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[第二十六話]弐段審査。

高校生の頃に。取りこぼしたもの。
それが、昇段審査でした。

弓道では段位というものがあり、おおよそ高校生は二級〜弐段の人が多いです。

上手な人だと参段を在学中に取ってしまう事もありますが、高校生で参段取れた人は、私は1人しかお会いした事がないです。

私の方はと言うと。
高校1年生で2級を取って以来、初段はようやく3年生になってから取れた。
弐段の昇段審査を受ける事なく、卒業となってしまった。
かなり劣等生でした。

という事で、高校を卒業してすぐ、昇段審査を受ける事にしました。

…とは言え、仕事で練習時間があまり取れなくなっていた私は、どんどん弓を引く力が衰えていました。

ピアノは、1週間や2週間……場合によっては1ヶ月触らなくとも、全く弾けなくなることはないですが。弓は、引かないだけで、本当に本当に引けなくなる。
比較対象が間違っているかもしれないが、いろんな意味で音楽よりも何倍も繊細なのが弓道なのです。

仕込みに時間はかかるのに、少しサボるとたちまち何も出来なくなる……。
これは、少し悲しいスポーツだな、と感じてしまう側面です。

当時、私は1週間に1回道場に行ければ良い方……
審査前なんて、本当に練習ができない状況でした。

昇段審査は、兎にも角にも、美しい体配、美しい射技が試合以上に要求される。矢所も安定しなければならない。

なので、とにかく無理はしない様にという事を考えて臨む事にしました。

その”無理をしない”を、実践するのに、1番手っ取り早いのは、弓力を落とす事。

審査を受けると決めたら、まずは弓連で貸し出されている弓を8キロ〜13キロ。
実技と直心(直心は、個人所有のものもあるので弓連の名前シールが貼ってあるのをよく確認してから触りました。)を10種類くらい用意して、的前に立って引き比べ。

誰かに見つかると、なんとなく怒られそうだったので、平日の人が極めて少ない昼間を狙って実行しました。

かなり悪さをしている気分でした……。

その中で、ちょうど良いと感じた弓よりさらに1キロ落とした弓をチョイス。
挑戦はせずに、頑張らずに。
充分に余裕を持って引ける弓で審査を受ける事にしました。

それが、実技10キロの弓でした。

…実技10キロなんて、ホント、中学生振り。

だけど、結論を言います。

実技10キロで、普通に弐段受かります。

ただし、実技で、弓力の弱い弓だと、普段別の弓や、もっと弓力の強い弓を使っているので当然、いつもの狙い、いつもの調子で引くと、絶対的に矢が届かない。

私の場合、いつもより狙いを若干高めにするので、それに慣れる程度には練習しました。

“ズシャっ”と擦ったり、矢道に落としたりしたら普通に落ちる可能性が上がると思ったので。

射については、弦の抵抗が少ない分、かなりやりやすい。
徹底的に何も持たない射法八節の練習を毎日毎日ひたすらやり、弓を持ってもそのままできるようによくイメージトレーニングをしました。

本来、これが弓力を上げても出来る様にならなければならなかったのですが。
私は高校3年間でそれを100%自分のモノにする事は出来ませんでしたし。直心との相性がとにかく悪かった。(高校卒業後に、自分の弓を購入する時に知りました。)

社会に出てから12キロ、13キロクラスで自然な射を習得するには、就活ブランクも埋められていないままで、審査会までに時間が無さすぎました。

ただ、矢が的に中る感覚は残っていたのが救い。
今ゴム弓を引いても、当時の感覚のまま、打起し以降の動作はできます。

なので、審査会の時、2本矢を持って、1本は的を僅かに外し、もう1本は無事に的中させて合格する事ができました。

……まぁ、これを在学中にやったり、誰かに見つかったりしたら、チートプレイだ!!と、大バッシングの嵐でしたでしょうが……
いいですか?勝てれば良いのです!!

結果より過程が尊いなんて。
高い次元の結果を安定して出せる人が言うからこそ、説得力があり、美しく、言葉に意味を持つのであって。
何も成し遂げていない人間が言ってもただの負け惜しみでしかないんです。

これが”挑戦”であれば、自分の肥後蘇山で勝負したかったところ。
実際、当時は練習中の巻藁は全で肥後蘇山で練習していましたし、1日何本かは自分の弓で的前に入るようにはしていました。
肥後蘇山の扱いに慣れる練習と、弐段を取るための練習。
同じ事をやっていても、完全に目的を分けていた時期です。


この弐段昇段審査については、とにかく勝ちに行きたかった。
練習時間は足りなすぎましたが、その段階での自分のできる事を、全てやりたいと思っていました。

県総体の負けとは完全に切り離していましたが、弐段審査は、絶対に絶対に落ちたくなかったです。

県総体の後、自分は若干人格が変わった感覚はありましたが……
1番変わったのは、こういうところだと思いました。

挑戦と勝負を完全に切り離すようになった。
頭を使って表舞台に上がるようになった。


高校生の時なら、正々堂々と…などと、ほざいて自滅していたでしょうけれども…
少しずつ大人になるとはこういう事なのです。

時効なので、書いてます。

ちなみに。
その時は、元同期は、審査会のスタッフをやっていましたし、当時付き合ったいた彼氏(他校の弓道部で国体最終選考まで残っていた強者)も応援に駆けつけてくれて、私の射技が終わった後、2人とも。

「あれは、受かっただろ。」

と、言い切ってくれたので、少し安心して結果を待つ事ができました。

筆記試験は当時は、射法八節に関する事が中心だったので凄く簡単でした。

結果発表の後、弓道連盟で同席していたO先生。
わざわざ受験者控えまで来てくれて、ニコニコしながら、

O先生「0w0(仮)、弐段受かったね。おめでとう。おめでとう。」←相変わらずとっても優しい。

と、言いに来てくださり、嬉しすぎました。

こんな感じで、へっぽこで、遅れを取ってしまっていましたが…

高校卒業後、無事に弐段が取得できたのでした。

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たまに、履歴書に書くと
面接官「弓道弐段とか、もっとガンガンアピールしましょ。話のネタとして面白いですよ。」
…と、言われる事がある。

私の中では、就職や経歴としての立ち位置は、弓道弐段なんて、おまけです。
一発芸枠。
みんなそうでしょ?

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