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③古代中国の青銅器が大好きなドラえもん・クレヨンしんちゃん・ジブリの世界観に似ていている

 東京タワーからバスに揺られて青山6丁目で下車。さらに歩くこと15分。根津美術館に到着。

 余談ですが、根津美術館までの道中、青山では嵐の櫻井翔くんがよく服を買いにくるとテレビで言っていたことから、実は知らず知らずの間に翔くんとすれ違っているかもしれないという淡い期待を携えてソワソワしながら歩いていました。あり得ないことですが、想うだけなら自由なので。

 ビルや車通りの多い道路が十字路に差し掛かると、まるでそこだけが違うような東京ではないような和の雰囲気が漂う建物が見えました。

  根津美術館にて開催されていた「対で見る絵画」について見ているうちに、2階の展示4にて、古代中国の青銅器の展示も開催されていました。

 そのいくつか展示されていた青銅器の紋様や姿形が私の性癖にぴったりハマり、激しく好奇心をくすぶられてしまったので調べたいと思いました。

 青銅器の紋様や姿形が、「映画ドラえもんとのび太の太陽王伝説」の世界観に似ているなとすごく感じてワクワクしました。

 後から調べてみると、太陽王伝説では、古代中国をモデルにされたものではなく、古代メキシコ文化がモデルになったものなのだそう。

 初めてそこで、古代メキシコ文化について知ることになったので、また古代中国とは別に探究心がくすぐられたので、調べてみようと思います。

 話は戻って、今後作るであろう小説の世界観の元にすごくぴったりだと思い、ホテルに戻ってから古代中国の青銅器について調べまくりました。これはダイアリーですが、今後の小説に使うための資料として調べたことをまとめたレポートを別に作成中なので、後日公開する予定です。

Q.古代中国の青銅器にはどんな役割があったのか

A. 青銅器には大きく4つに使い方が分かれていた。
 その4つが、酒器・食器・水器・楽器
 ───Wikipedia


Q.青銅器に描かれている動物のようなものは何か

青銅器に獣のような形をしている部分がいくつもあることに気が付きました。ブタのようにも見えるけれど、果たして豚なのだろうか。
 だとしたら、なぜブタなのか。
 豚と思ってみてしまうと、どうしてもそれにしか見えなくなってしまう。

 青銅器の世界観を上記では「ドラえもんのび太の太陽王伝説」に似ていると書いていますが、動物の文様が豚に見えると思ってからは、「映画クレヨンしんちゃんブリブリ王国の秘宝」に似ている!と思い段々ぶりぶり魔神にしか見えなくなってくる。

 青銅器について調べていくとウィキペディアにて下記のようなことが書かれていました。

饕餮(とうてつ、拼音: tāotiè)とは、中国神話の怪物。体は牛か羊で、曲がった角、虎の牙、人の爪、人の顔などを持つ。饕餮の「饕」は財産を貪る、「餮」は食物を貪るの意である[1]。何でも食べる猛獣、というイメージから転じて、魔を喰らう、という考えが生まれ、後代には魔除けの意味を持つようになった。一説によると、蚩尤の頭だとされる——wikipedia

 私が豚だと思ってみていた青銅器に描かれている紋様は、饕餮と呼ばれる中国神話の怪物のことだったのですね。

 実際に見てきた青銅器
〜根津美術館公式HPより〜

 饕餮文尊[とうてつもんそん]

 中国・殷時代 前13〜12世紀
青銅 1個
高54.0cm 口径48.1cm 底径30.5cm
[90069]
大きく開いた口縁をもち、強く膨らんだ胴によく張った脚がついた本作のような器形を「尊」という。尊は殷時代から西周時代にかけて作られたが、後世にこれを模倣した作品が多く作られた。とくに古銅や磁器による尊形の器が花瓶として盛んに用いられた。河南省安陽市殷墟侯家荘(こうかそう)から出土したこの尊は、頸部に蕉葉文(しょうようもん)を廻し、肩に大きな犠首(ぎしゅ)をつけ、胴部に饕餮が堂々とあらわされている。大型で饕餮をはじめとした文様が力強く鋳出された優品である

饕餮文方盉[とうてつほうか]

中国・殷時代 前13〜12世紀
青銅 3個
(各)高 71.2~73.0cm
[90063-90065]
「盉」とは注酒器のひとつで、酒をほかの酒や香料、水などと混ぜ合わせる撹拌器(かくはんき)であり、盃に注ぐ役割もすると考えられている。本作はいずれも四脚をもち、方形の胴部の側面に持ち手をつけ、古代中国の神である饕餮をあらわした頂面覆いに長くのびた注口をつける。胴部の各側面にも大きく口を開いた饕餮があらわされている。各々の盉の文様はわずかずつ異なり、細部まで凝った造形となっている。ほぼ同形同寸の3個の盉が一組になっている例は大変珍しく、殷王の所有品であった可能性が高い。殷代王墓のひとつである河南省安陽市殷墟侯家荘(こうかそう)西北岡(せいほくこう)第1001号墓から出土したと伝えられている。

双羊尊[そうようそん] 

中国 おそらく湖南省 前13~11世紀
青銅 1個
高45.4cm 口径14.9cm~18.4cm
[90074]
背中合わせに2匹の羊を合体させ、口の開いた器を背に載せているような姿の尊である。尊とは、酒を供える盛酒器である。羊が背負っている器の胴には、大きく目を見開いた饕餮(とうてつ)のようにみえる獣面があらわされ、神前に供する器としての威厳を備えている。それを支える羊の身体は鱗(うろこ)状の文様で覆われ、脚の付け根には龍がとぐろを巻くなど、器表が隈無く文様でうめられている。ロンドンの大英博物館所蔵の双羊尊と本作のほか、同形の遺例はない。

 ↑この双羊尊はジブリに出てきそうだなって思って見ていました。

饕餮文方彜[とうてつもんほうい] 

中国・西周時代 前10世紀
青銅 1個
高26.1cm
[90094]
祭祀に用いる彝器(いき)として製作された古代青銅器のなかには、その器種を何とよんでいたのか今ひとつ明らかでないものもある。彝もそのひとつで、箱形の器に屋根形の蓋をのせた盛酒器である。方形で胴張りのある身や蓋の角には鰭(うろこ)状の飾りがつけられて装飾的な姿をしている。身と蓋それぞれの側面に大きく饕餮をあらわし、それに従う鳳凰や夔龍文(きりゅうもん)を脚部に配する。状態がよく、小振りながら精妙な鋳造によって文様の細部まで明瞭にあらわされている。

緑釉四層楼閣[りょくゆうよんそうろうかく]

中国・後漢時代 1~2世紀
1基
高98.7cm
[90145]
緑色の釉をかけた陶器が、前漢時代の武帝の頃に陝西省西安一帯で始まり、後漢頃には洛陽に至るまで広い地域で作られていた。これらは墓に副葬する明器(めいき)で、当時の建物の様子を伝えるものである。壮大な楼閣をもち、倉庫や豚小屋や家鴨(あひる)小屋などを備えた邸宅の緑釉陶模型も見られる。この楼閣は幾つかの異なった建物を組み合わせて四層に仕立てたものと思われる。ところどころに見られる人物は当時の生活を物語っている。

灰陶加彩官人像[かいとうかさいかんじんぞう] 

中国・北魏時代 6世紀
1軀
高57.2cm
[90154]
北魏時代には大量の俑(よう)を副葬する習慣が見られたが、その形式が整ったのは、北魏の洛陽遷都(494)以降のことと言われている。これもそのように埋葬された俑のひとつ。細泥質の胎土の灰陶で、白土で化粧し彩色されていた跡が認められる。体の造りは扁平さが強調され、細面の顔、すらりとした姿態で優しい表情をみせ、ゆったりとした衣装を纏(まと)うところなどは、この時代に特有のものである

 その日は着物を着た女性の方が何人か見受けられて、展示会だけではなくお茶会も開催されていたようでした。
 中国の青銅器にこんなにも興味を持つとは思わなかったので、予想外の良い出会いがあった美術館巡りでした。対になる絵画もとても素敵だったので良かったら足を運ばれてみてはいかがでしょうか。


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