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鉄の扉

ひきこもりと言っても、その人それぞれである。
果たして、ひきこもりなのか?と思ったりもする。

わが子は25歳。
部屋も綺麗だし(私の方がぐちゃぐちゃ)、お風呂もきちんと入るし、働いている両親のためにご飯も作ってくれる。
定期的に掃除機もかけてくれるし、洗濯もしてくれる。

ただ、その他は寝てしまう。
体力がギリギリなのか、やることがないから寝てしまうのかそれはわからない。これがひきこもりなのかと問われれば、ひきこもりには違いないのかもしれない。

ひきこもりには違いないけれど、最近思うことは
「就職」という扉が、鉄の扉のように重たいのではないかな、ということだ。
会社、組織に入ることに抵抗感。
だからといって、他のことに挑戦する力もない。

甘えだなんだかんだ言われるかもしれないのは当の本人がわかっているはずで、そこでもがいてしまっているのかもしれない。
でも、動けない。
そして、動かないことにもある程度慣れてしまっている。

そして、問題なのは、何も話さないことだ。
自分の気持ちを話してくれないことには、私たち親も答えようがないのだ。
話したくないという雰囲気はうかがえない。
なにも浮かばない…というようにみえる。

彼には、晴れやかな日も灰色か無色の風景にみえるのだろうな、と思う。

親って無力だな。
ここ何年もそう思う。
ひきこもりする本人もつらいと思うけれど、親もつらいということは確実にある。
誰に相談しても、的を得た答えなんて返ってくるわけではない。
だって、人それぞれなのだ、ひきこもりの内容が。

私も一時、思考が止まってしまったことがある。
何年も動けなかった。
そこを脱せることができたのは「書くこと」だった。
書いて書いて、心のアウトプットできてから、それからはいろんなことが大丈夫になっていった。

同じように、書くこともすすめてみた。
でも、私がそれで治ったからといって、彼に効果があるかというと、そうでもないということだ。
結果論として、私はそれで直っただけにすぎないから。

うちの子はいわゆるHSPに該当するんだと思う。
とても繊細で、言われたことに必要以上に気にするし、ずっと覚えている。
察し能力が高い。
今は、後ろめたさも加わって、マイナス思考が働く。
相当疲れるんだろうな、って思う。

こういうことが毎日で、
ただ、これからずっと同じような環境にはいられない。
親はずっとは生きていないし、ここに住み続けるわけでもない。
否が応にも環境の変化に対応してゆかねばならない。

ひきこもりと一概に言っても、その子それぞれ。
ひきこもりの会、とかきっと世間にはあるだろうと思うけれど、「ひとくくり」してよいものなのか?と思ったりする。

私の願いは、ただひとつ。
笑って生きてほしい、ということ。
どうやったら、すこし「今日はよかった」と思える日がくるんだろう?
そう思っている。模索している。

今この投稿をスタバで書いているけれど、
ここにいる人たちが皆、満足度高く生きているなんて思えない。
なにかしら悩みもあって、しんどい中で過ごしているはずだ。
ひきこもりの子は、その基準が少し高いだけなのだと思う。

どうしたら、昨日より「まし」な日になるだろう。
重たい鉄の扉。
この扉じゃなくていい。
他の開けれそうな扉を開ければいいな、と思う。

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