AIと教育について。

 AIの利用が広まる中で、その影響が教育現場にも及んでいる。その歴史はこの5年ほどで、現在は無料の代行業者と言える段階にあるが、今後も急速に進歩し、応用はますます拡大する。
 AIの進化は教育の風景を劇的に変えつつある。現在でも、学生が英語の宿題やリポート作成にAIを使用することで、自分自身で考えたり、間違いから学ぶ機会が奪われているという問題がある。
 教育者は自身で考え、自分の言葉で表現する重要性を強調する。これは教育の本質であり、AIがどれほど進化したとしても、この原則は変わらない。しかし、AIは今後飛躍的な進歩を遂げ、人間にとってかなり有用な道具となり、未来の社会ではコンピューターや動画とともに中心的な役割を果たす。したがって、今のうちにこれに慣れ親しむのが良いだろうという考え方もある。
 一方、その利用が思考力や創造力の育成を阻害し、学力格差を広げる可能性があるとの警告もある。確かにそういった側面もあるだろうが、むしろ、格差は縮まると思われる。大学ではAIを使用したリポートが提出される事例が増え、日本語として誤りはないが、内容に具体性がないものが多い。こういった問題は学生の学習意欲や誠実さを損なっている可能性を示唆する。
 そのため、大学の中には許可なくAIを使用した場合は不正行為として処分する注意喚起が行われている。こういった事例は氷山の一角に過ぎないとしても、多くの学生が興味のない科目のリポート作成に使っていると考えられる。
 このような状況から、一部の学校ではAIの利用を制限する動きが見られるが、その利便性からその利用を積極的に求める声も強い。このように、その普及は教育現場に新しい課題をもたらしており、その適切な利用方法や規制について、さまざまな議論がある。
 しかし、特別な認可や規制を設ける必要はなく、これらを設けた場合、逆に政府や企業の御用達の薄っぺらなAIばかりになる可能性が高く、弊害が多い。それ以上に政府の管理の下にAI企業がプログラムに制約を課す方が危険で、こうなると、同じ質問や課題には一様に同じ回答が出ることになり、表現、思想、創造などの幅が狭くなる。 
 AIは教育の質と公平性を保ち、学生たちが自分自身の力で考え、学び、成長できる環境を維持する。この意味では極めて有用で、教育の本質と目的について再考する機会も得ることができる。
 しかも、AIの進化と普及は止まらないため、教育にこの新しい未知の技術をどのように取り入れ、どのように制限するかを慎重に考える必要がある。最終的には教育の一部として適切に組み込まれ、学習や教育を支える有用なツールとなるべきである。

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