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見ることと 見せられることについて 考えてみようか

今日もこれから朝の散歩で緑道を歩きます。そう、ムーグさんは朝の散歩、あさんぽ、が日課になって来てるんです。いつもの樹々や草花。そんなのを眺めながら、まだ冷たい空気の中で泳いでく。ただ、さすがに毎朝だと、もう写真を撮りたくなる新鮮さも薄れて、撮っても削除することが多いんです。ちなみに今朝の文章は、なんとなく、ヘイヨーさんの文体に影響を受けててw、じゃ、そろそろ、あさんぽ、行ってきますね。

ただいまー。で、さっき、新鮮さも薄れて、なんて書いちゃったけど、全然おもしろくて、たぶん100個くらいささやかな感動があって、ただそれって、コーヒーをいれる時、お湯を沸かすでしょ、で、ちいさな気泡が次々生まれて、浮かんで、ぷつんとはじけて、もうない、でも熱くなってきてる、みたいなかんじで、ことさらここで書き記すほどのもんじゃなくて。

なので、最初に書こうとしてたことを、やっつけちゃお。

つまり、濃い、情報を、見れば見るほど、無感動になっちゃって、だけど、植物を観察するように、なんでもないものでも、つぶさに眺めたら、こころの新芽も、あざやかに、育つよって、コト、かな?

じゃ、このポスト用にもっかい出かけて、写真を2.3枚撮ってくるねー。

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ではではー ○。

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