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地域のためより私のためのまちづくり

地域のために何かしたい。
そう思い始めた10代。あれから10年が経った今、地元や移住先でも住む街で動き続ける一般市民が考える“私なりのまちづくり”について整理しようと思う。

人一倍そういう気持ちが強かった高校・大学時代。
小さい頃から地域のまちづくりの縁の下の力持ちの役回りだった両親の背中を見ていたのは少なからず影響している。
外に出してくれる母に連れられて地域のおじちゃんおばちゃんに顔も覚えてもらい、日頃から挨拶や世間話ができる心地よい中で育ったのも大きかった。

ご縁で繋がった地域おこし協力隊“ふみふみ”との出会いから、地域を上辺よりもほんの少し奥へ踏み込んで、高校生なりに地元に参画し始めた。
進学は県外だったけど、「ここで学んだことを地元に還元して恩返ししたいんです」と宣言して進学先の地域の人たちと向き合っていた。

所属していた学生団体との繋がりで通うようになった学生歓迎の民間団体は、平均年齢60オーバーの組織だった。周りから見れば私は20そこらしか生きていない外から来た小娘。まずは関係づくりだ!と毎月開かれる会議に出席し、自分なりに意見を出したり、イベントの運営に関わったりとできる限り参加した。名前で呼ばれるようになるまで、一年掛かった。
それでも最後は、複数の区民運動会に呼ばれたり、地域の連携協議会で地域に点在する団体のあり方を一緒に考えたりと地域の人間として少しは認められた気がした。

地域のために動ける人間になることが私の目標だった。

地域に入って動き始めた17歳。
地域のためにと動き続けた5年間を経て、社会人になった私は、結果「地域のためにと思わずに活動する」スタイルになった。

きっかけは、自身のキャパオーバー。
“まちづくり”という言葉ばかりに囚われ、自分の中で納得するまちづくりの定義を持たぬまま、それでもまちが元気になるのならと動いていた。
団体の代表として、関わるところの挨拶回りやボランティアの参加、メンバーへの参加の呼び掛け。講義とバイト以外はまちづくりに時間を割いていた。

でも、違和感は常にあった。
誰のためにやっているか分からない、運営が疲弊するだけのやることがゴールのイベント。目的が分からない月一の会議。所属する割に一度もミーティングにもボランティアにも顔を出さない団体メンバーたち。
なんでこんなことしてるんだろう。なんでこんなことになるんだろう。
しんどいな。でも、私がやらなくちゃ。
違和感がありながらも、作られたレールから外れることも、レールを作り直すこともできず、結局、心がポキッと折れて涙が止まらない日が続いた。

やりたくてやってるはずなのに、辛くてたまらなかった。前例に倣い過ぎる性分(当時はあまり自覚してなかった)が自分の首をどんどん絞めた。

4回生になり、代表を引き継ぎ幾分か心に余裕ができ始めたとき、パンデミックが起こった。誰のためかも分からない行事もみんなが楽しみにしている行事も全部、こんなときばかりは平等にできなくなった。
詰め込まれていたものがなくなって、少し地域での活動と距離ができたとき、もう一度、地域との関わり方を考えた。辛いことも多かったけど、やっぱりやめようとは思わなかった。

ただひとつ、自分の心と体を守るために、“地域のため”に動くのはやめると決めた。

今の私は、抱えきれない。だから、地域のためになることの全部に足を突っ込むのではなく、自分が正直にワクワクするもの、関心のあるものだけに足を突っ込もうと決めた。

断ることも増えた。逆に今までにない誘いもあって楽しみながら参加することもあった。気が楽だった。金も権力もないただの大学生だった自分にはちょうどよかった。

そこからは、地域でやりたいことが浮かぶと、自分で企画して友達を誘って楽しむようになった。
商店街の楽しさを知れる場がほしいと思えば、「写ルンです会」と称して、“まち歩き”と“撮影”を掛け合わせ、みんなで商店街の風景やお店を楽しみながら写真を撮りまくった。

今は、この場所でやれる、私がやりたいことをやっていこう。
その考え方は案外間違ってなかったと社会人になってから確信に変わっていった。

“やりたいこと”と“求められていること(地域のニーズ)”と“できること”。この三つが重なる部分が、まちづくりを考える上で大切だと知ったきっかけは、社会人一年目で運営側として動いたり参加者として参加したりした講座たち。
重要なのは、“求められていること”は多種多様で、「私だけかな」と思っているニーズもれっきとした“求められていること”になり得るということ。
答え合わせをするように、これまでの活動や企画を当てはめていった。私のためと思っていた活動や企画は、地域のためにもなってると言ってもらえている気がして、じんわり感じていた不安や罪悪感がスルッと肩から落ちた。

そこからは同世代の友だちをつくる場がほしいのを大きな目的(ニーズ)に、閉校した小学校で撮影会をしたり、古着のフリマイベントをしたりした。
友達は増えたし、仕事でも関わるようになった。これらのイベントたちは、今では地元を離れても私自身の小さな事業のひとつとして動いているし、住んでいる市にもご縁で協力してもらえるようになった。

相変わらず、地域のためと思ってはいない。私のためと思って動いている。それが、巡り巡って地域のためにもなっていたら幸せだよね。それが今の私の考え方だ。

私のためのまちづくりも地域のためのまちづくりも、“やりたいこと”“求められていること”“できること”に焦点を当てることは変わらないと思う。そして、どれが欠けてもいけないとも思う。どちらかと言うと三つを揃えることが、長期的な活動や自分の満足度、そして地域への貢献度に影響すると、これまで体験して感じている。

自分に正直であること。正直に向き合い考え見える化すること。見える化したものを組み立てて行動に移すこと。
これが、私の考える“私なりのまちづくり”。
決して大きくなくていい。背伸びせずに自分の手の届く範囲、“自分サイズ”で動いてみる。そんな自分サイズのまちづくりが、いくつも増えたり、繋がったりして、巡り巡って気づいたら地域のためにもなっていた。そんな縁ができたらいいよね。

自分を犠牲にしない。無駄に苦しく思わない。苦しく思っても、それも本望だと思える取り組みをする。今はこれを軸にして、これからも私なりに地域と関わっていきたい。

迷ったときの備忘録として。

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