「顔がいい」という言葉の危うさ

ファンが俳優相手に「顔がいい」という言葉を使うのを目にしたり、耳にしたりすることがあります。その度に言われた側が嫌な気持ちになっていないか、私は心配になります。

まず、誤解がないように前置きをします。私は絶世の美女では勿論ないし、芸能人になれるような華もありません。自分ではせいぜい整っている程度だと思っています。
それでも、物心ついた頃から「美人」と言われて生きてきました。それが当たり前だったので嬉しいという気持ちを抱くことなく成長し、そのうち容姿を褒められることが怖くなっていきました。

この程度の容姿で褒められるということは、私の中身には容姿以上の価値がないのかも知れない。

そんな気持ちが10代の私をずっと責め立てていました。
何とか自分の強みを見つけようとスポーツ、芸術、勉強などに打ち込んで一定の成果を出し、周囲から万能少女と呼ばれることもありました。けれど、いずれも秀才でしかなく突出はせず、天才と呼ばれることは一度もありませんでした。

生まれ持ったものではなく、私がしてきた努力や実績を評価して欲しい。天才と呼ばれるような、私だけの強さが欲しい。
容姿を褒められる度にそんな想いが襲ってくるので、苦しくて仕方ありませんでした。そして初対面の印象がいいが為に、後で失望されるのが怖くて虚勢を張ってしまう自分が嫌いでした。

ある時、学校の先生に「君は生まれつき恵まれているし、努力もするから何でもできてしまう。だからこそ、器用貧乏にならないようにしなさい」と言われたのが強く記憶に残っています。この言葉をもらってから、私はようやく天才にはなれない自分を認めて、一芸に秀でる努力をすることを決められました。

今では自分の強みに自信を持てるようになって、個性を認めてくれる人達に出会えて、容姿や才能で苦しむようなことはなくなりました。
出会い頭に相手が分かるのは容姿だけですし、友好的な姿勢の表明としてお世辞を言っているのだと、今では理解しています。実際、私は大して美人ではないのですから。
それでも、容姿を褒められるのはまだ苦手です。

これは私が天才を持たない者であったからこそのコンプレックスであり、天に二物を与えられた人には関係のないことだと思います。ただ、そんな人は世の中にほんの一握りです。

俳優の容姿が美しいのは事実ですし、私も美しい容姿の人は好きです。生まれつき美しい人もいれば、努力で得て維持している人もいると思います。
だからこそ、反射的に褒めてしまうのは仕方ないと理解できますが、褒めとも受け取り難い「顔がいい」という不躾な言葉は危ういと感じています。顔がいい人だらけの芸能界では、顔にしか興味がない目移りするファンとも捉えられてしまいそうですし、何より容姿に起因するコンプレックスを持つ人にとっては喜べない言葉です。
個人的な意見でしかないのですが、ファンであればその人の良いところをたくさん知っているはずなので、その人だけの素敵なところを伝える方が喜んでもらえるような気がします。

勿論、容姿を褒められるのが好きと公言している人もいるので、そういう場合は褒めまくってください。本人が望むなら、裏を読む必要は全くありません。
容姿には人格も滲み出ますから、美しいと感じるのは悪いことではないはずです。ただ、ポジティブな表現だとしても、容姿にだけ言及されることは必ずしも万人を喜ばせることではないのだと、意識の片隅には置いてもらえればいいな、と思います。

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