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Nujabes 10 周忌と由比ヶ浜と私

昨日 2020.02.26 は、自分の大好きなアーティストである Nujabes の 10 周忌ということで、スクランブル交差点で追悼映像が放送されたようですね(現場で観たかった)...

ということで、当然自分も YouTube でこの追悼映像を観てみたわけです。

最初は

「なんとなく見覚えのある風景な気がするけど気のせいかしら...?」

と思いながら眺めていたのですが、途中から、気のせいではないくらい見覚えがあるように思えてきたんですね。

「...ん?え...?これ... まさか由比ヶ浜...?」

即座に「Nujabes 由比ヶ浜」でググってみました。すると、Nujabes が由比ヶ浜にスタジオを構えていたらしいということが分かりました。追悼映像の中で映し出される海が由比ヶ浜である確証はないですが、そういう背景があれば、あの海が由比ヶ浜である必然性はありそうです。

...と、そうなると、追悼映像はさておき、そもそも Nujabes の音が由比ヶ浜から生まれていたということになります。

自分は何よりその事実に衝撃を受け、興奮しました。

なぜなら、個人的に、由比ヶ浜はとても思い入れがある場所だからです。

前職が鎌倉に本社がある企業(だが、当時の自分は大阪在住)だったので、入社前にインターンとして、由比ヶ浜から徒歩 3 分程度のところにある外国人寮で暮らしながら一夏を過ごしたことがありまして。

多くの社員は「あのクソ汚い寮...?」みたいなネガティブなイメージを持っているのですが、自分はこの寮での生活が大好きだったんですよね(今もまだあるのかな...?)。

朝、浜辺が見えるところまで行って、波の音と鳥の声を聴きながら、海と空とサーファー達を眺めてぼーっとしたり。会社帰りついでにコンビニでお酒を買って、夕暮れの由比ヶ浜を散歩しながら悩みごとを紛らわしたり。休日は寮の窓を全開にして、それこそ Nujabes の音を流しながらプログラミングしたり。

言葉はうまく通じなかったけれど、寮に住んでいたみんなとの思い出もたくさんあります。台風が直撃してるのに中国人のみんなとお月見餃子パーティをしたり、フランス人に連れて行ってもらった初めてのサーフィンで何も教えられずにサーフボードを渡されて海に放流されたり。

「絶対に東京の人混みの中なんかでは暮らしたくない」と強く思っていた当時の自分にとって、プログラミングという現代的な仕事に従事しながらも、こんな風に自然や人間と触れ合いながら送る生活は、まさに "夢に描いたような生活" だったわけです。

そう、そんな、自分の脳裏に色濃く刻まれている 1 シーン 1 シーンが繰り広げられた舞台である由比ヶ浜から、Nujabes が紡ぐ "地球にもともと流れていたような音" が生まれていたのかと思うと、1 ファンとして、その共通点に感極まらざるをえなかった、と。ただただその感動をどこかに吐き出したくて、こんな記事を書いてしまった、と。それだけです。

彼がもし今も生きていたら、どんな音が生まれていたのか。そんな平行世界を想像したくなってしまいますが、国内に限らず多くのアーティストに影響を与えた彼の死があったからこそ生まれた音があることも事実でしょう。

そして、そんな "理" すらも表現しているように聴こえる彼の音は、これからも自分の生活の中で、当たり前のように流れ続けていくのだと思います。

R.I.P. 🙏

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