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なぜけものフレンズを嫌いにならないのかだと?

そういう問いかけをするツイートをこの前見まして。

それに対するリプライは主にどちらかというとけものフレンズが好きな理由というべきものが多く、質問者の意図とはおそらく異なるものでした。

当該のツイートの話題はもうすっかり収まっていますが、ここで改めて自分の答えをまとめておこうと思います。

結論から言うと、「自分はアニメけものフレンズ1(以下、けもアニ1)以外のけものフレンズにあらかじめ慣れており、アニメけものフレンズ2(以下、けもアニ2)のけもアニ1との違いは自分のけものフレンズ観にしっかり収まるものだったから」です。

順にけものフレンズ観について説明していきます。

けもアニ1とけもアニ2の対比

けもアニ1は誰もが予想もしなかった名作であり、そのインパクトは絶大でした。そのため多くの人々の中でけもアニ1が大きな存在となりました。

けもアニ2にはそのけもアニ1をあえて批評する内容が多く盛り込まれています。

ざっくり言うと、けもアニ1の結論が「人間と動物は友達になれる」というものだったのに対して、けもアニ2では「それは人間があくまで動物(フレンズ)であることに徹したからであって、動物(フレンズ)ならざる人間は本当に動物と友達になれるのか?」という問いが繰り返されました。

特に明確に対比できる点を挙げると、絶滅種の扱いがあります。

けもアニ1では第5話で、かばんちゃんがオグロプレーリードッグさんに「きっといいけものでありますよ」と言われた矢先に、人為により絶滅した種と野生絶滅した種、オーロックスさんとアラビアオリックスさんのコンビに因縁を付けられ、第5話が終わります。あわや絶滅種の人間に対する恨み爆発かと思われたものの、第6話ではその因縁が単に縄張り争いからくるものであることが明らかになり、話の中心はすぐにライオンさんに移ります。

絶滅種のフレンズがヒトという種のことをどうとも思っていないというのはネクソン版から変わらない設定であり、これに限らずフレンズというものは自らの種に対する人間の行いを全く咎めず、ただ「そういうことがあったと登場のタイミングや言葉の端々、キャラデザイン等でほのめかす」ものなのです。けもアニ1におけるオーロックスさんとアラビアオリックスさんの登場もこのようなオブラートに包まれたものです。

これに対して、けもアニ2ではこのオブラートがごく薄く、また物語のあらすじにダイレクトに結び付けられていました。

第10話にて、まぎれもない人為絶滅種であるリョコウバトさんが(まるで蛮族のようだったオーロックスさんとは対照的に)フレンドリーに現れ、すっかり打ち解けたかと思ったら、話の後半ではキュルルちゃんに「パーク中旅してきたけれどヒトの住んでいるところは見たことがない」と、逆にヒトがパークからいなくなっていることを告げるという重大な役目を果たすのです。

こうして並べてみると、リョコウバトさんの描写はまるでオーロックスさん・アラビアオリックスさんコンビにおける人為絶滅のほのめかし方が手ぬるいという批評であるかのようです。

こうした批評的な内容が多く盛り込まれているため、けもアニ1が自分の中で大きな存在となっていた人からはまるでけもアニ2の内容がけもアニ1を否定するものに見えたようです。

けもアニ2はけもアニ1を批評するものなのでけもアニ1とは「別物」であり、けもアニ1だけが(それまでの)けものフレンズだと捉えた場合、けもアニ2とけもアニ1の違いは非常に際立ちます。

あくまで、けもアニ1だけがけものフレンズだと捉えた場合、です。

アニメ以外のけものフレンズの作品

けもアニ1の放送からけもアニ2の放送まで、けものフレンズプロジェクトは作品を何も送り出してこなかったわけではありません。

特筆すべきは舞台版です。

舞台版第1作(以下、舞台1)こそ、主にけもアニ1から構成されていた私のそれまでのけもフレ観に再構築を迫るものでした。

舞台1の冒頭で、今作のサーバルちゃんの相棒はオカピちゃんであり、かばんちゃんは登場しない、というかサーバルちゃんの記憶にもないことが明らかになります。

このとき、私は舞台版の世界ではすでにアニメ版のサーバルちゃんやかばんちゃんが「いなく」なっていることを悟り、非常に動揺しました。舞台1の公演時点で、けもアニ1のガイドブックの内容からフレンズが「世代交代」するものであり、いなくなったり、また同種の新たな個体が記憶のない状態で現れたりすることが明らかになっており、ネクソン版やフライ版のフレンズ達だけでなくけもアニ1のフレンズ達もそれをまぬがれなかったということになるのです。

加えて、舞台1の内容はけもアニ1の基準から考えれば全く自由奔放、中の人ネタあり、時事ネタ・現実ネタあり、皮肉・暴言ありと、正直に言うとけもアニ1に慣れていた自分には落ち着かないものでした。

それでも、舞台1は間違いなく「けものフレンズ」であり、私は全く新たな「けものフレンズ」を楽しむことができました。

続く再演版・イコラブ版・舞台2もまた同様です。これらのシリーズはアニメ版の人間と動物が友達になれるかどうかというお話とはテーマからして全く違いますが、人間がパークに遺した遺産をフレンズがどうこうするというアニメ版との明確な共通点もあります。

先程の図に付け足すとこうです。

アニメ版の中の違いが舞台版との違いと比べると格段に小さいことにご注目ください。けもアニ2よりずっと先に舞台1によって、私のけもフレ観がけもアニ2どころではない変革を迫られたというわけです。

そしてそもそも「最初のけものフレンズ」とは私が逃してしまったネクソン版アプリであり、しかもその次にフライ先生によるマンガ版(フライ版)があります。

さらに「けものフレンズぱびりおん」「けものフレンズFESTIVAL」「けものフレンズあらーむ」といったアプリがあり、「けものフレンズアワー」「ちくたむ動物図鑑」「PPPのゆるぺぱ!」、キャラクターソング集、ライブといった声優コンテンツ、フィギュアシリーズ「かぷせるフレンズ」や動物園コラボもあり…

適当に並べたこの図もけっこう取りこぼしてると思います。本稼働前の「3」も入ってないですしね。

しかも私の最推しフレンズであるエランドさんがですね、

動物園コラボでたっま~~~~にパネルが出てくるだけなんですよ。

フレンズって1つの作品だけで紹介しきれないほどたくさんいますからね。そんな中アニメだけがけもフレだとは私にはとても。

そもそもこれ全部「けものフレンズ」の枠内ですから

それでもアニメしか見てないからアニメの間だけの違いでしか論じられないといった事情でアニメ版の中の違いを重視するかたもいらっしゃるとは思いますがね。

もっといろんな作品を見ましょう。綺麗なものを探しに行こう。美味しいものもたくさん食べよう。

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