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サムライ瞑想 No005

前回は、第一章 サムライの死生観と瞑想 第一節 儒教を基礎とした死生観
の中の 第一項 死の捉えかた でした。
今回は、  第二項 命より大切なモノ と 第三項 名誉と恥の文化 の2つの項です。
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第一章 サムライの死生観と瞑想

 第一節 儒教を基礎とした死生観

第一項 死の捉えかた

第二項 命より大切なモノ

儒教において、人の最大の不安は子孫が途絶えてしまうことである。
もし子孫が途絶え、先祖である自分を祀る儀礼をおこなってもらえないとしたら、自分の魂と魄は分裂したままさまよい、永遠に再生できないからである。これで本当の意味で自分は死んでしまうことになる。そこで、子孫が途絶える事態を未然に防ぐには、人々がみな幸福に暮らしていける社会にすればよいと考えるのだ。そこで儒教では、社会をつくる政治を重んじており、正しい政治を目指すことになる。
さらにたとえ子孫が残っていても、子孫が先祖である自分を祀る儀礼をおこなってくれなければやはり再生できない。そこで、先祖の再生のための儀式をおこなってくれる子孫を大切にすることは、先祖にとって当たり前となる。
このような考えから、儒教では次の三つのことを人間の務めとして打ち出している。第一は、祖先祭祀をすること。第二は、家庭において子が親を愛し、かつ敬うこと。そして第三に、子孫一族が続くこと。この三つをあわせたものを、“孝”または“孝行”と言い、最少単位の社会的集団としての家族のための倫理的な教えとなっている。
 
儒教における現実世界の捉え方や生命に対する価値感は、仏教と全く異なる。
仏教では、現実は苦の世界であり、むしろ逃避したいところとなっており、死への恐怖や命への執着は皆無である。一方、儒教では、死後自分の再生のための儀式をおこなってくれる子孫の世界はとても重要なもとなる。生きている子孫だけがその再生の儀式をおこなうことができるので、子孫の命が何にもまして重要なものだからだ。

 第三項 名誉と恥の文化

儒教で、“孝行”という倫理的教えが死についての考え方と結びつくと、死が生に逆転して“生命の連続性”という観念が生み出だされる。
“祖先祭祀”とは祖先の存在を確認することであり、祖先から自分に至るまで確実に生命が続いてきたと再認識するのだ。また、自分という個体は死によってやむをえず消滅するけれども、もし子孫があれば自分の生命は存続していく。私たちは、個体ではなく一つの集合生命として、過去から現在そして未来へと生き続けるのだ。
 
これが“生命の連続性”という概念であり、それが儒教のいう“孝行”である。そして現在の言葉にすれば、“生命連続の自覚”となる。この“生命の連続性”の観念には、生命を軽視する考え方は全くない。子孫だけでなく自分の命も含めて生命は重要であるとする観念が儒教の死生観の根底にあることが理解できる。

ただし比較の問題として、自分の命より重要なことは存在する。それは子孫が絶えることなく未来でも継続することだ。子孫が絶えると、その先祖は二重の意味で本当の死を迎えることになる。一つは子孫による先祖の再生儀式が不可能になる、もう一つは集合生命としての生命の連続性が途切れるからだ。
また、この観念は、サムライがなぜ自身の生命より名誉を尊重するか、またサムライはなぜ恥辱を最も嫌悪するか、この理由を知るにはとても良いきっかけとなる。
ここでの名誉は慣用句(1)と(2)で使われているものである。
死後も名誉は世間に語り継がれて、自分の子孫にとっても名誉となる。これは、子孫が絶えずに生き残れる確率を上げることができる資産と考ええられる。つまりサムライにとって自分の命より子孫を生き残らせることができる名誉のほうが重要ということになる。そして名誉のためには、切腹などの自死も辞さないのだ。これは、慣用句(1)と(2)でのべられている。
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参考:“人は一代、名は末代” [慣用句1]
   “命より名を惜しむ” [慣用句2]    サムライ瞑想 No004に掲載
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一方、名誉の対極にあるのが恥という概念である。
生きている限り恥を雪げる可能性はある。しかし恥を雪げずに死んだり、死に際に恥を曝すと、その恥を雪ぐことはできない。この状態になると、雪がれずに残った恥辱は世間に語り継がれて、自分の子孫にとっての恥辱となる。これは、子孫が絶えずに生き残れる確率を低下させ、所謂子孫の負債と考えることができる。
子孫の存続を邪魔する恥辱を、サムライは最も嫌う、そして恥辱を雪ぐためなら自死も辞さないのだ。

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お立ち寄り頂きありがとうございます。

第一章 サムライの死生観と瞑想 第一節 儒教を基礎とした死生観の
 第一項 死の捉えかた、第二項 命より大切なモノ、
 第三項 名誉と恥の文化、
そして第四項 戦国時代の死生観 と 第五項 短い人生を(精一杯)懸命に生きる、の第一項~第五項は、続けて読んだ方が面白いと思います。

頑張って残りの項目をまとめますので また宜しくお願いします。
                           雄乃三毛猫                                                   





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