ルネ・ヴィヴィアン|死の虹
Text|Seiji Shimada
底本|Renée Vivien, Du Vert au Violet (Paris : Alphonse Lemerre, 1903)
*
上写真佐分利史子カリグラフィ作品
*
上写真Du Vert au Violet 「架空のアブサン酒〜限定版シリーズ」より「緑色」
*
上写真Du Vert au Violet
「架空のアブサン酒〜限定版シリーズ」より「橙色」
*
上写真Du Vert au Violet
「架空のアブサン酒〜限定版シリーズ」より「菫色」
*
ルネ・ヴィヴィアンについて——
「ボードレールの娘」、「1900年のサッフォー」、これらはルネ・ヴィヴィアンに与えられていた異名である。1901年に処女詩集を出版し、1909年に32歳の若さで亡くなるまで、彼女はパリの文壇で名の通った詩人であった。しかし、そのゆるやかな悲しみと退廃の菫が香る詩の数々は、わたしたちの国では多く知られているわけではない。わたしが彼女に“出会った”のも、ナタリー・バーネイ、コレット含むベル・エポックの強き女性たち——失われしサッフォーの娘たちを探究していたときのことだった。フランス文学史の片隅に、菫の香りだけを漂わせ、その姿を見ることができない、まるで幻のような詩人。ここではそんなルネ・ヴィヴィアンの生涯——菫の実体を追っていこう。
ポーリーヌ=メアリ・ターン、後のルネ・ヴィヴィアンは、1877年に裕福なイギリス人の父とアメリカ人の母のもとロンドンに生まれ、幼少期をパリで過ごした。9歳のとき、父の死をきっかけにいったんイギリスへ戻るが、1898年に再びパリに渡った。彼女を出迎えたマルセル・ティネールは、このように彼女を評したという。
ボワ・ド・ブーローニュ通りの23番地に住まいを定めたヴィヴィアンは、幼馴染のヴィオレット・シリトーと再会したほか、その繋がりで“誘惑者”ナタリー・バーネイと劇場の桟敷席で宿命的な出会いをはたす。書物を友とする、博学で知識欲旺盛なひとりの詩人は、こうして、燃えるような恋を知った。
ヴィヴィアンは当初、R・ヴィヴィアンという性別不明の筆名で詩集を出版していたが、1903年以降はルネ・ヴィヴィアンの名前で詩作を行ってゆく。当時としては珍しく、女性であること、同性愛者であることを公表しての活動だった。遥かギリシアのサッフォーに心酔していた彼女は、詩にその美学をあらわしただけでなく、同じ理想を夢見るナタリー・バーネイと一緒にオリエント急行に乗ってレスボス島へ旅立つなど、サッフィズムの実践者でもあった。絶えず旅とともにあったヴィヴィアンはほかにも、ヨーロッパの枠を越えて、東洋やハワイ、そして1907年には日本にも訪れている。しかし、その頃すでに肉体の衰弱が進んでおり、2年後の1909年、ヴィヴィアンはカトリックへ改宗したのち短い生涯を終えた。死の原因は詳しくわかっていないが、晩年に彼女が自らの作品を買い戻し、人々から忘れ去られることを願っていたのは事実である。
ところで、ヴィヴィアンにとって重要なモチーフである「菫」。この花は1901年に亡くなった幼馴染のヴィオレットに関係している。彼女の死後、ヴィヴィアンは自らの邸を菫の花でいっぱいにし、蔵書にはすべて菫色の装丁を施し、自らをも菫の花で飾った。わたしたちはヴィオレットの存在を、ヴィヴィアンの詩のなかに香る菫として、いまも仄かに感じることができる。
*
≪L’ARC-EN-CIEL DE LA MORT≫について——
上写真|Renée Vivien, Du Vert au Violet (Paris : Alphonse Lemerre, 1903)霧とリボン所蔵
“死”にかんする三つの詩。死に色があるなら、こんな色なのだろうか。もともと虹とは幸運の象徴であるはずなのに、ヴィヴィアンにとっては生と死のスペクトラムであるらしい。
まず、全体を通して言えるのはフランス語における時制の「大過去」(過去形のさらに過去形)を多く用いて、時間の流れに重層的な印象をもたせていること。そしてほとんどの文が過去形で書かれているため、詩のなかで起こる出来事はすべて終わっているということだ。まるで、菫の残影だけがそこにたちこめているような情景である。
緑色は、若さや青々した植物の色であると同時に、危険を秘めるアブサンの色でもある。あらわれる登場人物は「水」「少女」「緑色」。「水」と「少女」は惹かれあっているが、「緑色」が突如として少女の命を奪う。けれども、「緑色」が決して悪いものと思えないのはなぜだろう。あくまで個人的な見解だが、最初に出てくる「緑色」はdes Vertsと複数形になっているところ、それらが「水」と「少女」を取り巻く人々を喩えているのだとしたら。多くの少女たち、とりわけレスボスの魂もつ少女たちは、大人になるとき周囲の習慣や常識とぶつかるものだ。ときに、それは死に結びつくことさえあり……
二連目は、雰囲気ががらりと変わり、アンバーやムスクが濃く香るような官能の詩句である。橙色は、熟れた果実の色であり、夕暮れの色。ナタリー・バーネイと情熱的な恋に落ちたヴィヴィアンの姿が、ここに逸楽の骨頂として描かれているようにも思える。生の頂点である一瞬は、裏を返せば死への入り口だ。生が、退廃的なムードのなかでゆっくりと死へ繋がっていく、その瞬間をヴィヴィアンは詩によってとらえたのかもしれない。
そしてとりわけ、“現実”が影を落としているのは三連目の「菫色」だろう。「アイルランド」や「キャスリーン」といった固有名詞が、わたしたちの世界と繋がる管の役割を果たし、詩句の現実性を強調している。倦怠や不安が紫煙のようにたちこめるなか、「la Vie(生)」という言葉が大文字であらわされ、ネオンのように浮かび上がっていることにもお気づきだろうか。同じく大文字で書かれているのは「Vert(緑色)」、「Fées(妖精たち)」。ここでの緑色はどことなく生命を感じさせ、反対に菫色は死の象徴である。死の虹は、菫色をもってそのスペクトラムを終えるのである。
“un lit de violettes”——菫の寝台、いやむしろ、菫でできた寝台と訳した方がよいだろうか。キャスリーンがそこに伏せるさまは、晩年のヴィヴィアンが菫の花束を胸に抱き自死をはかったエピソードを彷彿とさせる。19世紀のフランス文壇を退廃の美酒で満たした「呪われた詩人たち」の例にもれず、ヴィヴィアンもまた、その死生観が詩句のひとつひとつに色濃くあらわれている。彼女にとって、死とは甘美な誘惑であり、その色が菫色——この詩が書かれた2年前に亡くなった、幼馴染のヴィオレットを象徴する色をしていたことは、きっと偶然ではない。
参考文献|
ジャン・シャロン著,小早川捷子訳『レスボスの女王 誘惑者ナタリー・バーネイの肖像』国書刊行会,1996
ルネ・ヴィヴィアン著,中島淑恵訳『ルネ・ヴィヴィアン詩集 菫の花の片隅で』彩流社,2011
*
*
作家名|佐分利史子
作品名|死の虹〜Ⅲ.菫色
アルシュ紙・ガッシュ
作品サイズ|27cm×38.5cm
額込みサイズ|29.5cm×40.5cm×2.4cm
制作年|2021年(新作)
*
ブランド名|Du Vert au Violet
作品名架空のアブサン酒〜限定版シリーズ
*
詩|ルネ・ヴィヴィアン
訳|嶋田青磁 *本邦初訳
絵画|永井健一
ポプリ&装飾|霧とリボン
*
封入物|
絵画(アクリル・NTラシャ紙)
原詩と訳詩(ロール状・リボンリング留め)
ポプリ入りペーパーサシェ(天然原料のみ使用/0.5g入×3個)
制作年|2021年(新作)
*別ショット画像、各サイズや材料などの詳細はオンラインショップに掲載しています
*本物のお酒ではありません。
*
ブランド名|Du Vert au Violet
作品名架空のアブサン酒〜限定版シリーズ・3種
*
詩|ルネ・ヴィヴィアン
訳|嶋田青磁 *本邦初訳
絵画|永井健一
ポプリ&装飾|霧とリボン
*
封入物|
絵画(アクリル・アルシュ紙・イラストボード)
原詩と訳詩(ロール状・リボンリング留め)
ポプリ入りペーパーサシェ(天然原料のみ使用/0.5g入×3個)
制作年|2021年(新作)
*別ショット画像、各サイズや材料などの詳細はオンラインショップに掲載しています
*本物のお酒ではありません。
*
↓モーヴ街MAPへ飛べます↓