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昭島市 アキシマクジラに関するスポットとアキシマエンシス「ギョッ!?とするような魚たち~化石が語る多摩川の海水魚!?~」ですよ

まだTwitterの凍結も解けませんし1ヶ月後のイベントの準備をしなければいけませんが、記事もやっていきましょう。

2年半前に見学記事を書いた昭島市の図書館兼郷土博物館「アキシマエンシス」ですが、

そのときに展示されていなかった、多摩川で発見された魚類化石の特別展があるというので1月29日に行ってまいりました。

また、前回は昭島駅からまっすぐアキシマエンシスまで往復しただけで昭島市内のアキシマクジラに関する場所、発掘地点やモニュメントなどはあまり見ていなかったので、今回はそちらも先に見ています。

アキシマクジラが発見されたのは60年以上も前のことになりますから、その当時からあったものやアキシマクジラに関するモニュメントなどはだいぶ古びてしまっていますが、アキシマクジラ生息当時と比べれば「たった今、東京湾が大きく退いて多摩川が今の位置に落ち着いてから」見付かったばかりであるということが実感されました。

また特別展では多摩川で発見される魚類化石が現在の東京湾にいるものにかなり近いことが分かり、水族館、特に東京湾の魚を集中的に扱っているしながわ水族館や葛西臨海水族園をまた新たな目で見ていくことができそうです。学芸員のかたに詳しいお話を伺うこともできました。

さらに、常設展示もかなり入れ替わっていて、化石の種類は減ったものの依然として網羅的なうえに、解説が増えて細かい年代の経過なども見ることができるようになりました。

東京の古生物学や地質学を学ぶ上でますます重要な場所になっていきそうです。

東中神駅周辺 初期の盛り上がりの痕跡

昭島駅の2つ前、東中神駅に着いたところで「くじらロード」の看板が見えたので飛び降りました。ここもできれば見ておきたかった場所で、もちろんアキシマクジラ発見にちなんで名付けられた商店街なのです。

1本の道ではなくこのあたり一帯がくじらロードなのですが、公営住宅の1階部分にしつらえられた商店の大半が閉店になってしまっています。どうも去年いっせいに店仕舞いになってしまったようです。
看板はとてもきれいにしてあるのですが、建物やアーケードの造りはいかにも高度経済成長期らしく、またこのときだけなのか、街そのものがとても静かでした。

「あきちゃん」「たまちゃん」と名付けられた石像です。アキシマクジラはコククジラにごく近縁ですが、先のくじらロードの看板と同じく「いわゆるクジラの図像」ですね。

しかしこのくじらロードの一角にある休憩所のようなスペースに飾られたレリーフは、むしろザトウクジラに似せているような気がします。

コククジラが珍しい種類で研究があまり進んでいないのに対して、ザトウクジラはかなり人目につく、それこそ「東京都内」でも見ることができるクジラです。きちんと資料を見てクジラを作ろうとしたらザトウクジラになってしまった、というのも無理もないのかもしれません。
それでも喉の様子など姿にかなり違いがあるので、新しく作られるものはできればコククジラの姿を踏まえてほしいところではあります。

多摩川とアキシマクジラ発掘地点 ここが川であるという今

東中神駅周辺から30分ばかり南に歩きまして、多摩大橋に辿り着きました。

橋から上流側、アキシマクジラ発掘地点の方角の風景です。アキシマクジラ生息当時はこの風景の大半が海だったのです。

川にはコガモの群れの姿が見られました。クジラが現れることもある海だったところが川になってしまってから、クジラよりも起源の古いカモが住んでいるのが面白いですね。
(鯨類はパキケトゥスから数えると5300万年前から、カモの仲間はヴェガヴィスなどから数えると6600万年前から)

河川敷は「くじら運動公園」と名付けられ、野球やサッカーのコートになっています。大勢の利用者で賑わっていました。皆さんアキシマクジラをそこまで意識することはないでしょうけれど、公園の名前を聞いたり言ったりするときに頭の片隅にあるかもしれません。

運動公園の片隅の、賑わいが小さく聞こえる小道を抜けて、アキシマクジラが発見された八高線鉄橋・橋脚付近が見えました。

今は新しく運び込まれたらしき砂利などで覆われていますが、そもそもどんな川で見付かったのかということがよく分かります。

下流と比べると浅くて静かです。

あっ恐竜類だ。

この鉄橋は1931年に建造されて以来同じ橋桁を使っているそうです。

アキシマクジラが発見された1961年時点で30年、今からはじつに90年以上前に建てられた、くじらロードどころではなく古びた橋……ですが、そもそも「南北方向の橋がある」つまり「ここにあるのは東西方向の川である」ということ自体、アキシマクジラがここに打ち上がったときに「ここは南北方向に伸びた砂浜であった」ということと非常に大きく異なります。
つまり、この橋もそれを見ている私自身も、川の働きで関東ローム層がはがされてアキシマクジラの化石が発見されたことも、ここが川になったという出来事に従属する立場でしかないという意味では、全て地質学的に言って「たった今」のものなのです。

水の中に今のここの住人の姿がありました。

2019年に設置されたアキシマクジラの解説板がありました。アキシマエンシスもこの1年後にオープンしました。発見から70年経っていても「今」発見されたものなので新しくできることはたくさんあるわけです。

しかし隣に何か鉄車輪が。

太平洋戦争終戦から9日目の朝、鉄橋の上でひどい衝突事故が起こり、そのときに脱落したと見られる車輪が2004年に碑として設置されたとのことです。
事故から59年も経ってからやっと碑が設置されたのは、戦後の混乱の中で起こった事故の残骸が80年代まで残っており、2001年になって川の中州から車輪が発見されたためのようです。(こちらのサイトを参考にしています)

この事故も戦争に関する混乱も、「今」のものとして受け止めなければならないのでしょう。

アキシマエンシス 特別展「ギョッ!?とするような魚たち~化石が語る多摩川の海水魚!?~」

食事を含めて1時間半、けっこうかかりましたがアキシマエンシスに辿り着きました。(何かしらの交通手段のご用意をお勧めします……。)

「化石調査相談サービス」っていうのも行っているんですね。

こちらが特別展の会場です。思ったより化石標本の数があります。
多摩川は意外と多くの化石を産出しているようですね。昭島市内だけではなく日野市や八王子市、川崎市などの化石も多く含んでいます。
一部を紹介していきます。

日野市で発見された約200万年前の硬骨魚類の椎骨です。硬骨魚類の椎骨は前後の関節面が凹んでいて、アキシマクジラのような鯨類の椎骨の関節面が平らなのとは違っていることが示されます。……小型の鯨類の可能性を一応考えなければならないくらい大きいものも発見されているわけです。

日野市で発見された約140万年前のニシン目に属する魚類の、ほぼ全身がつながった状態で残った化石です。

左は日野市で発見された約160万年前の鰓蓋の化石です。断片的ですが、右の現生のボラの骨と比べれば、ボラ属であることが明らかになります。
ボラといえば今の東京湾にそそぐ川の河口近くでよく見られる魚ですから、まだ海だった頃の多摩川にボラの一種が生息していたことはかなり生々しく実感できます。

昭島市、アキシマクジラ発掘地点近くで発見された、約200万年前の魚類の椎骨です。全長は推定1~2mになるとのことです。アキシマクジラが誘い出されてきた海の姿が見えてくる気がしますね。

川崎市で発見された約140万年前のキダイ属の頭骨です。やはり属まで特定されると今の魚類とのつながりが色濃く感じられますね。

日野市で発見された約200万年前のノコギリザメ科の吻棘(ノコギリのトゲ)です。……深海性のはずなんですが、日野の位置ではそれほど水深があったということでしょうか。それとも抜けた棘だけ流れ着いたのでしょうか。

八王子市で発見された約200万年前のゴンズイ科です。胴体がよく繋がっていますし、ゴンズイ科の化石は世界的にも唯一だそうです。

これはしながわ水族館で2020年に撮影したゴンズイです。このように水族館でもかなりよく見かける魚ですし……、

これは2012年に浜名湖の弁天島で撮った写真です。本来はこのように人の頭ほどの密集した群れを作るのです。特徴的、というか異様だったため適当に歩いていても気付くことができました。
こんな身近で特徴的な海水魚の化石が多摩川で発見されているおかげで、海だった頃のことがますます生々しく感じられます。

多摩川流域で魚類化石が発見された位置の地図です。左下のポイントでカタクチイワシ(これもゴンズイよりさらに身近な魚ですね)らしき魚の密集した化石も見付かっています。
解説を行ってくださった学芸員のかたによると、この位置は八王子の住宅街を流れる小さな小川で、とある親子の報告により明らかになったポイントだとのことです。
そんな場所で近年まで誰にも気付かれなかった化石が新たに発見されるとは驚きです。いかに先入観のない目で見る必要があるかということなのでしょう。

他にも魚類に限らず多摩川の化石について色々と教えていただきました。

アキシマエンシス 常設展示 水域の変遷と展示の変遷

アキシマクジラは浜辺に打ち上がって化石になったようですが、そこがぴったり海岸線だったとしたらなんだか変な感じですよね。そんなに正確に太古の海岸線の位置がわかるでしょうか。

実際、長い時間をかけて海岸線の位置が変化しているわけで、地層の堆積の様子も変わっていきます。

小さな化石を並べる標本ケースに地層の分布と年代順を示すパネルが追加され、展示されている標本自体もこれに沿って選出されたものに絞られていました。
展示点数が減り、見られなくなってしまった種類もあるものの、なぜ陸の化石も見付かるのかという理由や、全体の陸から海へという変化がよく分かるようになりました。

西部の加住層ではこのオオバタグルミや、ナラガシワ、ハンノキといった樹木、昆虫やシカなど、陸上の生き物の化石が発見されています。

アキシマクジラが発見された小宮層は浅瀬の生き物が中心のようです。その中でもアキシマクジラの食べ物に関係がありそうなのはこの何かの巣穴の化石です。甲殻類の巣穴だったようです。

多摩大橋のあたりの福島層ではまた別の海生哺乳類の化石が発見されています。

大型化石のケースにも入れ替わりがあってアケボノゾウの幼体もこっちに来たりしていましたが、このアキシマクジラ頭骨のレプリカが特に注目です。
右のほうに見える複数の骨が組み合わさったところの形が現生のコククジラとの最大の違いで、ここが違う以上アキシマクジラはコククジラの直系の祖先ではなくあくまで近縁種……親子のような関係ではなく兄弟のような関係であるということになるのです。
鼻孔の後ろの位置なので生きていたときの見た目に何か関係があるとしたら鼻孔周りの出っ張りかただと思うのですが、どっちがどういう形だから性質や行動の違いがどうだと言うのは難しそうですね。

本棚に組み込まれた展示も大きく入れ替わっていました。テフラというのは火山灰や軽石など火山から噴出したものが堆積したもののことです。多摩六都科学館でもローム層の火山灰について見ましたが、テフラは年代の基準になるということで、多摩の化石についてみていくならやはり火山灰もかなり関係してきそうです。

図書館でもあるので前回に見た鯨類の骨学についての本でコククジラの特徴を確認してアキシマクジラと比較しようとしたんですが、貸し出し中なのか本棚にありませんでした。
クジラについての高度な感じの本が昭島のかたに借りられて読まれているとしたら、古生物ファンとしてはちょっと嬉しいことです。

また展示の入れ替えがあるとしたら見逃したくないので、アキシマエンシスがちょっと油断できない存在になってきました。

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