見出し画像

戒名はなぜ自分でつけてはいけないの?

曹洞宗に限ってのお話とします。もしかしたら曹洞宗とは位置付けが違うかもしれませんので。そもそも日本における戒名の歴史は聖武天皇にまで遡るそうで、曹洞宗だけでの扱いでは網羅して語れそうもありません。

曹洞宗における戒名は、まずは僧侶としての名前、僧名です。その後、仏様の名前となります。生きている間に出家得度して僧侶となるのが最も望ましく、出家得度の際には当然のこととして僧名をいただきます。その僧名を仏様になっても名乗り続けるので、イコールとして仏様の名前になります。

みんながみんな出家の機運を得られるわけでは無いので、亡くなられた後に僧侶になってもらう、それが、現代の曹洞宗の葬儀の最も大切なところです。仏に帰依し、戒律を授かり、そして名前を授かる。その時の名前を、戒名と呼びます。

僧侶になった時に別の名前になるという風習は、お釈迦様の時代には無く、中国に伝来してからのことのようですね。そのことをどう捉えるか悩ましいですが、俗世から離れ修行に入るという区切りという意味では、前向きに役立っていると言えます。

この戒名、お坊さんにつけてもらうとお布施がいるから自分でつけたい、というお話は年に一度は目にします。もちろん自分で考えることはできますが、しかしそれでは意味がないのです。

僧侶になるためには師匠が必要です。師匠に全てを任せ、戒律も師匠から授けてもらいます。その際に、修行の完成を願って送られるのが、僧名です。戒名も同じ文脈で授かるものですから、願いもまた同じように込められています。

生前、俗世間でどのように生きていたかはともかくとして、曹洞宗の葬儀をするということは、菩提寺の住職を師と仰ぎ、全幅の信頼を寄せ、全てを任せて教えを請うということです。

師となる菩提寺の住職もまたその気持ちに全力で応えます。必ず修行を完成させるようにと願って戒名を贈ります。

師と弟子と、その2つの思いが合わさって形を成す戒名。だからこそ意味があり、有り難いのです。

というわけなのですが、納得できたでしょうか?ちなみに、どうしても自分で戒名をつけたいというときは、菩提寺の和尚と一緒に考える、という手もあります。それなりの信頼関係がないと受けてもらえないと思いますので、日頃のお付き合いもなしにいきなり相談するのは控えた方がいいと思いますが。

戒名をいただくだけなら、出家せずともお授戒に参加するとか、生前授戒をしてもらうとか、方法はあります。いずれにしても菩提寺の和尚さんに相談することになります。そこで相談したからお布施が必要とか、そういうことはないです。お布施したければいくらでもされたら良いですけれど。お布施をすることは、仏教的には良いことだらけで悪いことは一つもないです。お寺でも喜んでくれますから、金額の多少にかかわらず、お布施を是非に。

(同じ曹洞宗の僧侶の皆さんへ。だいぶざっくり書いてますので、いろいろ指摘したいところがおありと思います。何かしらの手段でぜひお願いします。誤解されて伝わるようなことがあってはいけませんから、修正する気は満々です。よろしくお願いします。)

——————————

基本的に毎日noteを書いてます。
何か共感できる内容がありましたら、ぜひSNSでシェアしてください。喜びます。
はてなブログで毎日「書き続ける!住職の平常心日記」を書いてます。
Bloggerでブログ「もばいる坊主」も書いてます。趣味的な内容ですが、一度覗いてみてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?