「やさしい」って罪だなって

宝石の国を途中まで読んだ。

めちゃくちゃ鬱、と言われていてかなり構えて読んだにもかかわらず、私の中の何かと共鳴して、良くないスイッチが入った。

誰かのためにやさしくあるって、罪なことだな。

…その優しさ以上の憎しみを持つことになるんだから。

作中に「卑怯だ、いつも僕らのせいにして」といった意味合いの言葉を主人公が投げかけられるのだけど、

主人公の動機がいつも「誰かのために」だからなことが、なんとなく自分にどうしようもなく刺さっている。

そして、ハッと気づいてしまった。

自分が人生のゴールに掲げた、弔われる時どう思われたいかという答え、他者からの評価が「他人軸」なことに。

私の、成したいことは、全て……誰かのためではないか?

じゃあ私が心から誰の影響も受けず…というのは難しいけど、仮に誰にどう思われようとも貫きたいこと…それってなんだろうか…と

みつけられなかった。

やっぱり、どこまでいっても「からっぽ」だ。
脆弱な身体に似合わず、承認欲求を詰め込んだ器、宝石の国の主人公のそれは、私も同じな気がする。

周りの特に影響を多く与えてくれた人たちがいなくなった後、私に残るものは、なんだろう…

…自分では死ねない、という生きている人には誰にも埋めることができない「執着」だろうか。

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