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他責思考の塊のような言葉が落ちてきた

職場で仕事をしている時、後ろから
「全部、会社が悪いんだよ」
そんな声が聞こえてきて、ギョッとした。

隣の課でパソコンの調子が悪い人がいたらしく、それを見ていた別な人が揶揄して、そう軽口をたたいたようだ。
その後も、これも会社のせい、あれも会社のせいと盛り上がっていた。

全部、会社が悪いんだよ

他責思考の塊のような言葉だ。
ズドンと私の心に落ちてきた。



時短で働くようになる前まで、私もそう思っていたことを思い出した。

課の中で思ったような働きをしてくれない人がいたら、それをどうにかしてくれない上司のせい。
仕事のやり方に無駄な作業が多いのに、改善しようとしないのは上司のせい。
残業が多いのは、人が足りないのにそれを分かってくれず、新しい人を採用してくれない経営陣のせい。

上司や経営陣は私たちの不満を解消してくれるために、働きかけなくてはいけない。
どこかそう思い込んでいたような気がする。


実際はどうだろう。
フルタイムではなく、時短勤務というマイナーな存在になったことによって、見えてきたものが沢山ある。

限られた時間の中で仕事の成果を出さなければいけない。
自分なりの時短術や、他の一緒に働く人への協力の要請などなど、自分から動かなくてはより良い職場環境は手に入らない。

少数派になったことで、強制的に思考が切り替わったような気がする。


誰かのせいにするのは、気が楽で、じゃあしょうがないか、と諦められる。
一方で諦めてしまうので、当然思考もそこで止まってしまうのだ。

自分一人なら勝手に諦めてな、と思うけど、口に出してしまった時点で他の人の思考も止まってしまうのだ。
ああ、これは会社のせいだから自分ではどうしようもないか、と。

そんなことはない。やり方は幾通りもあって、自分でコントロールできることも多いのだ。
仕事の中にはコントロール不可で自分でもどうしようもないということもあるだろう。
その時は、自分から仕事を切り離す、やめる、変えるという選択もあるのだ。
諦めてしまうと、そこまで思考がいかず、つらい職場にとどまり続けることになる。

他責思考で主体的に考えないとそういった悲劇も起こるのだ。



今は気軽に、会社のせいだねなんて言えない。
それは自分も周りの人も道連れにしてしまう、呪いの言葉だと思っているから。

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