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[第二十八話]弓を置く。

どこぞの少年誌のスポーツ漫画で。
とある学校の横断幕の言葉が、

“思い出なんかいらん!!”

だった気がする(笑)

当時の私は、まさにこんな感じ。

今の私は、更に可愛くなくなっているので、

“名言も自己啓発もいらん!!”

という感じですが……。

それはそうと。
19歳。自分に少しでもアドバンテージのある事を模索……するまでもなく、中学卒業時に、一部の先生から”音楽を真剣にやった方がいい”と、言われていたことも、同時に思い出していました。

※くどいですが、当然、音楽の才能を認められての言葉ではありません。

だけど、相変わらず、音楽の世界についてはアンチも良いところで、腰は上がらない。

仕事にするにしても、実力も才能もコネもない。

音楽は人間関係が原因で辞めている。
自分の周りで音楽をやっている人は、本当に自分勝手な人が多く、すぐマウントを取りたがる人も多かったです。
小学生の時に、そんなものを目の当たりにしたものだからそのトラウマは、大人になって、ピアノのT先生や現在師事している作曲の先生に出逢うまでは、なかなか払拭し切れるものではありませんでした。
今でも”少しマシになった”という程度なので、筋金入りです。


だからこそ、絶対に関わりたくない世界で、一生無縁の世界でした。
“自由に楽しくピアノを弾いていればいい。”
そう思っていたのです。

一方では、弓道をやる人には悪い人はいない。
厳しい人は凄く多かったけれど、その厳しさは、みんな筋が通っている。
同じ弓道仲間はみんなライバルだけど、お互いに高め合える雰囲気の、凄く居心地の良い場所でした。

そんな事を考えながら、SNSでは、相変わらず全国の弓道部の人と交流したり。
卒業後も、定期的に母校や仲の良かった他校の人との飲み会を開催したり。

弓道で繋がった人達との縁は絶やさないようにしていました。

同時期に、SNSでピアノをやっている人達と交流もし始めていました。
そんな折、SNSで交流していた、当時関西圏の音大を目指す高校生より、DM。
少し変わった経歴のピアニストがいると、わざわざご丁寧に動画付きで送って来てくれました。

あまり期待せずに開いたその動画は。
自分がこれまで並べて来た、音楽をやらない理由を全て吹き飛ばすほどの、強烈なものでした。

“もし、才能という概念がない世界で生きれたら”
”もし、これまでの人間関係が幻なら”
”もし、努力すれば自分も立てる舞台があるのなら”
“自分が否定した世界を全て肯定する事が出来たら、見える世界もあるかも知れない。”

10代の頃に否定して来た物が、全て幻のように感じたその出来事。
自分が今まで否定して来た事を全て幻だと言ってみたい!!
その思いは今でも何も変わらず強めです。

実力のある人、実績のある人が”無理だ”という事を全否定してみたくなったのも、この頃からです。

しかし、現実問題。
才能、実力、環境、コネ……どれひとつとしてない状態だったので、本気でやっても、ある程度揃うのは30代以降かな?もっと先かな?
と、容易に想像できました。

しかし、音楽を少し真剣にやるとなると……
弓道との両立は難しいと思いました。

弓道で使う筋肉は、日常的に使用しない部分の筋肉を多く使う為、少しでも練習量を減らすと、あっという間に衰えてしまう。
何ヶ月もかけて鍛錬しても、たったの1ヶ月…2ヶ月期間を開ければ、また1から弓を引く身体を作り直しなのです。
私のような未熟者は尚更です。

音楽を嗜む程度に留めるのであれば、両立は可能ですが、逆は出来ない。

ピアノだって、何時間も練習する生活を何年も続けて、漸くほんの少しだけピアノが弾けるようになるのです。

…将来のことを考えた時……。
これからの未来を考えた時。

私にとって、優先すべきことは明確でした。

19歳の初夏を持って、私は、一旦弓を置く事を決めるのでした。
それと同時に、私の思春期と反抗期は終わりました。


誰にでもありそうな、下らない昔話。おわり。
一気に書きました。長かった……
お付き合いいただき、ありがとうございました。


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