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安藤桃子さんのオヤジの話。

著名人が父親との思い出を回顧します。今回の語り手は、安藤桃子さん(映画監督)です。

奥田瑛二は生存中

父、奥田瑛二はバリバリ生存中である。冒頭から縁起でもないと思われるかも知れないが、名だたる大先輩方が寄稿されるこのコラム。登場する「オヤジ」たちはほぼ、天に召されている。何故なら執筆者である先輩方が私のオヤジ世代なのだ。それ故、死人に口無し、好き勝手書かれても「オヤジ」が腹を立てることもなかろう。私の場合は要注意! ここに記すことは挑戦状にも、ラブレターにもなりうる。

私は父を“奥田さん”もしくは“監督”と呼ぶ。それに気付いたのは、父の監督3作目「長い散歩」のロケ中だ。留学していたロンドン大学卒業後、映画監督を志していた私は父の現場の助監督になった。他の監督にもお世話になったが、奥田組には監督として巣立った今も、必ず参加するようにしている。親子、または家族で映画制作をしていると、他人以上に互いを客観視して線引きをする必要性がある。その理由は一つ、親子を引きずって現場に立つ程しんどい事はないからだ。良い作品を生む為には、現場での監督の指示を素直に受け取り、全力で動くことが必須。ただでさえ常に究極の集中力を求められ、緊迫している現場である。監督と助監督という上下関係の中で親子の感情を持ち込もうものなら、過去の家族の愛憎トルネードに自分が溺れ、沈没してしまう。子供の頃からコツコツ貯めたお年玉を映画資金に使われようが、浮気問題を娘に相談しようが、ここはスッパリ線引きをし、親子はたまた師弟関係の信頼だけを命綱にするが「吉」。そこでいつの頃からか、師弟スタンスでは「奥田さん・監督」、親子関係では「お父さん」と呼び、私は自ら師弟と親子のスイッチを作り出した。このスイッチの入れ替わりは極めてシンプル。1日を終え、風呂から出てくると私は「お父さん」と呼ぶらしい。「長い散歩」のロケ中、その切り替えに気付いた父に笑いながら指摘されたのを鮮明に覚えている。

風呂上がり、尊敬する奥田瑛二は、娘に背後からタックルを食らわされ、蹴りを入れられる、愛すべき駄目オヤジになる。私にとっては、素の自分に戻り就寝するまでの短い時間のみの貴重な「お父さん(オヤジ)」。ふと、38歳になった今、父娘の関係を一言で表すならば「ツーとカー」である。

(2020年8月号掲載)