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わたしの中の牛に引かれて、20年ぶり善光寺参り

飯綱町の仕事が入ったのでついでに糸魚川行くかとなりじゃあ長野に泊まろうからの善光寺参り。

よく考えてみたら、前回行った時は御朱印も集めてなかったし、まだ貰ってない!というのが動機。

善光寺は添乗員時代に何回も来ていたのもあって旅程に組むにはプライオリティが低い場所。2度と行かないところがほとんどなのでそんなに騒ぐことでもないですが。また行くのかという消極的さ。

昔はあまり寺にも興味なく、添乗員として立ってただけ。見え方が違うかもと前回の日光で思ったのです。

大人になって、ある程度見て回って気持ちが落ち着くと、自分自身の見える範囲や感動できる能力が上がる(?)ような。物の価値を理解するための知識って視野に関係するなあと最近しみじみしてます。日光のだいゆういん(漢字でない)も、ココこんなにすごいところだったんだなあと素直に感動しました。

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知ったらそれで終わりでなく、知ると新しいものを受け止めるベースになる。

知らなければ迷うこともない。迷わなければ揺らぎも生まれない。迷えるというのは新しさを受け止められるってことでもある。迷ってる時というのは新しさと向き合う時だなあとふと思いました。

新しさが自分に楽しさや喜びなどももたらすという成功体験があると、新しさを受け止めやすくなりますね。

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で、今回の善光寺の訪問。

朝の法要 朝事【あさじ】に参加したい勢いでしたが、無理はしないお年頃。自然なペースを保つ旅程。2回目、3回目だからの心の余裕。

実は、朝あまりにぐっすり寝てしまい(糸魚川の疲労)朝起きたら7:45とかでした…

寝ぼけてるのかすぐ動けません。荷物詰めて、チェックアウトしてとか思ってると9時くらいから稼働スタート。

ホテルの立地が善光寺そばなので眠気覚ましの散歩なイメージに歩く。

古道具屋さんに引っかかるわたし笑 カオスな佇まいが面白い。

友だちを待たせてめっちゃ真剣に見てる

お皿欲しい…とみてますが皿重いし割れないように運ぶのが面倒でどうしようかなと迷いまくる。豆皿が好きなので好きな柄があったら一枚でも買おうと思ってしまう…

散々悩んで、菊だかたんぽぽだかの箱にしました。アンティークではなくて安くもなくただの中古品ですが、なんか可愛くてゲット。

寄り道をしながら山門に到着。

仁王門は重要文化財

仁王門は1918年建立…現代じゃん!かっこいいですが、これが重要文化財とはどういう基準だろう?正確にコピーしたとか??

山門(三門)建立1750年

建立は1750年、江戸時代中期あたりですかねー、徳川綱吉とかその辺りとうろおぼえ。意外と新しい。善光寺といえば武田信玄がご本尊を気に入って甲府に持って帰ってしまったという逸話を思い出します。

だからそれより古いイメージありました。信玄は戦国時代の人だから1600年より前。そうすると1759年はあれ新しいと感じる思考回路になります。認識改めました


国宝本堂

Wikipediaによれば

『白雉5年(654年)より絶対秘仏とされている善光寺の本尊「善光寺式阿弥陀三尊」は、天竺の月蓋長者が鋳写したものとされ、百済の聖王(聖明王)を経て献呈されたか、難波の津に漂着されたものとされる。日本に来るも廃仏派の物部氏によって捨てられる(一説に和光寺)が、本田善光に拾われ、小山善光寺から信濃の元善光寺に、次いで現在地に遷座したと伝えられる。創建時期は不明だが、近江国周辺で見られる湖東式軒丸瓦が発掘されている。』

と書いてありました。

元善光寺、飯田市で場所が全然違う!!!

『古くはこの地を麻績の里(おみのさと)と呼んだ。推古天皇10年(602年)にこの地の住人本多(本田)善光が、難波の堀江(現在の大阪市)で一光三尊(善光寺如来)の本尊を見つけて持ち帰り、麻績の里の自宅の臼の上に安置したところ、臼が燦然と光を放ったことからここを「坐光寺」としたとされる。(Wikipediaサイトより引用)』

さらに
『その後、皇極天皇元年(642年)、勅命により本尊は芋井の里(現在の長野県長野市)へ遷座され、この寺が善光の名をとって善光寺と名付けられたことから、坐光寺は元善光寺と呼ばれるようになった。遷座された本尊の代わりに勅命によって木彫りの本尊が残され、また「毎月半ば十五日間は必ずこの故里(飯田)に帰りきて衆生を化益せん」という仏勅(お告げ)が残されたことで、「善光寺と元善光寺と両方にお詣りしなければ片詣り」といわれている。(Wikipediaサイトより引用)』

!!!

片参りの逸話は北向観音の方かと思ってました。

北向観音のサイトを見てみると

『北向観音様は北向に建立され 千手観音様を御本尊として現世利益を願い、また善光寺様は南向きに建立され阿弥陀様を御本尊として未来往生を願います。

現在と未来の片方だけですと片詣りと言われおり、向き合ってる両方をお詣りしたほうが良いと言われるようになりました。(サイトより引用)』

となっており、どうやら三箇所行った方がいいのだなと気がつきました。

北向観音は手水社が別所温泉でなかなか珍しいところ。また行ってみたいです。


ちなみに甲斐善光寺は

『当山は、開基武田信玄公が、川中島の合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(1558)、御本尊善光寺如来像をはじめ、諸仏寺宝類を奉遷したことに始まります。板垣の郷は、善光寺建立の大檀那本田善光公葬送の地と伝えられ、善光寺如来因縁の故地に、開山大本願鏡空上人以下、一山ことごとくお迎えいたしました。その後、武田氏滅亡により、御本尊は織田・徳川・豊臣氏を転々といたしましたが、慶長三年(1598)信濃に帰座なさいました。甲府では新たに、前立仏を御本尊と定め、現在に至っております。』(サイトより引用)

なるほろー

お戒壇巡りもコロナ禍の影響で中止されていましたが最近再開。今回巡ることができました…明かりも減って、ほぼ真っ暗でした。何回入っても緊張します、この暗闇!なんとなく緊張して慣れてくるまでの気持ちの変化が面白い。暗闇はやはり怖いですね、見えない心許なさ。いろいろ自省します。

次の予定ら前々から行きたかった、東山魁夷美術館。

西宮神社

途中で、良さげなところがあれば立ち寄り。


結構高いところにある長野県立美術館。東山魁夷館があります。近代美術ってほとんど興味がないのですが、この人だけは大好き。東山魁夷は心を鷲掴みにされた人多いと思う人気の画家で、色使いが素晴らしい。書いてる絵も本当にファンタジーで引き込まれます。

見れなかったのでハガキ買う

楽しみにしていた緑行くは今回の展示にはなかったです…残念。しかし川端康成の作品の表紙に使ったものが展示されていてそれは面白かったです。

わたしがみたかった絵は竹橋の国立近代美術館で東山魁夷展があった時に見たことがあるのですがまた見たくて行ったのに常展ではなく、心が暴れましたが、ハガキを爆買いして(8枚)眺めました。画集持ってるのですがwww

なかなか充実した1日でした!

★オマケ★
今回楽しみにしていたものの、ひとつに【藤屋御本陣】でのランチもあります。

今回の旅程が決まった時に、友だちが即予約していた店。人気店なので平日でもなかなか予約なしだと危険な人気ぶりということで。

予約時間のちょっと前に行ったので中で待ったのですが入り口からステキプレイス

アールデコとヌーボーの間のようなインテリア
良い席だったのでもうテンション爆上がり
スターターですって!!
こういう前菜アラカルトは萌え
魚とリゾット、パリパリ最高⭐︎
豚のラグーとカーボロネロ(黒キャベツ)
オレンジ尽くしのミルクプリン
長野産の赤ワインブラックィーン

糸魚川の本日のランチ550円も美味しかったのですが、ここのランチは魂の洗濯だし、生きててよかったと思える楽しい時間。シャンパンを食前酒に、おかわりワインは長野産のブラッククィーン。(多分これ)これ本当に好みのワインで美味しかった。フレッシュな感じなんだけどバランスが良く濃厚と、ワインを語りたくなる味わい。

良い時間を過ごしました。

長野に行くならおすすめー。

ゴージャスなランチの後の腹ごなし散歩に善光寺七社なる神社の一つに行きました。

善光寺七社って由来はなんだかわかりませんが、神社だからチャンスあったら行ってみようとブックマークしていたもののひとつ。

善光寺三鎮守のひとつ、妻科神社。神社を鎮守として持ってる寺は由緒が古いし、個人的に好感が持てます。

善光寺四十九霊地ってなに?!って思って調べてみたら、

『善光寺七名所(ぜんこうじななめいしょ)もしくは善光寺四十九名所(ぜんこうじよんじゅうくめいしょ)とは、善光寺周辺の寺院・神社・池・清水・小路・橋・塚の7種類それぞれに7つ、計49か所の名所で構成された名所群である。(Wikipediaより引用)』

とありました。

7種類×7箇所=49霊地!

とんでもない量を巡ることになるから何回も来てね、善光寺ってことでしょうか。江戸時代にできたものだそうです。今の善光寺の建物は皆江戸中期なので建て替えてお金が必要だったのかなあと邪推しました笑

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