「ハーメルンの笛吹き男」
ハーメルンの笛吹き男とは?
「ハーメルンの笛吹き」ってご存知ですか?
ご存知ですか?って失礼なこと言ってすみません。
実は,私はこの有名なお話は、世の中の人みんなが知っていて,知らない人はいないとずっと思っていたのです。
ドイツの昔のお話。
ハーメルン市でのできごとをお話にしたものです。
グリムの「ドイツ伝説集」に掲載されています。
絵本もあります。私は幼稚園の時、雑誌の付録で出会いました。
絵の題材としてもとてもよいお話で,よく子どもたちにもお話を読んであげて絵に描かせていました。
ところが,ある日,美術指導の研究会の後輩と話をしていた時のことです。
何かお話の絵のよい題材はないかという話になったとき,
「ほら,あれ。ハーメルンの笛吹き。あれやったら?男と子どもたちの大きさの対比,一人の男とおびただしい数のネズミという数の対比,昔の服や異国の街並み。おもしろい絵ができるよ。子どもたちも大好き」
と言ったら,
「それなんですか?」っていうんです。
もうびっくりしました。
それで若い先生たちに聞いて回ったんです。そうしたらだれも知りませんでした。
世界的に有名なあのお話を知らない世代が現れている・・・。
それで,ご存知ですか?とお聞きしました。
ハーメルンの笛吹きの概要
簡単にお話の内容を言いますね。
昔,ドイツのハーメルンの街にたくさんのネズミが繁殖して,蓄えていた小麦を食い荒らしたり,服を噛み破いたりして生活に害を与えたので,街の人たちはネズミ捕り男にネズミを退治してくれるように頼みました。
ネズミを退治してくれたら,お金をたっぷり上げるという約束です。
ネズミ捕り男は,街の通りを笛を吹きながら歩きました。すると街中のネズミたちがぞろぞろ家から出てきて男の後ろをついて歩きます。
やがて,街はずれの川にたどり着き,男は笛を吹きながら川に入ります。ネズミたちもついて川に入りみんなおぼれてしまいました。
町の人たちは大喜び。
しかし,お金を払うときになって急にもったいなくなります。「おまえは自分で退治したわけじゃない。笛を吹いただけだ。だからお金はやらない」とつれなくネズミ捕り男を追い出してしまいます。
怒ったネズミ捕り男は,また笛を吹いて歩き出しました。
すると,今度は家々から子どもたちが飛び出てきて踊りながら男の後ろをついてきます。家の人たちは止めようとしましたが,体が動きません。
やがて,男は子どもたちをつれたままハーメルンの街を出ていきました。
子どもたちは二度と帰ってきませんでしたとさ。
というお話です。
前振りが長くなりましたね。
ここからです。
実話が伝説になっていく過程
この本は,阿部謹也先生が,1971年にドイツに留学中,古い資料を読んでいて,ある研究者の資料に出会ったことが、きっかけで生まれました。
そこには「この地にハーメルンの笛吹き男に連れられた子どもたちが入植した可能性がある」という言葉があったのです。
背中に電気が走るような感触だったと阿部先生は書かれています。ただのお話だと思っていたハーメルンの笛吹き男。
実際に起こった可能性のあるお話なのか・・・と。
そこから,ハーメルンの笛吹き男の研究が,余暇を利用して始められます。
そうして集められたたくさんの資料からこの本が書かれました。
阿部先生のドイツでの仕事はドイツ植民地運動についての資料の渉猟だったのですが,わき道にそれたことで,豊かな水量の井戸を掘りあてたのです。
この笛吹き男の話を知っていた人も,これが実話である,ということまではご存じない方もおられるでしょう。
ドイツのハーメルン市の記録に,1284年6月26日に130人の子どもたちが行方不明になったとあるのです。
そして、この事件はその後数百年もの長い間,街の人たちを悲しませ,不思議がらせ,なぞ解きをさせ,そのうちに世界的に有名になっていったのです。
実際に子どもたちが通った通りは「舞楽禁制通り」という名で呼ばれています。
結婚の行列が音楽の伴奏を受けながら教会から出てくる時も,この通りでは静粛に通り過ぎる習わしです。
かくも街の人たちを長く悲しませることになった子どもたちの失踪はいかにして行われたのか。
舞踏病,移住,子ども十字軍,聖ミカエル巡礼,修道院内へ誘拐,地震による山崩れで死亡,群盗による誘拐,新兵として召集,ペスト・・
このことにまつわる説は,25ものテーマに分類されるといいます。
しかし,実際に1284年6月26日に130名の子どもが失踪したという事実以外には今も分かっていません。
阿部先生は,これらを詳細に調べ,笛吹き男伝説がこの700年の間にどのように人々の心をつかんだのかを,解き明かしてくれます。
その結果,この本でその謎が解明されるわけではありませんし,阿部先生もおそらく近い将来に解明されることもないだろうと述べておられます。
しかし,私がこの本から得るのは,700年前に起こったことの答えでもなければ,先生が調べられて明らかにされた知識でもありません。
何かに一生懸命に取り組んでいれば,思いもかけないような副産物が得られるものだということです。
この本は,まさに阿部謹也歴史学の本流から生まれた副産物。
しかし,その後,阿部先生が社会史的な視点から独自の歴史学を切り開いていく端緒となった偉大な副産物です。
私は,大学時代に西洋史の研究をしているときに阿部先生の書かれたこの本に出合いました。
それ以来,心の師としてきた阿部謹也先生のこの著作とも,もうそろそろ40年近いお付き合いです。
ご本人は,2006年にお亡くなりになりましたけれども,私はまだまだ師事しています。