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大好きだったな。

二つのものを失った。大好きだった音楽と、大好きだった彼氏。

正確には自分で作って歌うことができなくなった。これが作りたいとか歌いたいとかがなくなって全てなくなった。私にとっての創作欲はどこにも行けない莫大な怨念と現実逃避と10代にしてはキツすぎる環境をどうにか生き抜くために何か作って歌って昇華したかっただけだった。本当に息を吸って吐くと同義だった。

全ての元凶は私の家庭環境にあって、父親がおらず母親と二人で暮らしていたから。毎日の意味のない怒号を浴び続けてひたすら鎮痛剤の音楽をイヤホンから垂れ流して生きるしかなかった。自然と音楽を作るのには時間も掛からなかったし当然のことだった。自分にとって良い歌だなと思うのも作れたし歌ってライブしている時だけは息がしやすかった。

そんな日々を過ごして数年、同じ病気を2回した。統合失調症、自分と世界の境界線がわからなくなって何が事実で現実で何が自分の妄想なのか全くわからなかった。全ての人間らしい生活はストップ。大好きな音楽は聞けなくなった時期も何回もあった。今まで築き上げてきた人生が全てリセットされたような気分だった。

元凶である実家からは離れ、健康も戻ってきた。10代のあの頃に比べればとても幸せな状況だ。が、本当か?

常になんらかの負の感情が巻き起こる環境にずっといて、その痛みが原動力で動いていた私にとって強烈な痛みがない生活はどう過ごせば良いかわからない。
本当の意味で自由なんだと思う。健康も取り戻した、家に帰っても怒号が鳴り響くことはない。どこの場所に行っても安心ができる。だけど、そんな平穏がつまらなくて人は皆何を原動力に生きているのか?なんて聞くとそんなものはないと返される。どういうことだ?本当にゼロになった。体と雨風が凌げる家は用意しているからどうぞご自由に生活してくださいって投げ出された気分。何をしようか。

第2章が始まるだろうこれからに大好きだった人はいない。俺は勝手に幸せになるし、お前も幸せになってほしいって言われてムカついた。今まで言われた言葉の中にいた私はもういなくて、それでも勝手に幸せになるんだって。私がそこにいないのに?幸せになるの?そして?私にも?幸せを願うの?どうして?この言葉をかけられたときは素直に私も相手の幸せを願おうと思ったけど今では1ミリも思ってない。勝手にしやがれ、という気持ち。それでも過ごした時間の中で私の今までが本当に詰まっているなって今は思う。どうしても私の家庭環境の影響が色濃く出ちゃってたくさん迷惑をかけることもあった。離れるべき理由も離れざるおえないこともたくさんあって本当に悲しかった。好き同士だから一緒にいたのにその関係が崩れる状態になったのが本当に辛かった。もっと違うタイミングでもっと違う場所で会いたかった。好き同士の関係で最後まで終わりたかったな。歪な関係にしちゃってごめんね、ありがとうさようなら。

彼氏が欲しいとか好きな人が欲しいとか恋をする愛するだなんだあるが、そこから生活が続くこと、私の根幹に繋がることもあって迂闊に手を出せない。当分は好きな人も彼氏も作らないでしょう。遊びはするだろうけど。家族と恋愛は切り離されているものだと思っていたけど、そんなことなくて、家族というものが自分にとってないと考えているうちはもう何もできない。家族がないも同然な人が好きな人を作って一緒に生活をするのは贅沢なことだから。前までは、私の人生をぐちゃぐちゃにしてほしいとか言ってた気がするのだけど、今は私が相手の人生をめちゃめちゃにしてしまうからそんな責任は取れないからごめんねという気持ち。

何が書きたかったんだろう、大好きだったな、って感傷に浸る花束みたいな恋をしたみたいなことを書きたかったんだろうけど全然違うものができた。
でもこれだけは言える。本当に大好きだった。過去形になってしまうのが本当に悲しいけど諦めも一つの区切りとしても思えるようになった。好きだったものがなくなって何を指針に進めば良いのか本当にわからないのだけど、どうしようもなく人生は長いらしくて、それにしては24年が濃すぎる気がするんだけど。そろそろ私の人生を前に進めないといけないなとも思う。まずは卒論を終わらせないと何もできないんだけど。3月までに全部大丈夫になるのかな、なって欲しいな、ならなかったら面白いね。そんな感じ。





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