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強くて弱い僕らに捧ぐ【#2000字のドラマ】

 最後のチャイムが鳴ってからどのくらい経っただろうか。
 教室には三人の男女だけがぽつねんと各々の席で黙々と参考書とノートに顔を向かわせていた。
 ページをめくる音と、シャーペンを紙の上に走らせる音だけが教室の中で静かにこだまする。

「随分、暗くなったね」

 冨山とみやま和美かずみが窓を開けて黒く溶け込んだ空を仰ぐ。

「もう、夏も終わったしね」

 仙田せんだ瑠美るみは参考書から目を離すことなく和美に言葉を返す。

「どうだったの? 面接対策」
「今日も絞られた」
「坂田、厳しいもんね」
「相変わらずね。でもだいぶよくなってきた」
「良かったじゃん」

 満足気な顔で和美は自分の席に着く。

「瑠美は?」
「まあ、普通かな。届かないところじゃないし。このままいけば確実」
「流石ぁ。庵原いおはら君は安定でしょ」

 黙々とノートにシャーペンを滑らせていた庵原いおはら大志たいしが顔を上げ、「まだまだだよ」と遠慮がちに首を横に振った。

「志望する大学次第だよね」

 瑠美の言葉に大志は頷いた。

「庵原君って大学で何したいの?」
「したいというか……大学はとりあえず文化人類学を学ぼうかなって」「わ、何それ。難しそう」

 和美は眉間に皺を寄せ頭を捻った。

「じゃあ、そのあとは? 何になりたいの?」
「んー、特にないかな」

 和美は一瞬目を見開いた。

「そうなんだ。でも、庵原君だったら選び放題な感じするけどね。学年トップだし」
「焦りはするんだけどね。可哀想とか何も考えていないとか。よく言われるけど、分からないものは分からないし」

 勉強だけは物心つく頃には人よりもできる方だった。将来は医者か? 国家公務員か? これからを切り開く実業家か? 楽しんでいるのはいつも彼の周りばかりで、当の本人は他人事のようで自分の胸の中に留まることがなかった。
 何がしたいか分からない。何に情熱を向けていいのかも分からない。興味があるものはあっても、それに人生に捧げたいと思うほどでもない。
 何にも執着しない大志を周りは徐々に哀れみ、そして不満を持つようになった。彼は熱中できる何かを持っている人が羨ましかった。
 大志のシャーペンを握る指先に力が入る。

「冨山さんは凄いよね。やりたいこともあって、着実に近づいているというか」
「まだ試験も受けてない段階だけどね。でも、そうでもないよ。母親にはそんなに応援されないし。でも、役者は私の夢だから、自分の力で行くって決めてるの」
「だから、バイトしてるんだ」
「そ。試験対策との両立も厳しいけどね」
「でもいいじゃん。やりたいことさせてくれるんでしょ?」

 瑠美は机に視線を落とした。

「私なんて、行きたいとこあっても無理だもん。絶対に県外に出れない」

 音楽が好きで、将来は音楽制作に携わりたいと追いかけたかった。軽音楽部でも周りが遊び半分でする中、仕事に繋げられるようにと音楽と真剣に向き合っていた。
 進路志望の紙には、第一志望には県外の音楽大学を書いた。だが、両親は「女は外になんか出なくていい」と反対し、「音楽制作でお前が食べていけるわけがない」と鼻で笑った。
 自分一人の力で行けたならどれだけよかったか。考えれば考えるほど自分の無力さだけが突き付けられた。悔しさと情けなさが瑠美を蝕んだ。

「夢があっても諦めるしかないんだよ。だから、羨ましいなあって。私も、和美ちゃんみたいにできたらいいのに」
「でも、どの道進もうが……ってね」
「まあね……」

 どこに向けるわけでもなく、力なく瑠美は笑った。
 外で練習に励む体育系部活動の掛け声が遠くから聞こえる。

 夢を追っても馬鹿にされ、夢がなくても馬鹿にされ、彼らはどう生きようとも誰かに批判されて生きている。
 大人にも子供にもなれない彼らは不平等に分配された環境の中で、期待された潜在する可能性と既に掌にある無力感を抱えて生きている。
 それを押しのける力もないまま、ひたすらに藻掻いて、挫けて、踏ん張って、生きている。

「なんか、馬鹿みたい」

 参考書とノートを閉じて、瑠美は机に突っ伏した。
 一日の最後のチャイムが学校に響く。
 駅まで三人並んで歩く。
 電車が来るまでの間、コンビニの肉まんとコーンポタージュ缶で暖を取る。

「なんで自分たちがこんなにむしゃくしゃしないといけないんだろ」

 大志は缶から口を離した。
 お前のためだと枕詞をつけて、当の本人の感情は無視で、言いたいだけ言って作り始めていたはずの道を荒らす。荒らした後は「もっと自分で考えろ」と吐き捨てその場を去る。

「どうせ、人様の人生なんて口を出したところで体験するわけでもないし、いつかは忘れていくんだよ」
「でも、その忘れる人生は自分のものだし」
「せめて、納得して生きたい」

 馬鹿にされても、催促されても、道を変えられても、絶対に楽しんでやる。
 冷めかけたコーンポタージュと残りの肉まんを口の中に放り込んだ。

「明日も頑張るかあ」

 ホームにベルが鳴り響く。
 扉が開いた電車へと進む足は心なしかいつもよりも軽い気がした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました! 自分の記録やこんなことがあったかもしれない物語をこれからもどんどん紡いでいきます。 サポートも嬉しいですが、アナタの「スキ」が励みになります:)