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②岡本太郎記念館

※あくまで個人の感想であり、個人の独断と偏見があるかと思います。あくまで「私は」こう思って感じたという日記の一部にすぎません。

 東京タワーを後に次に観にいきたかったのが、根津美術館でした。東京の観光名所を調べていると必ず出てきた美術館だったので、見てみたかったんです。
 その道中、どこをどう歩いたのか自分でもよく覚えてはいないのですが、歩いて左手に塀の外側から見ていても分かるほど、巨大で色鮮やかなオブジェがいくつも確認できました。

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 これは一体何なんだ!?と思い、その足で敷地内へ。

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 現実とは違う別世界にでもやってきたかのような独特の世界観に庭が埋め尽くされていて、すごく興味深く面白かったです。
 このすぐ左手に入り口のドアがあるのですが、ドアの部がすごく変わってて足の裏の形をしていました。

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 手で握って回すドアノブが真逆の足の裏なことが面白かったのと、どうして足の裏のだったのかなっていう謎が尽きなかった。
 結構分厚く重厚なドアノブになっており、色も金色にそうしょくしてあったので、高級感というか特別感のようなものはすごく感じました。

───◇◇◇───

営業時間…………10:00〜18:00
休館日……………………火曜日
チケット……………一般600円
   ……………小学生300円
※写真撮影OK

───◇◇◇───

 受付でチケットを購入し、靴を脱いでスリッパに履き替えます。入り口すぐ右側に、岡本太郎氏が実際に住んでいた住まいがあり岡本太郎氏の等身大人形がお出迎え。リアルすぎてびっくりしてしまいました。

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 さっき入り口の外から見えていたオブジェは中から見るとこんなふうになっているのですね。

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 さらに奥へ進むと作品を作っていた作業場が突き当たりにあります。

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 入り口すぐのところで、停止線が敷かれているため部屋の中に入ることはできませんでしたが、それだけでも私には充分でした。

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 来た道を戻って受付のある広間に戻り、今度は2階の展示スペースに行ってみます。
 階段を登ったところに写真が飾られているスペースがありました。
 上から下をみるとこんな感じ。↓

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 ↑入ってきた入り口が見えます。入り口すぐの写真右手にあるのが受付件お土産コーナーのレジです。

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 2階の写真コーナーはまた別な次元というか、一階のカラフルなオブジェとはまたうって変わり、リアルでメッセージ性に富んだ写真から東北の伝統的な文化を中心に全て白黒の写真が大きく壁に飾られていました。

 その写真も、まじないだとか霊的な力に寄り添う時代、地域の写真が多く、私も聞いたことがある「イタコ」や「オシラサマ」と呼ばれる青森の南部地方のイタコについての写真がありました。

 結構私の印象としては、その場の雰囲気もさることながら写真を見れば見るほど怖かったのですが、調べてみると、当時の人々の生活の中で風邪を引いたりしたときなどにオシラサマにかかるといった様子で(参考webサイト)、人々の生活の一部に過ぎないというのとが分かりました。

 私がなぜ、これらの写真に怖いという印象を受けたのか考えていました。この中にはありませんが、写真の展示スペースの中のオシラサマの写真には、目の視力を失ったような老婆が儀式を執り行う最中の写真も展示されていました。
 その写真が特に怖かったのです。
 臨場感があるというか、イタコとは霊を自分の身に宿すことができる人のことを指すという私の中の知識と重なったからなのかもしれません。

 私は物語を書くときに魔法や呪文といったことに対してもすごく興味が湧きますし、好きな類です。(ディズニーやクレヨンしんちゃん、ドラえもん等)非現実的なことでありながら、人に夢と可能性をくれるものだと思うからです。

 しかし、私がそこで見たものは、「取り憑かれている」に近い印象を受けたのかもしれません。人であって人でないような印象さえ受けました。(あくまで一個人の感想です。)
 嘘のようで真実である。
 実際その写真が霊がイタコの体に降りてきている時のものだったかどうかは分かりませんが、写真から伝わるパワーの壮大さを目の当たりにしました。

 飲めりこみ過ぎてはいけない領域に近い場所に私はいたような心持ちで、魔法や呪文といった類の嘘を信じ込みすぎてはいけない。好きに留めておいてそれ以上に踏み込むことは許されないと思いました。

 イタコやオシラサマは、その当時の地域の人々にとっての、一種の宗教だったのかもしれません。
 それというのも、風邪を引いたらお医者さんを呼ぶところをオシラサマを呼んでまじないにかけてもらうのですから、その宗教を否定するつもりは毛頭ありませんが、現代の私たちからしてみると価値観が大きく違うのだなという印象を受けました。
(※現代でも、海外の宗教の中には、医療を受けることは自分の身を汚すことと信じて、医者にかかるくらいなら死を選ぶという考えを持つ人たちもいるようです)

 こういう歴史の一面や文化があったことを初めて知った時間でした。
 それと、同時に岡本太郎という人物について謎が増えた気がします。大阪にある太陽の塔を建てた日本でも大変有名な美術家という顔だけではなく、それ以外にもそういったイタコのような宗教的な文化に魅せられた顔を持つ方だったのだろうか考えるようになりました。

 後から気が付いたことですが、下記一番最後の写真にもある「日本の原影」というチラシの裏に上記の私の疑問の答えに近いものが書かれていました。

 岡本太郎は「日本とはなにか」を問いつづけた人でした。
 日本で闘うことを決意してパリから戻ってきた太郎は、1951年11月に運命の出会いを果たします。
 上野の東京国立博物館でぐうぜん眼にした縄文土器です。
 獲物を追い、逃走する呪術の精神…。わびさび型の日本の伝統美とは真逆の美意識を見出した太郎は、これこそが“ほんとうの日本”なのだと直観します。
 それから5年あまり。日本文化の本質をさがす旅に出た太郎は、最初に訪れた東北で“呪術の心”が息づく「原子日本」と遭遇します。
 貧しく閉ざされた冬の東北で、原日本の片影に触れたのです。
 2年後の1959年には返還前の沖縄を訪問。そこで太郎が見たものは、現代人がどこかへ押しやってしまった日本でした。
 清冽に生きる沖縄の人々に、日本人の、そして自分自身の根源を見たのです。嬉しかったにちがいありません。
 縄文~東北~沖縄とめぐる太郎の旅は、オリジナルの日本、忘れられた日本、すなわち「ほんとうの日本」を発見する旅でした。
 本展は、太郎が自ら撮影した写真を元にこの旅を追体験するものです。
 粛とした空間に流れるのは、ジャズベーシスト須川崇志によるオリジナル曲。岡本太郎の眼がとらえた“ぶ厚く豊かな日本”をどうぞご覧ください。

 この文を見つけたとき、上記で示したようなイタコ等についての怖さは感じなくなりました。

 なぜなら岡本太郎さんは、それらの文化に「ほんとうの日本」の姿を見ていただけなのだということが分かったからです。 そう思うと興味深いと思いそれと同時に面白いとすら思いました。

 あくまで芸術の一部、「ほんとうの日本」という岡本太郎さんの芸術の一部として「呪術の心」やイタコ、オシラサマを通して見ていたのだと私の中で理解したのです。

 ここまでくると調べられるのなら、より詳しく知りたいですね。

 チラシには近々開催される予定のギャラリートークについてのお知らせについても書かれていました。私も日程が合えば行きたいです。

2月6日(木)14:00~(※日程は変更される場合があります)

 この記事を読んでくださったみなさんも少しでも興味が湧いたようでしたらぜに足を運んでみてはいかがでしょうか。

〈関連書籍〉

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photo by amazon.co.jp

岡本太郎の沖縄

岡本太郎 撮影
平野暁臣 プロデュース・構成
2800+税 小学館

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photo by amazon.co.jp

岡本太郎の東北

岡本太郎 撮影
平野暁臣 プロデュース・構成
2500円+税 小学館

 最後にお友達にお土産で太陽の塔のポストカードを買って帰りました。

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ポストカード…200円(税込)

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