見出し画像

水の研究①私と水の出会い【スイミング】


紆余曲折あり、学部研究で「水」の研究をすることになった。
大学院試験の書類や書いた「学部研究の目的」から、友達に冗談半分でこぼした「夏だし冷涼感あってよくね?」まで、地に足のつかぬ理由だけを並べている日々。まだ研究の「け」どころか、子音の「k」の音さえも出せていない。

とにかくは、「水」について考える時間を増やすことにする。ただ考えるだけでは、まさに流水の如く右から左へ流れていってしまうから、noteに書き残す。

気が向いたらやる、がモットーの私の、備忘録である。



スイミング

「スイミングに通わせていなかったら、あなたはお水に顔もつけられなかったと思う。」
年長組になり、『プールあそび』が『水泳教室』になったときに母は言った。

幼稚園児の頃から習い事としてスイミングをしていた。スイミングか体操どちらかを選ぶことになり、どうしてもスイミングがいいといってはじめた。母は強く体操を推していたのでかなり揉めたが、「本人の好きなようにさせなさい」と祖母が言ったおかげでスイミングが採用された。

通っていた幼稚園では、夏場にプールの時間があった。年中組までは園内のプールで水遊びをするが、年長組だけは外部の室内水泳場に移動して水泳教室をする。25メートルプールが何レーンもあり、専門の指導者(コーチ)がおり、泳力ごとにクラス分けされる
 習い事として少し経験があったおかげで、水中の壁キックではなく、台上から飛び込みスタートする、上級コースに入った。誤差で飛び込み台の上に立ってしまっただけの、水に顔もつけられなかったかもしれなかった私の臆病さが3回に1回飛び込み台の上に立つ。習い事のスイミングでは、プールへの飛び込みは禁止だった。飛び込んでしまえば平気なのに、こういう日はどうしてもダメだった。私が3回に2回飛び込むことを知っているコーチが、それは甘えだと叱るから、台の上で何度か泣いた。

 小学校に上がる頃には週に一回の習い事のスイミングが嫌で嫌で仕方なくなった。これと言って理由はなかった。ただ、めんどくさい。せっかくの日曜日に早起きして、仕事が休みの父と母とプリキュアを家に残し、わたしだけスイミングなんて、と思っていた。
 日曜朝のスイミングは、休めば平日夕方に振替えられる。泳力でコース分けされるので、知らないお兄さんお姉さんに囲まれた日には、それはそれで苦痛だった。なんでも周りよりできるばかりがいいことじゃないんだな、と思った。子どもから日本人になった瞬間だった。スイミングは小3で辞めた。


 その後に始めた習い事で、体が硬いことをいじられ笑われ泣かされ、どういうわけか側転やら転回やらをマスターすることになる。
 今になって認めざるを得ん。母の勘はだいたい当たる。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?