プーチンの核戦略 小泉悠×高橋杉雄
反攻をどのように成功させたのか
小泉 ウクライナ情勢はこの夏の間、膠着状態が続いていましたが、秋に入って大きな動きがありました。9月6日、ウクライナ軍が東部・ハルキウ州から電撃的な反攻を仕掛け、クピャンスク、イジューム、リマンなどの要衝を次々と奪還。その結果、ハルキウ州の大部分をロシアから取り戻すことに成功しました。いわゆる「第5次ハルキウ反攻」です。ウクライナ軍はここまでの大規模な反攻をどのように成功させたのか。まずはそこから始めたいと思います。
高橋 これまでのウクライナ軍は、防御は得意だけれど、攻め込むのは苦手だと見られてきましたよね。例えば、3月末から4月頭にロシア軍がキーウ周辺から撤退した時、それを追撃することは出来なかった。4月末の第1次ハルキウ反攻でも、ロシアの補給線を断つことを狙いましたが、ドネツ川の渡河を阻止されたことで失敗に終わっています。テレビ番組で小泉さんと共演した時も、「ウクライナには土地を奪い返す能力が足りないので、西側の武器支援で強化すべきだ」とか、いろいろ議論していましたね。
小泉 ところが、そんな話をしていた直後に、第2次ハルキウ反攻が始まった。ウクライナ軍は数日も経たずにクピャンスクを奪還しましたが、あれには驚きました。
高橋 私だけでなく、米国の同業者たちも目を丸くしていました。
小泉 まずは、ウクライナ軍の動きを振り返りましょう。ウクライナ全土の地図(下の図)を見ると、南部にヘルソンという街がありますね。7月頃からウクライナ軍はこの辺りに部隊を集めはじめ、8月29日には南部での攻撃を開始します。
高橋 ところがロシアも南部に主力を移動させていたため、ヘルソン戦線でのウクライナの前進は、なかなか上手くいかなかった。最も進んだ場所でも1日10キロほどでした。
小泉 南部での状況については、ウクライナのアレストビッチ大統領府顧問が「これは長く続くプロセスであり、ロシアの弱体化を狙ったものだ」と説明していました。さらには米ワシントン・ポストから、「事前に米軍がウクライナと図上演習を行っていた」とする、もっともらしい報道もあった。だからこそ、ウクライナ軍の反攻正面はヘルソンであって、しかもそれは長期的にロシア軍を消耗させるための漸進的アプローチである――そのような見方を大方の人間がしていました。
成功した「壮大な偽装工作」
高橋 大きく状況が変わったのが、9月6、7日。ウクライナ軍が、どこかに隠し持っていた予備の機械化部隊を使って、東部のハルキウ方面から一気に戦線を突破した。ロシアは完全に虚を衝かれました。
小泉 つまり、9月の大規模反攻は、ウクライナによる壮大な偽装工作だったわけですよね。ロシアには主攻方向が南部だと見せかけ、「ここを重点的に固めたほうがいい」と思わせる。そうして、守りが弱くなった東部にドカーンと攻め込んだ。情報戦に全てをかけた反攻でした。
高橋 防衛線は何十キロもあるので、当然ながら、アリの這い出す隙間もなく部隊を配置することは出来ない。戦線を押し返すためには、相手の手薄な部分を探して一気に突破するわけですが、ウクライナ軍はそれを見事にやり遂げました。
小泉 速度も作戦成功の要だったと思います。ハルキウ側から入ったウクライナ軍は最初に、鉄道が集中する補給の要衝・クピャンスクを奪還。同時に南方へと攻撃軸を曲げて、イジュームへと向かいました。あの辺りにはかなりのロシア軍部隊が配備されていたようですが、包囲のうえで後方線を遮断し、9月11日には街の奪還に成功します。まさに電光石火の早業でした。
高橋 慌てたロシア軍は、一気に潰走状態に陥りましたよね。かなりの部隊が、重装備を放り出して逃げていきました。
小泉 しかもロシア軍が残していった戦車は、エンジンを入れれば動いたそうですよ。少なくともトランスミッション(変速機)を壊していくとか、何かしら細工をしていくと思うのですが……。キーウ撤退時に、ウクライナの追撃を許さなかったロシア軍とはまるで違いました。
高橋 もう一つ、第2次ハルキウ反攻でウクライナが見事だったのは、リマンでの包囲戦でした。リマンはイジュームから約40キロ東に位置する街ですが、ウクライナ軍は9月30日、街の包囲をほぼ完了させました。当時、リマンにはロシアの精鋭部隊が5000人ほどいましたが、その周囲を上手く取り囲んだ。
小泉 なかなか見事な形でしたよね。「包囲」という言葉は、ぐるりと隙間なく囲むイメージがありますが、戦術用語では必ずしもそうではない。相手が身動きをとれない程度に囲むことができれば成功だと言えます。でも、リマンで見られた包囲網は、マンガみたいにひとつながりになっていた。ロシア軍の配置状況がつぶさに把握できないと、あの芸当は出来ません。
高橋 少なくとも、ウクライナ単独では出来ないですよね。情報の部分で、アメリカがかなり支援したのではないでしょうか。
小泉 ポーランド上空に地上監視レーダーを積んだ飛行機を飛ばしても、距離が遠すぎてリマンの様子は把握できない。アメリカの衛星情報を使ったのかなと。米軍とウクライナ軍が一体となって成功させたのだと想像できますね。
高橋 一方、ロシアの指揮系統はまったくチグハグでした。リマンにはロシアの特殊任務部隊・スペツナズを中心とする精鋭部隊が配備されていましたが、包囲網が縮まる中で頑なに籠城を続けていた。プーチンの併合宣言まで持ちこたえようとしたのでしょうが、他の部隊が助けに来るわけでもなく、最終的には壊滅させられます。指揮系統が機能していなかったのでしょう。
小泉 そもそもロシアは、様々な諸勢力を調整して戦うのが、非常に苦手なのだと思います。ロシア軍は、正規軍の他にも、民間軍事組織のワグネル、ドネツク人民共和国軍、ルガンスク人民共和国軍、コサックと、様々な戦闘員が戦争に参加していますが、それらを一つに束ねる司令官が存在しないのです。
最近、ワグネルの元構成員がよくメディアの取材に答えていますよね。大部分がシリア戦争での話なのですが、「(ロシア正規)軍とは全く調整・連携ができていなかった」「連邦軍はピカピカの装備を持っているのに、我々には何も回ってこなかった」と不満を語っていて、いろいろと腑に落ちました。
高橋 このまとまりのなさは、権威主義由来のものなのでしょうか。権威主義国家の軍隊では分割統治の形態がよく見られますよね。優秀な軍人が力を持ちすぎると、独裁者の立場が脅かされる。だから権力が一カ所に集中しないよう、複数の組織に競争させてつり合いをもたせる。
スパイはガチンコの戦争が苦手
小泉 たしかにロシアは異様にセクショナリズムが強いんです。「クルイシャ(屋根)」というロシア語がありますが、「お前は誰の“屋根”の下にいるんだ?」と聞かれるのは日常茶飯事です。このセクショナリズムが理由となって、ロシア軍のなかでも激しい縄張り争いが起こる。プーチンがその縄張り争いを、統治のツールとして利用している側面はあるかもしれません。
高橋 政治と軍事の関係で言うと、プーチンはよく「マイクロマネジメント」をしすぎだと批判されますよね。でも、歴史を振り返ると、南北戦争時のリンカーンも、第二次世界大戦時のチャーチルも、前線部隊の細かい行動まで指図していた。マイクロマネジメントは、必ずしも悪いわけではないのです。逆に、軍事合理性をより優先させて失敗した、ベトナム戦争におけるアメリカの例もあります。
小泉 これまでの結果を見る限り、プーチンはマイクロマネジメントが上手ではないのでしょう。これだけ現場に介入しているのに、ロシア軍は今一つ大きな成果を挙げられていない。理由としては、KGB出身というのが大きいのかなと思います。
高橋 と、言うと?
小泉 やっぱり根本的に軍人とスパイって違う考え方をすると思うんですよね。彼はあくまで安全保障コミュニティの実務者。2014年のクリミアでの作戦が象徴するように、プーチンは相手を騙して陥れる陰謀や、意表を突く搦め手は得意なのですが、真正面からのガチンコで殴り合う戦争はやったことがない。
とはいえ、20年間も国家指導者として戦争を指揮してきたから、妙な自信だけはある。その自信を盾に、周囲の人間を振り回し続けている。
高橋 独ソ戦のスターリングラードでのヒトラーと同じですね。
小泉 もう一つ、プーチンのマネジメントの問題点を挙げるなら、部下に対して明確なタスクを与えないこと。「俺はこんなふうにしたいな」みたいに願望をぼそっと口にすれば、下の人間たちが“忖度”して動いてくれるからです。プーチンに気に入られようと、各組織がバラバラに我先にと動き出す。だから、まとまりがなくなってしまう。
「汚い爆弾」の意図は?
高橋 10月8日にクリミア橋が爆破されましたが、あの事件についてはどう見ていますか?
小泉 ロシアもウクライナも関与を否定しています。その後、ロシアは「報復」としてキーウやリビウなどへの大規模空爆を行ったわけですが、真相は藪の中。どちらにしても、作戦としても上手いとは言えないのでスッキリしないんですよね。
高橋 あれは本当に報復として行われたのでしょうか。というのも、クリミア橋の爆破から48時間の素早さで、あれだけの大規模な空爆を行えるとは思えないんです。ウクライナが橋を爆破したとすると、あまりに非対称な「ティット・フォー・タット(しっぺ返し)」なので、“報復説”については、私は疑問ですね。
小泉 それで言うと、クリミア橋爆破の直前、戦況の立て直しを急ぎたいロシア側が新たに総司令官に選んだのが、保守強硬派のスロビキンでした。彼はまぁ、いろいろと乱暴なエピソードに事欠かない男なんです。ダゲスタンで対テロ作戦をやっているときに、「わが軍の兵士を1人殺されたら、代わりに住民を3人殺す!」と息巻いたり。最近になってベラルーシとロシアが、合同部隊を作ったという話が流れていますが、これはまさにウクライナ北部の大都市に空襲を行うための部隊なんじゃないか。ロシアのメディアではそういう憶測が出ています。
高橋 まあベラルーシ領内だったら、攻撃を受けずに準備ができる。聖域ですからね。
小泉 そうなると、さらに気になるのが、「しっぺ返しの連鎖」なんです。今日(10月16日)、ロシアのベルゴロド市の空港に空襲があったんですが、これはひょっとしたら、ウクライナ軍による「しっぺ返しのしっぺ返し」の可能性もある。「馬鹿って言ってる人が馬鹿なんです!」みたいな不毛な応酬を彼らが始めたんじゃないかと。
高橋 もし本当に、あのクリミア橋の爆破がウクライナによるものだったら、国際世論もちょっと微妙になってきますよね。
小泉 民間の車両を巻き込んで何人か死なせていますからね。ウクライナ軍ってロシアみたいに不可解な戦闘はせず、ずっとリーズナブルな戦い方をしてきたことが国際世論の追い風を生んだわけです。でも、8カ月に及ぶ戦争の中で、だんだんと彼らの中に“闇”が宿ってきたのだったら嫌だなあという感じも……。
高橋 やっぱり旧ソ連だしね、みたいな。
ちなみに、プーチンは最近、放射性物質をまき散らす「汚い爆弾」の使用をウクライナが計画していると主張していますが、ロシア国内向けのプロパガンダを目的とする情報戦の可能性もあります。南部・ヘルソンからの撤退を「負けたから」ではなく、「ウクライナが非人道的な兵器を使用しようとしているから」と言い訳をするとか。または、さらなる動員をかけることの理由にするといったことも考えられます。
小泉 ウクライナの反転攻勢ばかりが目立ちますが、意外と看過できないのが、ロシアの「動員」です。9月21日、プーチンは約30万人の軍隊経験者・予備役を動員する「部分動員令」に署名し、動員開始から1カ月時点で、20万人以上が召集されたと見られています。
動員された兵士たちは、使い捨てのように戦場に放り込まれている印象でしたが、実はそうでもないらしい。最近のプーチンの記者会見を見ると、動員兵の訓練を2段階で行っていると明かしました。訓練部隊で5〜10日間、現地に送って5〜15日間、最大で25日間の訓練期間だと。しかも、動員された二十数万人のうち22万2000人がまだ訓練部隊にいるという。これはかなり大きな予備兵力になる。
高橋 しっかり訓練されたロシア軍兵士が22万人も投入されるとなれば、9月のようなウクライナの快進撃は難しくなりそうですね。
小泉 夏までは、ロシア軍は火力が強いが兵力が足りなかった。ウクライナ軍は兵の数は多いが火力が足りず、お互いに決め手を欠いた状態で消耗戦を続けていた。それがここにきて、両軍の火力と兵力に変化が起こってきましたね。
ロシアは弾を撃ち尽くした?
高橋 ロシアの兵力が強化される一方で、火力はウクライナのほうが良くなってきていますよね。特筆すべきは、何と言ってもアメリカから供与された高機動ロケット砲システム「ハイマース」も上手く使いこなしていることです。
小泉 アメリカは10月にもハイマース4基の追加提供を決めました。
高橋 ハイマースはGPS誘導によって、目標にピンポイントに当てにいく兵器です。ウクライナ軍は今年の夏、ハイマースでロシア軍の弾薬庫を数多く狙い撃ちし、前線付近の弾薬の量を大幅に減らしました。結果としてロシア軍の侵攻を鈍らせ、反撃のための時間と余裕を作り出せた。それが第2次ハルキウ反攻の成功へとつながっています。
小泉 各国が供与した様々な兵器が、ウクライナ軍の反攻に大きく寄与しましたよね。一方で、ロシアを刺激しないために出し渋りも見られます。「エイブラムス戦車を渡したら、ロシアが怒って核を使うかもしれない」とか。でもそろそろ、欧米諸国は個別の兵器に変に意味を持たせるのをやめたほうがいい。軍事支援も転換期に来ている気がします。
高橋 兵器の話で言うと、今回の大規模空爆の後、ウクライナのレズニコウ国防相は「ロシアはミサイルの3分の2を使い果たした」とSNSで主張しましたね。その通りに読み解いている専門家もいます。
小泉 それはプーチンに聞いてみないとわからないな(笑)。
高橋 どんな国でも武器の在庫は最高機密ですからね。そもそも、あの見積もりがどうなのか、っていうのがまずひとつ。次に、レズニコウの話だと残りのミサイルが600発あるわけでしょう。600ってどれぐらいの数字かっていうと、イラク戦争全体でアメリカが撃ったミサイルの数が1100発なので、その半分ぐらいは残っているわけです。
小泉 けっこうな量ですよね。
高橋 今回の空爆で100発を使ったとしても、それをあと6回できるわけじゃないですか。とすると、少ないとは言えないと僕は思います。
小泉 ウクライナ反攻のニュースが轟いたせいか、このところ「ロシアの核使用のリスクが増したのでは?」と、1日3回くらい聞かれます(笑)。10月末にはロシア軍が核戦力などを使った軍事演習を開始し、各国も動きを注視している。
確かに核の緊張感は開戦当初と比べて高まりましたが、ロシア軍はまだそこまで踏み込む考えはないと私は見ています。
残された核の選択肢
ここから先は
文藝春秋digital
月刊誌『文藝春秋』の特集記事を中心に配信。月額900円。(「文藝春秋digital」は2023年5月末に終了します。今後は、新規登録なら「…