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私だけ落ちた?強制送還?【マイストーリー①】〜英語・海外へのきっかけ編〜


【私だけ・・・落ちた?悔しいはチャンス!】

キャーかわいいー!愛くるしいコアラとカンガルーのぬいぐるみをもらいました♡叔母のハネムーンのお土産です。えーコアラってオーストラリアにいるんだぁ!かわいいなぁ♡見てみたいなぁ♡オーストラリアーってどこにあるの?雪降らないんだー!いつかいってみたいなぁ・・・そのために英語もやっときたいなと思った小学生の頃の記憶。


こんにちは。青森出身仙台在住、2歳の男の子のママ りなです。英語が苦手なママに子育てで笑える新しいきっかけと、世界が広がる土台を『英語』と『ヨガ』を通してお伝えしています。長期留学経験のない私が、英語でヨガを教えるに至ったきっかけをお伝えします。


時は経ち、遡ること中学生の時のこと。
市のオーストラリア夏季短期留学の募集要項を発見!え!これ絶対私のための取り組みじゃんっっ!!!英語もいつも通知表5だし。私こそが選ばれるのにふさわしい!ビビビときた私は夜な夜な熱烈な想いを作文にして、何度も何度も書き直して提出。

そしてたら、なんと!
仲良し4人のうち、私だけ、、、落ちた。しかも抽選で・・・。は?作文読んでよ!みんな本当に行たい人?動機は?じゃ作文なんか書かせないでよ。初めての理不尽な結末に枕を濡らして泣いた。


そして時は経ち、、、
青森の田舎からでできて、晴れて仙台で大学生になった私、
初めて仲良くなったグループが皆海外経験者。
さすが都会ね!と地域格差を感じていた。
ちなみに英語科ではない。


そんな大学2年の夏休み、高校の同級生がカナダに短期留学したと聞く。
その子は外語大だから驚くことでもないんだけど、
その時はなぜかすごく悔しかったというか羨ましかった。


そして思うのです! 
なんでこんなに身近でみんな海外に簡単に行けるに、自分は行ったことないんだ?
それなら、私も行けばいいじゃんっっ!!

うん!行こう!!思い立ったが吉日、誰にも相談せずにトントン拍子に申し込みを済ませた。


あ、この時点で英語が好きとか得意とかではなくて、
ただ海外に行ったことない自分に劣等感があっただけ。

大学3年の夏休みに初海外が1人でオーストラリア(ゴールドコースト)にまず1ヶ月。ここからが私のグローバル人生の幕開けです!

英語は、、、しゃべれなかった。
なのに初海外が1人で、シンガポール航空で乗り継ぎして1か月。無知とは時に勇敢になれる!

さらに大学3年の冬に再度オーストラリア(パース)に1ヶ月。その後も在学中にロサンゼルス、メキシコ、グアムと海外旅行にも慣れた。

余談だが、中学生の時にオーストラリアに抽選で行った友達3人は、その後英語や海外にまつわることはしていないというから人生面白い。

何事も起こることには意味があるのだ!


『まるで犯罪者扱い!・・・からの強制送還!?』

アムステルダムはパトカーから車窓で観光していた。
大学4年の春休み、一人卒業旅行としてイギリスへのホームステイ後ヨーロッパをバックパッカーとして周遊する計画を。
イギリスからオランダに深夜に船でドーバー海峡を渡った時のこと、まだ真っ暗。眠気の残る中、明るくなるまで駅の待合室で時間をつぶそうと思っていた。宿は取っていなかった。自分の体から1m先のゴミ箱にゴミを捨てた。

あれ?リュックがない!!!!!
え?ん?背負ってるっけ?
いや、ない!!!!!OH、NO!!!!!
寝ぼけていた私はアムステルダム駅で全ての荷物、お金、パスポート、航空券、カメラ全て盗まれたのである。正味3秒。

慌ててあたりを走り回るもリュックが・・・ない。私はひと目もはばからずに叫んでいた。

誰かに盗まれた!リュック盗まれた!誰か助けて!

とパニックになりながらも英語で。そのときもちろんNOBODY JAPANESE。日本人はいなかった。心配した中国人が優しく声かけてくれて、周りの人も情報をくれた。顔に傷の入ったリビア人が持っていったの見たと。でもあまりにスムーズで知り合いかと思ったと・・・。んなわけあるか!


そんなこんなでアムステルダムはパトカーから車窓で観光
助けを求めたかった大使館関係者には『あなたみたいな日本人がいるから日本人がなめられる』と罵声を浴びせられ、
用意された寝床は、前日に空き巣の入った薄暗く小汚い民家の一室。

いやちょっと待って。私は全部盗まれてここにいる。なのに、昨日空き巣入ったとこに寝せるってどういうこと?身の危険すら感じた。


友人や家族にメールさせてもらうも、全て文章も監視される。
パスポート再発行までの外出は付添人付き。まるで犯罪者扱いだ。
オランダは麻薬が合法の国。売り飛ばされなかっただけよかった。
こんなドラマのような本当の話!今でもはっきりと覚えてる。


今は時代が代わり、WIFIをもって気軽に海外にいく旅女が増えた。
私は自身の経験から、その国のことをしっかり知ってから行くことを強く勧めていきたい。慣れた頃が一番危ないのだ。

当時大手旅行会社の内定者であった私は、帰りの航空券はイタリア発でとっていたのにイタリアに行けないことから、会社に報告するしかなかった。

私は冷静なのにも関わらず『この子は頭がおかしくなっているからすぐに帰国させなければならない』
と勝手に国際電話を代わられて内定先の会社に告げられた。
そのことが、入社そうそう問題児扱いされる苦しい社会人生活の発端となるとはその時は思っていなかった。



『母は言う、旅を続けなさい』 



旅の志半ば・・・大使館に強要され実家へ電話。
怒られるだろう、呆れられるだろう、ビクビクしながらいる私に母は、
「旅を続けなさい。社会人になったらヨーロッパなんて簡単に行けないよ、
お金なら送金するから」
予想外の言葉。

この言葉にどれだけ助けられたか!

母は、私がなぜバックパッカーをしようと思ったのか、
その経験を旅行会社社員として身をもって伝えたいという想いを知っていた。幾度に渡る海外経験も親に頼らず、大学生ながらサークルや飲み会にお金を使わず、計画的に貯金していたことを理解してくれてたのだ。

結果として旅を続けることはできなかった。内定先の旅行会社にこれ以上迷惑をかけれなかった。あのときは良いなりになるしかできない海外で被害にあったただの大学生だったから。1席あいたからすぐ空港にいって交渉して帰国せよ!と指示があり、アムステルダム空港でたらい回しにされながらなんとか帰国できた。

国際空港なのに荷物がない私に、たくさんのヨーロッパ人が声をかけてくれた。初対面の方にマックもご馳走になった。やはり人は支え合って生きている。当時の私の英語力なんぞ微々たるものだったけど、心で優しさをたくさん感じた。もし日本にきて困っている外国人がいたら絶対助けよう!そんな気持ちにもさせてくれた貴重な経験となった。

問題児として新卒入社した私は、後に海外旅行保険の販売率NO.1になった。そりゃそうだ。この話すると、保険なんかいらないといってたお客様が、皆申し込みこむのだ。


更に産休前までは営業マン&海外添乗員として働いていたので、説得力が違う。多い時は一人で100人以上のお客様を海外にお連れして旅程管理をしていた。安全第一。皆が辛い想いをせずに楽しいだけで帰るのには、意外と地道な確認業務を繰り返していることも少しだけ頭の片隅に置いていただけるとありがたい。そのために私は存在していたのだ。

マイストーリー②へ 続く

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