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膨大な読書メモをあさり,新しい価値を生み出す

「読書と或る人生」福原麟太郎
「多読術」松岡正剛
「つながる読書術」日垣隆
「死ぬほど読書」丹羽宇一郎

どれもすごい読書家の読書論で,縦横無尽に本を引用しながら人生や生き方につながる本の読み方を語る話に引き込まれます。


その中でもひときわ輝いているのが,知の巨星 渡部昇一。

僕が知的生活というものに憧れ,それをなんとか手に入れたいと思ったきっかけである「知的生活の方法」の著者です。

この本のの序文に記されたこの言葉が今でも心に残っています。

「 自分は死ぬまでにあと何冊の本を読むことができるのだろうか。」

2017年の4月18日に知的生活の方法を再読したとき,「1976年に書かれてから、今日まで、どれだけの本を読まれたのだろうか。」という言葉とともにメモに残していました。

渡部昇一氏は,前日の4月17日に鬼籍に入られていますので,その報を受けてのメモだったようです。


当時は,本棚の一つを空けて,そこに家中から渡部昇一氏の著作を集めてきて「渡部昇一 追悼特別展示」をしたことを覚えています。

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ブログの記事にも書きました。

私の知的生活への「修行」に常に寄り添ってくださっていたことへの感謝の意味を込めています。
5月は,ここから本を取り出してパラパラめくりながら,渡部昇一氏を追悼しようと思います。」(上の記事より引用)


いったい,人生でどれだけの本を読めるのか・・・これは重大な問題です。60歳を超えた今,その感覚はどんどん強まっています。

渡部昇一氏が「 自分は死ぬまでにあと何冊の本を読むことができるのだろうか。」と記したのは,まだ40代の頃。
きっとそれから40年間の残り時間でとんでもない数の本を読み,書かれたのだろうと思います。

私はすでに60歳。残り時間は,この時の渡部昇一氏の半分しかありません。それなのに,読書に書ける時間は,100分の1くらいではないかという気がします。


「そりゃマイクラの実況ライブ放送なんてやっていたら読書なんてできないだろう?」と一人で突っ込んでいますが,読書を渇望する自分とライブ配信という新しい挑戦をしたい自分とどちらも本当の自分です。
「どちらか」にはできないんです。

自分の人生なので好きに生きればいいんですが,時折このようなメモを引っ張り出してきて気持ちを当時に戻さなければ,これからもやりたいことがどんどん出てくる中で読書が埋もれてしまいます。


そんな気持ちがあって,今,過去に読んだ本のハイライトや線,本中に書いたメモ,折り目でしめした箇所など,本に思いを残してそのままにしているものを一冊一冊集めていくという,実に地道なことを楽しんでいます。

過去を向いている作業のように見えますが,やってみるとそうではないです。先程のメモのように,生きてこれからの人生にはたらきかけてくるんです。

そして,そのメモたちが響き合って,新しい価値が生まれます。

これもまた,読書の秋にふさわしい行動なのかもしれません。


次の記事,読書メモを探し集めていることについて書いた記事はいかがでしょうか?


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