見出し画像

広至4~往時は遠くなれどオケはいつまでも響く~

「チャイコフスキーはお前の血の中だ。
毎日 俺たちにやらせたろ
この30年 何度 頭の中で指揮した?
皆に聞こえてた。飽きるほどな。
哀れなチャイコフスキーをパリで解き放て」

この映画で最も熱いセリフだ。
人生でこれほどの情熱を持てることそれ自体が奇跡で、希望じゃないだろうか。

映画「オーケストラ!」とチャイコン

唐突だが、映画のあらすじを綴ろう。
パリで、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をメインに据えた演奏会に、ロシアで清掃員に身をやつした男が指揮をして、その仲間の奏者が演奏に臨む。
但し、ソロを弾くパリ在住の有名ヴァイオリニストを除いて、指揮者もオーケストラも依頼相手とは別人。
果たして、そんな無茶なコンサートの幕は開くのか?
製作は2009年で、原題はそのものズバリ「コンサート」。
但し、一般名詞としてではなく、定冠詞のついた「(ある特定の)コンサート」という表現を取る。
どこにでもある物語ではなく、奇跡のような彼らの物語だ。
因みに、クライマックスで出てくる「チャイコン」ことチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、40分近くの演奏時間を要する大曲だ。
ここには映画にも関わってくる旧ソ連(ロシア)の出身の美人ヴァイオリニスト、アリョーナ・バーエワのライブ・パフォーマンスを貼っておく。

「オーケストラ!」のあらすじについて

いわゆる「三幕構成」を意識しながら映画を見ていこう。
第1幕の幕開けで劇場の清掃員として不遇をかこつアンドレイは、妙に急なパリからの上演依頼のEメールを見つけて、正規のオーケストラではなく自分達で勝手に引き受ける方策を練る。
ジェットコースターのようなストーリーの始まりだ。
チェロ奏者だった盟友サーシャ、有能なマネージャーだったが仇敵の共産党員イワンなどとコンサートのプランを練る。
一方、依頼主のパリの劇場側も、実は予算もない中、チケットを売って利益を出さねばならない追い込まれた状況が明らかになる。
パリでは尊大だがペレストロイカの頃(1980年代)の水準という破格の安さで引き受ける貴重なオーケストラを迎えるため、パリ在住の人気ソリストへの出演依頼やテレビ放送の手配も進め、モスクワではオーケストラの団員と資金の工面を急ピッチで行う。
ここまでに流れる音楽は、ロシア民謡風の暑苦しいほどの合唱とオケによるテーマを始め、「ヴェニスの謝肉祭」やリムスキー=コルサコフの「シェエラザード」、「メンコン」ことメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、別場面ではマーラーなども流れて、更にはロマ風の舞踊曲や正真正銘のロシア民謡などそこに流れる音楽は多様で豊潤で混沌として、音楽の楽しさが満載だ。

第2幕は一路パリへ…と思いきや、空港へ向かう段階から早くも躓く。
移動に使う予定だったバスは来ず、徒歩で一行は空港へ向かい、偽造パスポートやビザに至っては空港内でやり取りを行うハチャメチャぶりながら、ようやくパリ到着。
ロシア風の"圧力"で前金をパリの劇場側からせしめると、団員やイワンはそれぞれの思惑で三々五々パリの街に繰り出す。
また、美貌のソリストで何故か今回の依頼を引き受けたパリ在住ヴァイオリニストのアンヌ=マリー・ジャケは、アンドレイとジャケのマネージャーであるギレーヌや、サーシャらだけが知る秘めた事情が仄めかされる。
その後、ホールで予定されていたリハーサルには殆んどの団員がパリの街に繰り出したまま、やって来ない。
一部のホールに現れた集団は、楽器を現地で調達する姿を見せて胡散臭さ満開。
各奏者がチャイコフスキーやラフマニノフの一節を弾いて、かつて"本物"のオーケストラだった片鱗を示して、何とかその場は切り抜けたもののとうとう演奏会前夜、過去を語るも核心を明かさないアンドレイの言葉を聞いたアンヌ=マリーは、「あなたの痛みはわかるけど私は過去の奏者の代役じゃない」と公演中止を言い渡す。
いよいよ突入する第三幕は、演奏会は開催できるのか、果たして団員は全員が集まるのか、というそもそもなポイントから危ぶまれるストーリーが猛スピードで収束していく。
それは、アンドレイもオーケストラもアンヌ=マリーも抱えた東西冷戦時代の歴史を踏まえた奇跡に昇華する。

チャイコンよもやま話

ところで、チャイコンのよもやま話を少々。
この作品で、アンヌ=マリーを演じた女優は演奏シーンも本人が演じたそうだ。
確かに(特に背中が)硬い動きでとても速いパッセージを演奏できるようには見えないが、ボウイングがしっかり映る分、彼女の美貌も相まって力強い訴求力を持つ。
私は、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、伴奏のオーケストラが編成が大きく見せ場もあるため必然的にバランスが悪い曲だと思っているが、こんな演奏ならちょっと楽しみになる。
因みに、私のお薦めは、この春にも来日予定のあったギドン・クレーメルと、数年前の来日直前に急逝したロリン・マゼールが演奏した録音。
クレーメルの平均律のように聞こえる力強いソロ・パートと、マゼールとベルリン・フィルの変幻自在の伴奏は、両者のバランスがコンサートホールでは聞けない秀逸なものになっていて魅力的だ。

東西冷戦時代と想像力

振り返って2000年代、言い換えればゼロ年代の10年間は、この映画も含めて、東西冷戦時代をストーリーに絡めた優れた映画がいくつも生まれた。
たとえば、「グッバイ、レーニン!」や「善き人のためのソナタ」が代表に挙げられるだろう。

それらの映画には、苛烈で悲劇も多かった当時の情景を、ある一面では見事なファンタジーで描くフィクションの力強さが共通して垣間見える。
日本の例をあげれば、2010年代の半ばからドラマなどで克服を始めた東日本大震災のスティグマが思い浮かぶ。
スティグマ克服の最大のキーは、当然ながら時間だ。
そして、如何なる時も私達から奪われることのない好奇心が生む想像力だ。
未曽有のコロナ禍に直面する現在も私達は、素晴らしいフィクションで乗り越える未来の契機を探すことに、或いは既に始まっている創造に、時間を費やせば良い。
日々を生き、日々を思う。
私達は、愚直にそこから始めよう。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?