がある。

― 身体操作術としての武芸 ―
武術:攻撃系;剣術、棒術、槍術、薙刀術、弓術、鎖鎌術、砲術、柔術
   周辺系; 馬術、水術、隠遁術(忍術)
芸能:舞踊、演劇、雅楽&邦楽、唄
 
サムライの身体操作の技術の高さを表す言葉として “武芸百般”という表現が使われる。武芸は武術と芸能のことなので、この“武芸百般”とは、武術と芸能を合わせ百種類習得したという意味になる。一般に“武術百般”という言葉はないので、サムライの身体操作技術は、武術だけでは評価されないということである。
芸能は、武術と比ると身体運動速度をそれほど重視しない。そしてサムライがすべて、身体のために芸能のトレーニングをおこなっているともかぎらない。しかし芸能もサムライの身体操作の技術の評価基準となっており、身体トレーニングとしての価値があると考えられる。

結論を先に述べると、芸能のトレーニングには“慢性的な身体の緊張を解放する”効果がある、ということになる。武術も含めた身体操作技術において、身体の緊張は身体操作の効果を著しく低下させる。そこで身体の緊張を解放することは、武術などの身体操作を上達させる良い方法となる。そしてこのような身体の緊張を解放する効果が芸能には内包されているのである。
更に詳細な説明を、これ以降に準備している。というのもこの“慢性的な身体の緊張”は、”慢性的な心の緊張“という考えとともに、サムライ瞑想にとっての基本観念となっているからだ。

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本サムライ瞑想では、武芸を”武術”と”芸能”に分けて説明している。この分類が一般的とは言い切れない。こんな見方もあると、大らかな気持ちで理解してもらいたい。
武術には忍者の技もふくまれるが、武士と同じ頃に発生した芸能を生業とする人々は河原者、等と呼ばれており、忍者の関連が囁かれている。
茶の湯の立役者である千利休は天下人・豊臣秀吉の側近という一面もあわせており、最期は切腹を命じられた。
このように面からも、武術と芸能は密接に関連していると考えている。
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 今回は少しコメント(言い訳?)を後書きにしてみました。ご意見がありましたら、お聞かせください。そしてまたお立ち寄りくださいませ。。
                          雄乃三毛猫 

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