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融けるワークライフ

かなり久しぶりの投稿になるが、その間にコロナ禍によるリモートワークの浸透が進み、我々の働き方は大きく変わってしまった。

以前は「ワークライフバランス」などと叫ばれていたが、それも遠い過去のように思える。

通勤という儀式がなくなり、普段生活している環境(つまり自宅)で仕事をすることで、ワークがライフに内包されていることがより実感できるようになった。

ワークとライフの壁はすでに融けて無くなってしまった。

どれだけリモートで会議をしていようと、子供が帰宅してインターホンを鳴らしたら対応しにいかなければならない(まだ小学一年生なので、鍵を渡しておらず、家の者が開けないと帰ってこれない)

どれだけ集中して作業をしていようと、リビングで子供たちが泣き出せば、間に入って何が起こったか?を聴取しなければならない(小学一年生&幼稚園年中の姉弟で、喧嘩や小競り合いはしょっちゅう起こる)

いろいろな事態が家で起こるたびに「これは親が一人で対応するには忙しすぎるな」と思う。何よりも、ディスプレイ越しの仕事における自分と、家にいる家族の一員としての自分を天秤にかけると、後者のほうが圧倒的に替えが効かない「自分でないといけない」シーンである。

自分の仕事における存在の軽さを感じるが、別にそれに絶望するわけでもなく、家族(父親)としての重責を感じるわけでもないが、単純に「人としての有り様が変わったなぁ」と感じる。

その中で自分がどうするか?どうしたいのか?は答えないといけない問いなのだが、少なくとも一つの会社に自分の人生をフルコミットするような姿はまったく想像できない。

そのような重厚で軸のある生き方ではなく、もっとカメレオンのように柔軟でその時々にあわせて様々な手段を取れるような生き方をしていくんだろうなぁと予感している。

Cover photo by Erol Ahmed on Unsplash

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