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好きなものを好きと気づく感性。好きなものを好きと言える勇気。

  もうあと数時間で誕生日を迎える。(日本時間で考えるともう迎えてるか。)今年も1つ年をとる。そのことに特別な抵抗があるわけではないし、私はそれなりに今を楽しんでいるし、昔に戻りたいとも思わない。ただ、今でも十代の時のあの「感覚」は取り戻したいと思っている。

 今年、私の大好きなミスチルがデビュー30周年を迎え、先日ツアー詳細が発表された。見たい。ライブに行きたい。その気持ちはすごくあるけれど、おそらく私は様々な事情から今年も日本へ行けないだろう。もちろん、日本にいたってライブに行けるわけじゃないけど・・・ 少しだけ寂しくなっていたときに、嬉しい再会もあった。中学生の時に聞いていたラジオのDJ、赤坂康彦さんのチャンネルがVoicyにできていたのだ。昨年の初めにVoicyを聞いていたのに、ちょうど聞かなくなってしまった夏頃から、赤坂さんの番組が始まったらしい。急いで聞きにいったら、とても懐かしい声を聞けた。今、夢中になってアーカイブを聞いてる。

 ミスチルは私にとって、音楽の入り口。そして赤坂さんのやっていたラジオは、その音楽の世界をすごく広げてくれた。リクエスト番組だったのもあり、様々なジャンルの音楽に触れることができた。それは微かに、今の作詞家という仕事につながっていると思う。

 この2つの「私の好きなもの(ひと)」は、私が十代の時に出会ったもの。そして私は、この「好きなものが一瞬でわかる十代の自分」に、今でも感心している。ミスチルは、テレビCMだ。ドラマ主題歌に起用された曲が、ドラマのCMとともに流れたのを耳にした。CMだからたぶん15秒。その15秒で、私は雷に打たれた。それまでの十何年の人生で聞いていた音楽と、まったく違う「何か」を感じた。誰が歌っている、なんて曲かを知らなくて、次にもう一度そのCMが流れる機会を待った。あの時の興奮は忘れられない。

 赤坂さんのラジオだってそう。赤坂さんはテレビで拝見して、顔と声はなんとなく知っていた。ただ何をやっている人かまではよく知らなかった。中学2年生くらいのとき、クラスメートがよくラジオの話をしていたから、私もラジオを聞いてみようと思った。ある日父のラジカセを借り、初めてラジオというものをつけてみた。その時は、FMもAMも知らない。ただ何となくダイヤルを回して、こうやってラジオは聞けるのか…と思っていた時に、ふと耳にした声。「この声知ってる!」ダイヤルを回す手を止めて、聞こえてくる声に耳を傾けた。それが、赤坂さんの番組「ミリオンナイツ」だった。そこから毎日ラジオを聞くようになった。

 ミスチルも赤坂さんも、十代の私はたったの15秒くらいで判断してる。理由なんかない。ただ「好き」って。これが夏の雷。

 この経験が、わたしの基準になっている。だから30代で嵐を好きになった経験は、春の雨だった。2週間くらいずっと嵐のアルバムを聞き続けて、なぜ飽きないんだろう?って考えて、もしかしたら声が好きなんじゃないか?と思って、5人の声を分析して、やっとわかった。わたし大野君の歌声が大好きなんだ!・・・ここまでで約3週間かかった。好きなものが増えるのは嬉しかったけど、15秒で気づけたことが3週間かかった、それに驚愕した。私の感覚って、そんなに衰えているの?と自分が怖くなった。それは明らかな劣化だ。感度のね。

 感度を劣化させるものは、バイアスだろう。私の場合だったら「私がアイドルなんかすきになるわけないじゃん」という思い込み。でも生きているうちに、そういうのって身についてしまうんだ。だってある程度予想して生きた方が楽だから。ビジネス書やマニュアルに書いてるでしょ。最悪のケースを想定しろとか、次に起こることを予測して行動しろとか。確かに、仕事をする場合そうしたほうがいいのだろうけど、こと創作というジャンルにおいては、これは致命的なんだと私は思っている。

 作詞をするようになって、私はだいぶ感覚を取り戻す。次に好きになったものは、10分くらいで気づけたから。ただ好きなものを「好き」と気づくことはできるけど、好きなものを「好き」と言うのはまた別の難しさがある。どうして私たちは、他人にどうみられるかを、こんなに気にして生きているのだろうね。誰にどう思われたって、どうだっていいのにね。でも、やっぱり人間関係において、気にせざるを得ない。だから「あの人こういうの好きなんだ」って引かれたらどうしよう、とか考えてしまう。

 誕生日を迎えるにあたり、今年も新たな決意をしよう。好きなものを好きと最速で気づける感性を持ち続けたい。そして好きなものを好きと言える大人になりたい。目指すは、常識のある自由人。

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