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働き方は自分で決める②

学校環境は上に立つもので良い方にも悪い方にもいくらでも動くものなんだと今となっては感じることがたくさんある。

初任で働いた学校は、当時でこそ文句たらたら働いていたが、去ってみると、本当に素敵な環境とたくさんの機会をいただいて、本当に良かったと感じることがたくさんある。

同期が14人もいたこと
その半分以上の人間が前年度より常勤で働いていたこと

最後の3、4年はその学校に勤務し出した時に同じく転勤されてきた先生が大体分掌部長にいたのだが、みんな良いベテランで、ちゃんと管理職にもいうべきことは言うし、管理職の顔色を伺ってゴマスリをするタイプではなくしっかりと噛みついていくタイプの先生がほとんどだった。

帰りたい時はしっかり帰ろうぜ!と
そんな雰囲気がしっかりとあり。
職員会議がある前の、分掌部長など、役職のついた教員だけが出る企画会議
10年も前ではあったが、連絡事項は全てパソコン上にデータを入れてあるので、各自お目通しください。の一言で済んでいた。この学校では職員会議資料は前日までに全てデータが入っているのが当たり前だったので、朝のうちに全て読むことができた。

なので、分掌部長ほど、こないだ一回話聞いてるからいらない!といって
出ない先生が多かった。笑  ←ここには賛否両論あるだろうけども私は大賛成である。
連絡のみで案件でないならば、特に必要もないから。

パソコンで朝のうちに確認できることは、子供がいて早く帰る教員にとってもとてもありがたかった。必要なことは朝のうちに確認してやるべきことを帰るまでにやって帰れるから。とても助かっていた。

そう。後に働いた学校で一番モヤモヤして、イライラしていたのは
とにかくみんな時間にルーズ
時間通りに会議は始まらない
16時から会議やるよと言えば、16時に席を動き出す。

この学校では会議が始まるとなれば5分前には必ず誰か、司会や記録に当たっている人が準備をして、配布資料、レジュメ、席の準備を終わらせていて、時間通りに始まっていた。誰かを待つ。なんてありえなかった。

当日、その場でバタバタと資料が配られるなんてなかったのです。

だからこそ、色々なことがしっかりと回っていたのだと思う。

17時に打刻をして帰ることを「5時ピ!」と言ってたが、みんな毎日それに必死だった。

アフター5をしっかり楽しもうの風潮が存在した。

いいことばかり書いているが、この学校での仕事は今思い返しても、一番ハードだし、本当に過酷ではあった。

朝から、保護者との電話対応にほぼ毎日のように1時間
毎日児相と電話
毎日家庭訪問
毎日ポスティングと手紙と書類等の受け渡しを新聞受けを通してのやり取りのみ
この全てが毎日のように行われる毎日を過ごした1年間もありました。
眠れなくもなったし、夢でうなされるようにもなった。
毎日毎日緊張状態で夜中に失禁するようになった時期もあります。
それでも、今、楽しかったと思えるのは、一緒に働く教員が本当に良かったからだと思うのです。

同じようなしんどい思いをさせてはいけない
来年度も同じようなことを繰り返さないために、この年度で終わらせなきゃ

そんな風に思えたからこそ
頑張れた。

オンとオフの境目がみんなしっかりあったように思います。
ただ。これは独身だからできたこと。

結婚して、子供ができて、復帰するに向けて、復帰してからを次は書いていきたいと思います。

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