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自分軸、モラトリアムでいると決めた最近の私。


就職活動、新卒切符
それは、大半の人が大学に行った大きな理由の一つであると思っています。

私自身も、新卒切符を使って、無難な企業へ就職をしようと思っていました。


しかし、留学を通して色々考えました。


本当に、自分にやりたいこととは。
自分は将来どのようにあるべきか。
どうありたいか…何を目指しているのか…


結論、死ぬ時に、後悔がなく終わりたい。
そして「感動」をたくさん味わいたいと思いました。


そうなった時に、私はこのまま就職活動をしていていいのだろうか、と我に帰りました。

就職活動をしていて、ハッと目が覚めた瞬間があったんです。


自分は勉強不足であったと。


留学中も色んな理由をつけてなんだかんだで机に向かうことから避けて生きてきた。

大学入試ですら、勉強を最小限にするために高校3年間の成績をギリギリキープ。
自分は経験から学ぶことに振り切っていたんです。


もちろん、経験から学ぶことはたくさんありました。

誰もしてないことをして、差別化もした。

でも中途半端だった私は、目先の目標だけをみて、自分を棚に上げていた。

バイトもしたし、程よく大学にも通い、程よく友達も作り、程よく遊んだ。


みんながしていないことをしている瞬間だけを切り取った自己主張だけをし続けてきた。


それで、何か自分には大切なモノが足りていない、と就職活動と留学を通して気づいたんです。


それが、自ら学ぶこと。私の人生の中で一番辛く、避けていたこと。


他人軸に今まで身を置いていた私は、他人から学んだことが全てだと思っていました。


他人が何時間も、何年もかけて学んだ人生における哲学を聞いて、自分に取り込む。
でもそれって、結局自分のものに完全になりきってなかったんだと気がつきました。

SNSをなんだかんだで辞めれない理由もそれで、他人に軸を置いていたせいで、他人と繋がり、見てもらうことで承認欲求を満たしていた気がします。

もちろんそれは間違っていることではありませんし、人脈は人間の生活においてなくてはならないものです。

しかし、それこそが一番だと思っていた、ということが自分らしさや人生だと履き違えていた気がします。

叩かれたらすぐ病むし笑


そこで、私は就職活動を辞めて、バイトも必要最低限暮らしていけるくらいに減らし、勉強に専念することにしました。

具体的な勉強内容はあまり言いたくないのですが、
士業の資格を取得しようと考えています。


1人でも強く生きていきたい
なるべく小規模で、自由度の高い仕事がしたい
お金持ちにはならなくていいが、ある程度の生活水準は保っていたい


そう思えました。

何より、自分が好きなことは海外旅行です。

バックパックで、世界を旅すること。

それは生涯やめたくないです。


そのための、勉強です。
決して就活から逃げたのではなく、自分のやりたいことにやっと気づけたからです。


他人に軸を置くことをやめ、流されるのをやめた結果です。


それは、キルギスでもそうですし、留学生を見ていてもそう思っていました。


なんか、楽しそう。
お金がなくても楽しそう。
やりたいこと追求してるんだなぁって。

それを自分に当てはめた時に、自分なりに答えを出した結果です。


その勇気をくれたのは、まずは身近な人で、
その人から本を読む習慣を学んだんです。


おすすめされた本を読んだ時に、自分軸で生きたい、と改めて思い始めました。

そこから、留学生活や、人生そのものの見方を振り返り、再考しました。


留学に行っている時にも、とある専門家に
「あなたのやりたいことは何?」
「やりたいことを突き詰めてれば、自然とチャンスは寄ってくるよ」

と言われたのを今でも覚えています。

その人のような人生を歩みたい、と思っていたからこその結論こそが「勉強する」ことです。


こういうことを発信するのを恐れていましたし、自分軸にしようと思った今、これを言語化し、発信することは誰に刺さるのかもわかりませんし、うまく書けているかもわかりません。

ただ、私は私 を貫き通したいので、ご報告、のように思っていただければ幸いです。


期待と欲望の間にいた私は、それを抜け出し、
ある意味モラトリアム人間になる小話でした。


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