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2023年7月16日-21日のinstagramまとめ——歴史人類学から「新しい歴史人類学」へ

 こんにちは。もう各所梅雨明けしたようですね。本格的な夏幕開けということですが、今年は例年よりも暑いそうなので、夏バテ予防はもちろんのこと、日焼け等にも気を付けていきたいところです。にしても、暑いのはいやだな……。はやく10月くらいの気温になってほしいものです。

 それはさておき、さっそく本題へ。今回は、人類学の名著かつ古典にあたるような本を6冊取り上げました。大雑把にいえば前半は山口昌男関連、後半は歴史学にとくに影響を与えた著作ということになるかもしれません。



今週の6冊

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 それではとりあえず6冊を列挙してみます。
 ①山口昌男『本の神話学』(岩波現代文庫、2014年)。
 ②中村雄二郎・山口昌男『知の旅への誘い』(岩波新書、1981年)。
 ③バーバラ・バブコック編『さかさまの世界——芸術と社会における象徴的逆転』(岩波書店、1984年)【原著1978年】。
 ④ベネディクト・アンダーソン『越境を生きる——ベネディクト・アンダーソン回想録』(岩波現代文庫、2023年)。
 ⑤E・E・エヴァンズ=プリチャード『新版 ヌアー族——ナイル系一民族の生業形態と政治制度の調査記録』(平凡社ライブラリー、2023年)【原著1940年】。
 ⑥ヴィクター・ターナー『儀礼の過程』(ちくま学芸文庫、2020年)【原著1969年】。

簡単なレビュー

 まずは①について。
 こちらはもともと1971年に刊行された本であり、その岩波現代文庫版にあたります。ひところ山口昌男さんの著作が岩波現代文庫にたくさん入っていましたが、現在は品切れになっているものも多いのが残念なところです。本書も例に漏れず品薄状態だったのですが、この8月になんと中公文庫から再び出されるそうです!解説を山本貴光さんが書かれるということで、非常に楽しみにしています。
 ②について。
 こちらは中村雄二郎山口昌男という、1970-80年代の人文学をリードした両者による新書。前半を中村さんが、後半を山口さんが担当しています。
後半の山口さんのパートでは、歴史学をかじったことのある人には馴染み深い、カルロ・ギンズブルグ『チーズとうじ虫』が紹介されています。のちにギンズブルグの著書をたくさん訳されることとなる上村忠男さんは、これをきっかけにして同書を知り、そしてすぐに取り寄せて読んだそう。ギンズブルグをに日本に紹介する立役者の立役者になったという意味においては、歴史学にとってたいへん意義のあった一冊です。

 ③について。
 この本も大雑把に言えば山口昌男さん関連の本です。というのも、本書の解説を書かれている人物こそ、山口さんにほかならないからです。本書のなかでは、祭り異性装、そしてシャリヴァリについて分析がなされています。このあたりのテーマは、1960-80年代(日本ではもう少しあとにブームがきたイメージですが)に熱心に研究されていました。
 祭り、異性装、シャリヴァリに共通するのは、日本の民俗学的なタームで言えばこれらが「ハレ」にあたるものであり、日常=「ケ」と対置されるものだということです。一時的な非日常の世界は、結局のところは、毎年行われている夏祭りとか花火大会とかのように、ある種儀礼として日常に組み込まれているわけですが、しかしながら、この場での憂さ晴らしとか非日常感、あるいは秩序の転倒感といったものは、人びとの暮らしには必要不可欠だろうと思います。

 ④について。
 こちらは『想像の共同体』でお馴染みのベネディクト・アンダーソンによる、自身の回想録となっています。

 最後の⑤と⑥はいずれも人類学の名著&古典として知られている本です。
 ⑤は、イギリスの社会人類学者の大家E.E.エヴァンズ=プリチャードによる、南スーダンのナイル川支流に居住するヌアー族のフィールドワークをもとにしたもの。
 ⑥について。
 こちらもイギリスの有名な人類学者ヴィクター・ターナーによる、アフリカにおけるザンビア、コンゴ民主共和国、そしてアンゴラの国境付近に居住するンデンブ族のフィールドワークをもとにした著作です。



歴史人類学から「新しい歴史人類学」へ

 さて今回は、歴史学とも関係の深い人類学についての文献を紹介したので、ここから先は歴史学と人類学の関係性を考えるエッセイを書いていきたいと思います。
 歴史学と人類学の距離が最も接近したのは、日本においても外国においても、1960-80年代だったと言えます。このときに、歴史学はなぜ人類学との距離を詰めていったのか、そしてそこにはどのような可能性を秘めていた(と当時考えられていた)のかという史学史を、現在のわれわれは知っておく必要があります。
 また、現在は、人類学が人文学において最もホットな分野のひとつとして注目されるようになっていますが、そこで歴史学はもういちど人類学と接近していくようになるのでしょうか。もしかりに接近するとすれば、そこにどのような意義を見出せるのでしょうか。以下では、過去と未来における「歴史人類学」の可能性について、(十分に、とは言いませんがそこそこくらいには)議論していきたいと思います。


1.歴史人類学とは?——成立の過程

 さきほども述べたように、歴史学と人類学は、とくに西洋史の分野においては1960-70年代にその距離を縮め、歴史人類学なる分野がスタートしました。以下では、ピーター・バーク『文化史とは何か』の第3章を参考にしながら、歴史人類学とは何か、その具体的な研究テーマと研究者の名前を挙げていきたいと思います。

 まずは、歴史人類学の成立において重要だった人類学者について触れておきましょう。歴史学にとくに影響を与えたのは、バークが指摘しているかぎりでは、贈与にかんする①マルセル・モース(1972-1950)、呪術にかんする②E.E.エヴァンズ=プリチャード(1902ー1973)、純潔にかんする③メアリー・ダグラス(1921-2007)、バリ島にかんする④クリフォード・ギアーツ(1926-2006)、そして構造主義を代表する⑤クロード・レヴィ=ストロース(1908-2009)といった人類学者です。この5人以外にも、演劇にかんする⑥ヴィクター・ターナー(1920-1983)や農業にかんする⑦ジャック・グッディ(1919-2015)などの名前も見当たります。
 こうやって見てみると、ここで挙げた著者の本は、ほぼすべて日本語に訳されています。過去の研究者・翻訳者の方々に感謝しかありませんね。またちなみに、ここで名前が上がっている人類学者のうち、今回の6冊では②のエヴァンズ=プリチャードと⑥のターナーの著作を投稿してみました。

 上ではただ単に人類学者の名前を列挙したのみですが、ではこれらの人類学者は、実際のところ歴史研究にどのような影響を与えたのでしょうか?こちらもバークの導きに従いながら例を挙げていきましょう。

 まず挙げられるのが、ロシアの中世史家アーロン・グレーヴィチ(1924-2006)です。グレーヴィチは、中世のスカンディナヴィア半島やアイスランドの研究者で、そこで行われていた祝祭や、またサガにおけるさまざまな贈与関係を分析したことで知られています。「贈与」というタームからもわかるかもしれませんが、その裏にはマルセル・モースの影響が見られると言われています。
 次に挙げられるのは、イギリスの近世史家キース・トマス(1933-)です。有名どころでいうと、『宗教と魔術の衰退』(原著は1971年)でしょうか。日本語訳では上・下巻になっていて、どっちも分厚く、まさに鈍器本です(笑)。この本には近世イングランドにおける占星術魔術についての記述があり、そこではエヴァンズ=プリチャードがフィールド調査したアフリカと対比させながら書かれているとのことです(この箇所は未確認です……)。エヴェンズ=プリチャードといえば『アザンデ人の世界』(この本はいま中古値段が爆上がりで5万以上するっぽいですが……)における「呪術」の概念を提示しましたが、これをうまく研究に活かしたのがキース・トマスです。
 そして、その次に挙げるのがアメリカのフランス近世史家ナタリー・ゼーモン・デーヴィス(1928-)です。デーヴィスは本当に重要な文化史家で、このnoteでもガッツリフォーカスして述べたいと思っていますが、なんせ書くのにだいぶ時間がかかってしまっているのでそちらまで手が回っていません……。それはともかく、デーヴィスの特徴を述べるとすると、新しい分野や他分野の動向を積極的に自分の研究に反映していくところにあります。
 例を挙げましょう。いま読んでもまったく面白さが色褪せない『愚者の王国 異端の都市』(原著は1975年)という初期の研究成果をまとめた論文集では、中世フランスにおける「穢れ」の位置に押しやられる人びと(たとえば服染織や皮なめしに関わ人びと、売春婦、あるいは死刑執行人)の分析があります。この「穢れ」への着目こそ、メアリー・ダグラス『汚穢と禁忌』(原著は1961年)の影響であるとバークは述べています。裏を返せば、1960-80年代における新しい着眼点を提供する学問分野のうちのひとつが人類学だったということもできるでしょう。

 また、フランス・アナール学派の第3世代を代表する歴史家エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリ(1929-)とジャック・ル・ゴフ(1924-)も、人類学からヒントを得た歴史学者でした。言うまでもなく、1960-80年代のフランスは、哲学を中心にビッグネームが名を連ねる人文学の中心地だったわけですが、このなかでも人類学の立場から思想界を彩っていたのがクロード・レヴィ=ストロースでしょう。構造主義といえばレヴィ=ストロースであり、デリダから批判されたりしていたことからもわかるように、たいへんな影響力を与える学者でした。あと、大変長生きな学者でもあります。フランスの歴史学は、基本的にはポストモダンなどの哲学や理論をあまり受容しなかったことが知られていますが、レヴィ=ストロースはその例外だったのかもしれません。
 「変化球」的なところでいうと、ロシアの記号学者ユーリー・ロトマン(1922-1993)が挙げられています。ロトマンの「哲学者」の側面に注目した本はありますが、ロトマンを「歴史家」として捉える観点はあまり提示されていないと言えると思います。じつは歴史学にとってもけっこう重要人物なのです。
 それから、日本語訳が存在しないのが残念なのですが、アメリカの西洋中世史家キャロライン・バイナム(1941-)の名前もあげることができます。バイナムの研究は、西洋中世史研究者以外にも読まれてしかるべきなのでどこかから翻訳が出て欲しいところですね。
 最後に挙げられるのは、アメリカのフランス近世史家ロバート・ダーントン(1939-)です。ダーントンといえば、センセーショナルなタイトル『猫の大虐殺』(原著は1984年)で有名です。ちなみに『猫の大虐殺』は論文集なので、タイトルはそのなかのひとつが選ばれているにすぎないのですが、それはさておき内容を紹介すると、これは1730年代フランスにおける印刷工の生活に焦点が当たった論文です。親方と徒弟。印刷工の仕事では親方が徒弟にきつくあたりながら寝食をともにして生活していましたが、徒弟たちは、猫を(ある種象徴的に)使って、日々の憂さ晴らしをしていくという日常を描いています。
 この論文を収めた本は、バークによるとクリフォード・ギアーツとの共同のセミナーから生まれたそうです。まさにギアーツの存在なしには、この名論文は登場しなかったというわけです。

 ここで述べた歴史家と人類学者の対応関係を下の図のように表して見ました。文章で読むと直感的にわかりずらいところがあると思うので、手っ取り早く視覚的に理解するためにご活用ください。

歴史人類学における歴史家と人類学者の対応関係
(ピーター・バーク『文化史とは何か』より作成)

 以上、歴史人類学に関係する研究者たちについていろいろと述べて見ました。ここで取り上げた人以外にも、たとえばハワイ島の研究で著名なアメリカの文化人類学者マーシャル・サーリンズ(1930-2021)や、ドイツ史で流行した「日常史」の代表的研究者であるハンス・メディック(1939-)、さらにはアナール学派の第4世代にあたるフランスの中世史家ジャン=クロード・シュミット(1946-)などの名前をあげることもできるとは思いますが、とりあえずはこのような形で展開したのが歴史人類学であると理解していただいて良いと思います。


2.歴史人類学の射程

 さて、くどくどと歴史人類学の関係者をさらってみたわけですが、なぜ1960-80年代に歴史人類学は流行したのでしょうか。この理由について、これまたバークは以下のように説明しています。

フランスのエマニュエル・ル・ロワ・ラデュリ、タニエル・ロシュ、アメリカ合衆国のナタリー・デーヴィス、リン・ハント、イタリアのカルロ・ギンズブルグ、ドイツのハンス・メディックなどの20世紀後半の指導的な歴史家の多くは、もともとみずからを社会史家と称しており、マルクス主義者ではなかったが、マルクスを高く評価していた。1960年代後半から、文化を社会と関連づける新しい方法を探していたときに、人類学へと目を向けたのだった。

ピーター・バーク『増補改訂版 文化史とは何か』法政大学出版局、2010年、60-61頁。

 ここからわかるのは、歴史人類学がマルクス主義との関係のなかで生まれてきたということです。当時のマルクス主義的な歴史学は、日本における戦後歴史学もそうですが、絶大な影響力を持っていました。しかし、これは悪い言い方をすれば、歴史学がマルクス主義の歴史観をそのまま引きずって後追い的に研究を進めていたわけです。ここになんとか風穴をあけたい、ということで生まれてきた動きの一つが歴史人類学であったのです。歴史人類学をもって、マルクス主義の「大きな物語」に対抗しようとしたわけです。

 マルクス主義とどのように折り合いをつけるか。その回答を用意した歴史学者は、歴史人類学に関係した人びとだけではありませんでした。なかには、マルクス主義の「亜種」を作り出し、「大きな物語」に対抗しようとする動きもありました。

 その例として、バークも名前を挙げていますが、イタリアの近世史家カルロ・ギンズブルグ(1939-)がいると思います。ギンズブルグの主著といえば『チーズとうじ虫』(原著は1976年)ですが、もうひとつあげるとすれば『ベナンダンティ』(原著は1966年)が挙げられます。日本語版の『ベナンダンディ』では、うしろのところにギンズブルグのインタビューがついており、そこではイタリアのマルクス主義者アントニオ・グラムシ(1981-1937)が執筆のモデルとなったと述べています。グラムシは、マルクス主義者ではありましたが、生産様式に代表される経済的側面とともに、「文化」の側面を強調したことで知られています。しかもグラムシの着目した文化はどちらかといえば「下部構造」にあたる人びとのものでした。ギンズブルグもまた、イタリアの民衆のあいだで育まれたフォークロア(=文化)である「ベナンダンティ」現象に着目しながら、上部構造と下部構造の相剋を見ようとしたのです。

 また、マルクス主義の文化的側面に着目する動きについて言うならば、イギリスの近代史家E.P.トムスン(1924-1993)の名前も挙げなければなりません。かれの主著であるところの『イングランド労働者階級の形成』(原著は1963年)もまた、「熟練職人の加入儀礼、「貧民の文化生活」での祝祭の役割、食糧の象徴主義や暴動の図像学などに関する生き生きとした描写、たとえば、街路で掲げられたのぼり、槍に突き刺したパン、敵対する人物の人形に関わるものまで含んでいた」(バーク『文化史とは何か』28頁)のごとく、下部構造の文化に着目した研究であったといえます。
 イギリスの文脈で言うならばほかにも、カルチュラル・スタディーズ(文化研究)の創始者スチュアート・ホール(1932-2014)もまた、マルクス主義が研究対象としなかった下部構造の文化に焦点を当てたといえると思いますし、近代史家エリック・ホブズボーム(1917-2012)なんかも抵抗の様式としてのジャズをいち早く論じるなど、民衆たちの文化へ関心を寄せていました。

 さらに、マルクス主義ではあるが民衆文化への関心を示した哲学者——たとえばドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミン(1892-1940)やロシアの哲学者ミハイル・バフチン(1895-1975)を想定していただければ良いのですが——の理論を土台にした研究も、1960-80年代に盛んでした。
 ベンヤミンという意味でいえば、今回のinstagramに投稿したアメリカの政治学者でインドネシアの専門家であるベネディクト・アンダーソン(1936-2015)の『想像の共同体』なんかは、その本をちらっとみればわかるのですが、何回もベンヤミンの名前に言及されています。
 バフチンも、現在こそそこまで読まれていないのかもしれませんが、「笑い」「カーニヴァル」「ポリフォニー」「ヘテログロシア」等のタームは当時先端的な概念として提示されていました。今回のinstagramでいうと、③バーバラ・バブコック編『さかさまの世界——芸術と社会における象徴的逆転』なんかは、とてもバフチン的なテーマを扱っているといえるでしょう。

 ここまでのところをまとめると、要は、歴史人類学はマルクス主義との対抗関係で提示されたのであり、この動きはマルクス主義の「亜種」を求めて民衆文化へ注目していった動きとパラレルであるということです。

マルクス主義の「亜種」と歴史学への影響関係
(執筆者作成です、めっちゃ適当なのであまり参考にしないでください……)


3.歴史人類学の「語り方」

 さきほどまで述べたように、歴史人類学やマルクス主義の「亜種」たちは、マルクス主義が提示してきた封建制から革命へ至る道筋を信じる「大きな物語」の対抗として生まれてきたのでした。この抵抗において重要なのは、「物語」の取り扱いです。
 ここで紹介した両者の特徴は、「物語」を手放さなかったということに尽きると思います。というのは、「大きな物語」に対して「小さな物語」をぶつけることによって、物語には物語によって抵抗しようとしたということです。勘の良い方はもうお気づきだとは思いますが、歴史人類学もマルクス主義の「亜種」的歴史学も、「ミクロヒストリー」や「ミクロストリア」の手法をうまく利用しています。

 具体例を挙げましょう。たとえば、歴史人類学のところで述べたナタリー・デーヴィスは、16世紀のフランスにおいて起こったという奇妙な事件をもとに『帰ってきたマルタン・ゲール』(原著は1983年)という本を書いています。ある夫婦が普通に生活を送っていたある日、夫が忽然と姿を消したのが物語の発端。すると、しばらくして「夫」と名乗る人物が現れます。この「夫」とともにまた妻は生活をするのですが、なにやら町では「これは本当に夫なのか?」という噂が立ちます。そんななか、またしばらくすると、なんと本物の夫が町に舞い戻ってきたのです!最後、その夫は妻に、「もっと注意しろ」的なことを言うのですが、「その前に家を出ることくらい行ってから行けよ」「お前もだいぶ悪いだろ」とツッコミをしたくなってやみません。言われてみれば今のような鏡もない時代。人をアイデンティファイするのは想像以上に難しかったのでしょう。しかし、どれだけ差し引いたとしてもまぁ気づかないってのもなかなかないとは個人的に思いますけどね。

 このように、魅力的な「物語」を用いて歴史を叙述する方法は、フランスでノンフィクションとしては空前の大ヒットを記録したラデュリの『モンタイユー』(原著は1975年)や、さきほど紹介したダーントンの『猫の大虐殺』でも採用されています。
 さらに言えば、この「ミクロストリア」の金字塔として語られるギンズブルグの『チーズとうじ虫』も重要です。16世紀、北東イタリアのフリウリ地方に住んでいた製粉業者メノッキオに焦点を当てたこの本は、この一介の粉挽が、いろいろな文献を(当時の教会から見ると正しくない形で)読みこみ、独自の世界観を提示したことを述べています。有名なのは、「ミルクのなかからチーズの塊ができ、そこからうじ虫があらわれてくるように、このうじ虫のように出現してくるものが天使である」という一節でしょうか。

 まとめると、1960-80年代の先端的な歴史学は、「事実は小説よりも奇なり」と言わんばかりに、「物語」を保持したままその面白さを表現する一方で、学術的にも耐えうる著作を提示してきたわけです。


4.日本における歴史人類学

 閑話休題。この節は未整理なので読み飛ばしていただいてもかまいません。本来なら註にも書けないようなメモ書き程度のものだと思っていただいてよいです。
 ということで少し論点を付け加えるとすると、いままで述べてきた部分で西洋史・外国史の分野における歴史人類学はわかったとして、では日本史や日本のアカデミアではどうだったのでしょうか
 もうそろそろ9000字に達しようとしていて、執筆者の体力も持ちそうにないのでとても簡潔に済ませようと思いますが、日本でも同じように歴史人類学の流れが生まれていたと考えることができます。そしてこの時代に鍵になっていた人物こそ、instagramで取り上げた山口昌男だと思います。山口昌男は、1976年に「歴史人類学あるいは人類学的歴史学へ——ジャック・ルゴフの「歴史学と民俗学の現在」をめぐって」という論文を発表しており(現在は岩波現代文庫の『知の遠近法』に所収)、そこでは当時の歴史学を痛烈に批判する文章を書いています。これに対して、歴史学の側は遅塚忠射氏などが反論を寄せ、ひとつの論争を巻き起こしました。
 歴史学における山口の立ち位置は、真剣に考えるととても興味深いとは思うのですが、ここで詳しく述べるとそれこそ終わらなくなるので終了したいと思います。

 あと付言すれば、日本のアカデミアにおける歴史人類学の受容・創造を考える上で重要なのは、1970年代からの「社会史」ブームです。この社会史ブームを先導したのは、西洋史の分野でいうとドイツ史の阿部謹也フランス史の二宮宏之、日本史の分野でいうと網野善彦など、日本の読書界にもお馴染みの歴史学者たちです。かれらもまた、マルクス主義との対抗関係のもと、当時の社会に生きた一般の人びととその心性に着目し、それを評価する立場をとっていました。

 二宮宏之は、歴史人類学について以下のように述べています。

歴史人類学の大きな課題は、過去のある時代、ある社会を、その深層において読みとっていこうとするところにあります。その営みには、文化人類学者・民俗学者が、ある文化を対象にフィールド調査を行うことを通じて文化の深層に潜む意味連関を読み取っていく作業と、重なり合うことが多分にあります。たしかに、歴史家が対象とするのは、過ぎ去った時間に属する世界であり、文化人類学者のように、眼前に生きている世界を相手にしているわけではない。その社会のなかに現実に生きるという形では、三、四巻冊を行うことはできません。しかし、歴史家が、文書(documents)であれ、遺物(monuments)であれ、残された史料に問いかけることを通じて過去の再構成を行おうとする時、その営みは文化人類学者が、現地に赴いてインフォーマントに問いかけるのと、ほとんど重なり合うものです。その意味では、文化人類学者も歴史家も、異文化を読み取ることを課題としているのであり、前者が空間軸における異文化と対峙しているとすれば、後者は時間軸における異文化に向かい合うのだと言って良いでしょう。

「参照系としてのからだとこころ——歴史人類学試論」『二宮宏之著作集3』岩波書店、3頁。

 二宮は、歴史の深層を読み取る作業として、文化人類学的な方法は歴史学に有効であると考え、歴史人類学に可能性を見出しています。日本のアカデミアでも、歴史人類学の波が押し寄せていたことは確かであり、それに影響を受けた歴史研究者も多数いたと推察できます。
 ただし、やっぱりどちらかといえば、日本の歴史学者たちには歴史人類学よりももっと「社会史」の影響力のほうが大きかったと言えると思います。歴史人類学と社会史の関係性をはっきり腑分けすることはなかなか難しいとは思いますが……。


5.「新しい歴史人類学」を想定するとすれば?

 いままでのところで述べてきたように、歴史学は、日本でも西洋でも、1960-80年代には歴史人類学に目を向けてきました。そこでは、マルクス主義への対抗民衆文化への注目など、その時代特有の背景があったことを指摘しました。そして、歴史人類学は「物語」性を手放さなかったことも指摘しました。
 では、今度考えて見たいのは、2020年代も3年を経過した現在において、歴史人類学の果たす役割はあるのかということです。もはや歴史人類学は、過去の産物であり、「オワコン」なのでしょうか。もちろん個人的には、ここで「新しい歴史人類学を想定する」と言っていることからもおわかりのとおり、この問いに否をつきつけたいと思っています。この方向性が果たして妥当なのかどうか、みなさんに考えていただきたいところです。

 さて、2020年代の人類学は、人文学のトップランナー的ポジションにいると言っても過言ではありません。青土社の『現代思想』や岩波書店の『思想』などの特集や人文書の新刊棚を見ていると、「マルチスピーシーズ人類学」であったり、「アクターネットワーク理論」のブリュノ・ラトゥールであったり、はたまた「存在論的転回」のエドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロであったり、さらには「ブルシット・ジョブ」でお馴染みのデヴィッド・グレーバーであったりといった面々の著作が目に入ってきます。
 とくにラトゥールについては、歴史学者の注目を集めており、2018年に刊行された最新の歴史学の動向を豪華な執筆陣が教えてくれる本(Marek Tamm&Peter Burke eds. Debating New Approaches to History, Bloomsbury, 2018)のなかでは、ラトゥールがもっとも言及箇所の多い固有名となっています。ラトゥールの思想は、平たく言えば、人間以外のものにも主体を認めるものとして理解されています。つまり、椅子や机などといったさまざまなモノや動物といったような、これまでは「意志を持たないもの」として考えられてきたアクターにたいして主体性(エイジェンシー)を認め、人間と非人間にあった高い障壁を取り除こうとしているわけです。そして、人間も非人間も含めて、それぞれのアクターがどのように作用し合っているのか丹念に追い、それを記述せよと命じています。

 このラトゥールの「アクターネットワーク理論」をうまく研究へと昇華した例として、アナ・チンの『マツタケ』(原著は○年)を挙げたいと思います。この本のもっとも重要なところは、「マツタケ」自身が強烈に「主体性」を発揮していると述べられているところにあります。
 まず、マツタケはアカマツが生育しているごく限られた環境でしか採ることができず、今の技術では人工的に養殖することが不可能です。また、マツタケは世界では日本が主な消費地ですが、生産地はアメリカ・オレゴン州であり、そこでは東南アジア系の移民が作業にあたっているそうです。このように、マツタケは思いがけないみずからの特性によって、たくさんの人や資本を動かしているわけです。
 偶然的で、かつ思いがけないつながり。これを作り出すマツタケを記述するうえで、ラトゥールの考え方がとても親和性が高いことがお分かりかと思います。
 個人的には、2020年代の歴史人類学が描くべきコンテンツのうちのひとつは、間違いなく「菌類」(あるいは昨今の情勢も加味するならばウイルス等も入れられるかもしれません)であると思います。菌類の代表でもあるキノコを描いた『マツタケ』以外にも、それこそラトゥール自身が書いた本で最近翻訳された『パストゥール』という本であったり、あるいはドイツ現代史が専門の藤原辰史さんが書かれた『分解の哲学』なども「菌類」に着目しています。

 このように歴史学の最前線では、新たな歴史人類学が胎動している可能性があることを示唆しましたが、これはあくまでも一部の動向であり、歴史学のメインストリームではありません。日本の歴史学界では、某新書とかの売り出し文句などを見ていると、まだまだ近年「実証」に重きをおく研究が多いことは確かなのかなという気がしています。

 「間違った物語にたいして実証で対抗する」国内の歴史学を尻目に、2010年代には「物語」の復権もまた囁かれ始めていました。これもまた海外の研究動向ですが、1960-80年代の「ミクロストリア」「ミクロヒストリー」を引き継ぐかのごとく、ひそかに「グローバルなミクロヒストリー」という歴史の語り方に注目が集まっていました。この研究動向について詳しくは稿を改めて本格的に論じたいところですが、その触りだけでもここで紹介しておきたいと思います。
 「グローバルなミクロヒストリー」の研究動向における筆頭格は、『異文化間交易とディアスポラ』と『世界をつくった貿易商人——地中海経済と交易ディアスポラ』という2冊の日本語訳が刊行されている、フランチェスカ・トリヴェッラートという研究者です。主著というべきものは前者の『異文化間交易とディアスポラ』(原著は2010年)という本なのですが、そこでかのじょが描くのはいわば、近世イタリアのリヴォルノにおけるユダヤ人の貿易商会のミクロヒストリーです。エルガス=シルヴェラ商会という一私企業が、サンゴやダイヤモンドの貿易をつうじて、キリスト教徒やイスラーム教徒がひしめく地中海世界を生きていく様子を扱っています。
 そして、この研究動向を語る上で外せないのは、ここでもまたナタリー・デーヴィスです。デーヴィスは今年で御年95歳ながら、いまだに精力的に執筆活動を続けておられます。かのじょの研究の動向については、日本には1990年代までの情報しかあまり流通していませんが、じつは2000年代以降には、ふたたび魅力的な人物を描きながら当時の時代状況を浮かび上がらせるミクロヒストリーの著作を2冊発表しています。
 ひとつは2004年に刊行されたTrickster Travels(『トリックスターは旅行する』)という著作であり、もうひとつは2022年に刊行されたListening to the Languages of the People: Lazar Sainéan on Romanian, Yiddish, and French(『民衆の声を聞く——ルーマニア、イディッシュ、そしてフランスに接するラザール・セネアン』)という著作です。前者は15-16世紀を生きたスペイン出身のムスリム(のちに海賊によって捕えられ、教皇のもとに連れられ、キリスト教に改宗する)レオ・アフリカヌスという人物に焦点を当てたものであり、後者は19-20世紀に言語学者かつラブレー研究者として活躍したユダヤ人ラザール・セネアンという人物に焦点を当てたものです。両者ともに当時の宗教的・政治的情勢にさんざんに振り回された人なわけですが、どちらとも日本語訳が出ていないのが残念すぎるところではあります。
 トリヴェッラートと(2000年代以降の)デーヴィスの例から導き出せるこの研究群の特徴は、イスラーム文化圏とキリスト教文化圏、あるいはユダヤ教の文化圏といった、さまざまな境界を越えていく人物・存在にたいして、局所的に焦点を当てて物語化しているということです。歴史学のなかでは、日本国内外問わず、グローバル・ヒストリーが2000年以降流行しましたが、現在ははっきり言って少し食傷気味……。しかしながら、そのような状況のなかで「物語」の要素にその活路を見出そうとしていると意義づけられるのかもしれません。

 この節で確認してきたように、人類学への関心物語への関心は、2020年代にふたたび上昇しています。はたしてこれらが1960-80年代のように、合流するのかどうか。またはどのように結びつけるのか。それを考えていくのがわれわれの課題だと思われます。歴史人類学がいちど注目されたときのように、人類学的な方法を採用しながら物語も大事にするという方向性になれば、歴史学がより面白くなるのではないか。そのように個人的には妄想しているのですが、果たしてどうなることやら……。

 最後に付け加えておくと、わたし自身の信念としては、歴史学は物語を放棄してはいけないと思います。歴史学は、出来事としての歴史(ドイツ語でいうところの歴史はこちらの意味が強い)と、物語としての歴史(フランス語・英語でいうところの歴史の意味はこちらのほうが強いように思います)の両方を扱って初めて成立します。実証へ閉ざされてしまうと、また物語を放棄してしまうと、まさに片手落ちの歴史学に陥ってしまいます。
 「物語は歴史の実像を歪ませる」側面はもちろんあると思います。この要素を悪用して、みずからのイデオロギーをプロパガンダする人も残念ながらいます。でも、だからといって物語が悪なわけではない。物語がなければ、人びとは歴史を面白いと思わないし、そもそも歴史学者も最初は歴史小説や漫画やゲームや大河ドラマといったところで作られている物語に魅了されて歴史に興味を持った人が多いはずです。歴史学者にとって物語を否定することは、みずからの興味関心の発端をなかったことにする自己矛盾になりかねません。だからこそ、物語には物語で対抗するべきであり、そのプロジェクトを進めていた1960-80年代の歴史人類学はわれわれに示唆を与えてくれるのではないだろうかと期待しているわけです。

(終わり、約14000字)

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