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MIMMIのサーガあるいは年代記 ー9ー

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                                          第 二 章

 
 甲午(きのえうま)如月 - 桃 子 は い か に し て 激 怒 し た か -
 
 桃子を盗聴していた4人組は、桃子のところの元気なお兄さんたちに高価な機材をすべて破壊され、散々に脅かされたのですから怒りが収まらず復讐を誓ったのですが、具体的方法が思いつきません。金属バットなんかを振るって押しかけても、元気なお兄さんたちに簡単に返り討ちにあうことは言うまでもありません。盗聴した内容をネット上に晒しても、出所不明、真偽不明でほとんど注目されないでしょう。4人はこう考えた末、マスコミに情報提供という形で盗聴内容の音声ファイルを送りつけました。
 
 どこかの大手マスコミが、「危険な政財界の黒幕-核兵器にサリンを使用か?」などと大々的に報じてくれば、桃子とお爺さん、お婆さんを困らすことができる、と考えたのです。しかし結局、どこも取り上げてくれないどころか、取材のための連絡もありません。完全に無視されてしまいました。
 それはそうでしょう。マスコミにとってお爺さんは触らぬ神にたたりなしの存在で、黒幕・フィクサーなのは周知の事実で、下手するとマスコミの社主などのトップとどう複雑に繋がっているか、下っ端の編集長くらいでは予想がつきません。お爺さんがコマーシャル・スポンサーに圧力をかけてくるおそれがあります。
 
 盗聴4人組は、国内のマスコミを諦め、国外の知名度の高いマスコミに、盗聴内容を送りつけました。もちろん、英訳の盗聴内容や、お爺さんの黒幕・フィクサーとしての風評なども解説しています。ですがまたもや、3ヶ月ばかりまってもなんの反応もありません。これはお爺さんの黒幕・フィクサーとしての影の力を怖れたというよりも、送られてきた資料があまりにも突飛で非常識だったためです。
 
 彼らとは別に、桃子やお爺さんに怒りをたぎらせている人物がもう一人いました。
 なお、怒りをたぎらせている人物は政財界に多くいましたが決して公然と口にできることではなかったので、これらの人は別にしてきましょう。
 もう一人の人物とは、桃子に取材を申し込んで門前払いをされた地方紙の若手記者です。彼は。隠れ桃子ファンでもありましたから、やや八つ当たり的な要素もあったのですが、原因はどうであれ理不尽な怒りはパワーを産みます。
 また、彼は誇り高い新聞記者です。報道の自由、国民の知る権利、国民の知る権利を仮託されたマスコミ人、いや国民の代表という意識を持っていました。彼の前ではあらゆる門が開かれ、すべて取材、報道できる万能の力が備わっている、と信じています。自分の取材を拒否することは、すなわち国民の知る権利を妨げことにほかならないのです。彼は、こう信じて疑いません。
 
 ですが、地方紙の駆け出し記者として彼の取材記事は、〇〇〇の農家で四つ子の仔牛が生まれた、✕✕✕で珍しい蛙が見つかったとか、山間部△△の清流で見つかったオオサンショウウオの体長は県内一の記録、という記事がもっぱらでしたから、ここで一つ大きなスクープをものにし、あわよくば□□□賞を手にして大手新聞社に移籍したいという、卑近な野心もあったのです。
彼は、お爺さんの黒幕・フィクサーとしてのよからぬ噂を蒐集し、あることないこと織り交ぜて世界的に著名なマスコミに売り込みました。これで国民の知る権利が護られ、神の次に神聖不可侵な新聞記者の面子も保たれた、と少しだけ満足しました。
 
 他方、桃子はと言えば、あの盗聴騒ぎ、警報器騒ぎには神経を高ぶらせていましたがここ数日はようやく落ち着いて家庭教師の授業を受けていました。しかし講義を聴いていても上の空です。生えた尻尾がもう元にもどってしまって、何かもの足らないからではありません。将来のことを考えていて講義に身がはいらないのです。
 お爺さんは将来ノーベル賞をとるんだ、とやたら言いますが、それでどうなるの、といった疑問が常々あります。グラフィック・デザイナーなんかもお洒落でいいな、と今日は考えています。もっともグラフィック・デザイナーがクライアントたちにどれだけ神経をすり減らすか、といったことは未だそうぞうもできませんが。彼女がほかになりたいものと言ったら、エリカやオフィーリアのような軍人になって、数万人の部下を率いて世界中を飛び回るのもいいかも知れない、と考えることあります。ですが、一番なりたいものはやっぱり花嫁かな、とも考えます。
 
 彼女がこうした暖かな白昼夢の雲の中を漂っていると、外が騒がしくなっています。門の外です。桃子のいる部屋から表門までは三重の壁塀に隔てられていますから、ここまで騒ぎが聞こえてくるとは並大抵でない騒ぎに違いありません。
 
「桃子お嬢さま、授業に集中してください。先ほどから気もそぞろなご様子ですが、いけませんよ」と女性教師が注意します。
「お嬢さま、念のために奥へお移りください」気配をさとられずにいつの間にか室内に入り込んだオフィーリアが、桃子に告げました。
「一体なにごとですか。騒々しいことですね」教師は批難を込めてオフィーリアに問いただしました。
「BBCの取材班が急に現れて、門前で撮影をして、ご主人に遭わせろと騒いでいるのです。門番と言い争いになってるようです。前回のこともありますので、念のためお嬢さまには奥の方へお移りいただきます」
「しかたありませんね。それにしてもマスコミの方ってお下品ですね。天下のBBCなのに」と、教師は口を歪めました。
「オフィーリア、BBCはなにを取材したいの」と、桃子が尋ねると、「さあ、知りません。野次馬も集まっているようですから、この前の盗聴騒ぎみたいになりかねませんから、とにかく奥へ」とオフィーリアが答えました。
「例の、スモーク! スモーク! ってやつをやって欲しいな」と、桃子は発煙手榴弾の安全ピンを抜いて、下手投げで投げる仕草を真似して笑いました。
「まあ」と、教師は口に手をあてました。
「とにかく奥へ」とオフィーリアに促されて、桃子は退屈なキケロの修辞学の授業から逃げられた喜びを隠しながら去りました。
 
「あのスモークは使わないの?」
「もう在庫がほとんどないんです。あれは戦車などのレーザー照準を妨害する特殊な発煙筒です。普通の煙幕では役にたたないんです」急ぎ足で廊下を進むオフィーリアは振り向きもせず答えました。「しばらくの間、この部屋から出ないでくださいね。あの盗聴騒ぎのあとで、完全な防聴対策をしてますから、この部屋は安全です」
 この部屋はレーザー・マイクロフォンやそれ以外の方法でも盗聴できないように窓ガラスごとに妨害ノイズを外に向かって発信する装置を取り付け、室内にもう一枚の壁というべきタペストリーで覆い尽くしています。また電子的盗聴を防ぐため、微弱電波が室外へ洩れないようにするとともに、盗聴器の有無を検査するクリーニングを朝晩二回おこなうようになりました。
 
「ここにいるのもつまんない。外がどうなっているか見せて」
 エリカは警備室へ連絡し、正門前の現在の様子と、BBCが門前でカメラを廻し始める一部始終の記録を、この部屋へ転送するよう命じました。数分後にこの部屋の大きなディスプレーに表示されました。
「大勢野次馬が騒いでるね。取材クルーは6人か。カメラ、カメラ助手、音声担当、レポーター、ディレクター、AD、あと通訳かな。意外と少ないね。何を喋ってるか、音声を上げて」

『この国の政財界の黒幕にしてフィクサーで世界的にも最近影響力をもちだした老人の住まいがこの豪邸です。この国の西部のとある大都市から離れた丘陵地帯の一角です。ご覧くだい、この塀の長さを。そして門の周辺を固める柄の悪い男たちを。まるでメキシコか南米の麻薬カルテルの邸宅とそっくりです』レポーターがこう解説すると、カメラマンが塀と正門にレンズを移動させます。『カット!』と監督が言いました。
『国内の要人ばかりでなく、海外の要人もこのようにここへ密かに訪れています』
『この時期、この国を訪れて居ないはずのアメリカの国務長官、わが英国の首相官邸筆頭秘書官が邸内に出入りする様子です。このほかにもロシア、中国を初めとする主要国の要人もいます』
 たぶんここで編集されて、資料写真か動画が挿入されるのでしょう。

「ひどいわねえ。お爺さまを悪人のように言って」桃子が声を荒らげました。

『そればかりではありません。ある取材源によると、先月この邸内で、戦術核兵器とかサリンという単語やひき殺すという単語が途切れ途切れに聞こえています。なにか国際的な大テロでも企てているのでしょうか』
 
「なんてことでしょう! あの日、お嬢さまがFU*Kと言って口にされた単語ですよ」とオフィーリアが天を仰ぎました。「盗聴されてたなんて」
「なんのこと? そんな下品なこと言ったっけ?」と桃子は可愛く小首を傾けました。
「お嬢さまの音声が、この次の部分にあとで挿入されるはずですよ。英語訳もつけて報道されるんですよ」
「ありえない!」
「それだけでは済みませんよ。ご主人の仕事がこのごろ有象無象の者に邸宅の周りを囲まれて上手くいってないのに、これが報道されたらご主人の社会的生命は絶たれてしまうんですよ。誰も相手にしなくなってしまいます」
「よくも、よくも、桃子をストーカーしておいて、お爺さままで。なんて奴らなの。虫けらめ、Fu*king F*uck! チンかす野郎ども!」桃子は、液晶モニターに向かって両手で中指を立てるハンド・サインをしました。
「お爺さまは、いまどうしてるの」
「心痛のあまり部屋に閉じこもっておられます。誰の呼びかけに答えられません」
「よくもそこまで追い詰めるわね。おいたわしいことです」
「ええい! 馬曳け! 黒王(注)を曳け! みんな蹴散らしてやる。ヒロコ-も呼べ! ロドリゴらに武装させろ!」桃子がいきり立ちました。
「桃子お嬢さま、それはいけません。大騒ぎになって収拾がつかなくなります。どうかお静まりください」オフィーリアはこう言うと、両開きの扉の前に立ちはだかりました。
 
 オフィーリアはずんずんと自分の方へ進んでくる桃子の肩を押さえようとししたところ、一瞬にして投げられました。彼女自身が教えたロシア軍の格闘術「システマ」を使ったのです。桃子はは師匠を超えた使い手になっていました。
 桃子は館を飛び出ると、「黒王はまだか? ロドリゴとヒロコ-はまだ」と大声で命じました。その声を打ち消すように、上空にヘリコプターが旋回していて、彼女を見つけると、高度を下げてきます。「ロドリゴ! スティンガーを発射しろ! 撃ち落とせ」と命じます。
 エリカとナナミンこと橋本が、オフィーリアからの連絡を受けて、落ち着かせようと前に立ちはだかります。ロドリゴも駆けつけます。
 彼がいくらメキシコ麻薬戦争で残虐非道なことをしたとはいえ、マスコミの前で大っぴらに行ったことはありません。さすがにそこらあたりの損得勘定を計算しています。ですから、スティンガーでヘリコプターを撃墜したり、門前の取材クルーに完全武装で駆けつけるようなことは、桃子の命令だとしても従うことはありません。
 
 黒王が厩舎から引き連れられてきました。二人の従業員が轡を押さえ、他の二人が手綱を引いていますが、黒王は暴れまくり隙さえあれば噛みつこう、蹴り上げようと暴れまくっています。ですからエリカもナナミンも桃子から離れざるを得ません。
 馬は桃子の姿を認めると、首を下げて大人しく近づきます。ですが鞍は載せてありません。
「チッ!」と桃子は舌打ちし、じゃまになる長いドレスの裾を半分ほど引きちぎり、この裸馬に跨がりました。黒王はいかにも誇らしいといった様子で、鼻息荒く勇み立ちました。
 そうして桃子は、並足で黒王を歩ませて「お嬢さまの館」を囲む門をくぐりました。
 
「ヒロコ-! お嬢さまを止めろ。命をかけても止めろ!」と、ロドリゴが近寄ってくるヒロコ-に叫びましたが、彼は呼ばれて慌てて駆けつけたので事情が分からず、命じられたままに黒王の前に棒立ちになってしまいました。
「じゃまだ、どけ」と桃子が低く言うと、そのまま黒王を進めました。身長2メートル強、体重120キログラム余りという巨体の彼ですが、黒王に簡単に跳ね飛ばされました。まあ、蹄にかけられて命を失わなかったのが幸いでしょう。
 
 桃子は門をくぐると黒王にギャロップにさせて次の門へ向かいます。この門を過ぎれば正門しか残っていません。それに青銅製透かし彫りの正門門扉をとおして彼女の姿が、BBC取材クルーや野次馬たちの目にはいってしまいます。これは新たな”おいしいネタ”を大衆に与えかねません。
「ありったけの発煙手榴弾をばらまけ! 種類は問わない。ボイラー室は不完全燃焼させて、黒煙で空を覆え!」と、さすがのロドリゴも慌てて命じています。エリカもナナミンもどう止めたらいいか分からないまま、桃子のあとを追います。もちろん倒れたヒロコーは捨て置かれています。彼らはパニック状態です。
 
 そのときです。お婆さんが第二の門の前に立ちふさがりました。オフィーリアが呼んだのです。
「桃子、落ち着きなさい。わたしの言うことを聞いておくれ。お願い」とお婆さんは静かに言いました。
 桃子は手綱を強く引き絞り、黒王を止めます。馬は急な停止で、竿立ちになり高くいななきました。お婆さんの頭上遙か上ですが、彼女は怖れず静かに「どうどう」と黒王を落ち着かせます。
 
「お婆さま。退いて、危ないから」
「わたしの言うことを聞いてからでも遅くはないですよ」
「あんまりだわ。お爺さまが可哀想すぎる。あの虫けらどもは勝手なことばかり言って……桃子がとっちめてやる」彼女は黒王を落ち着かせ、輪乗りをしながら答えました。
「桃子、お爺さまが今の地位を築くまでにどんな苦労をしたと思うの? ガレージの片隅でIT企業を興し世界一に育てるまでに、どんな苦労をしたか知ってる? 破産寸前の危機なんか両手の指では数え切れないほどよ。それにライバル会社や政府から妨害もあったわ。生命の危機もあったのよ。それらみんなをお爺さまは乗り切ってきたのよ。打たれるたびに強く、たくましくなって立ち上がってきたのよ。お爺さまがこれくらいで負けると思う?」
「……」
「とにかく馬から下りなさい。そしてお爺さまの過去を聞きなさい」
「でも……」と言いながらも桃子は黒王から降りました。
「お爺さまはまだ試合を投げ出していませんよ。ショックを受けて少し落ち込んでいるけど。世間の噂も75日といいます。今は静かに引きこもり、再び立ち上がりますよ。それにこの危機を逆手にとって、秘密をべらべら喋った連中やマスコミの扇動に乗った連中、敵に回った者たちをお爺さまは絶対に許しませんよ。むしろそういう面従腹背な者をあぶり出すいい機会かもしれません。そういう連中を排除したら、残りはお爺さまに忠誠を誓う者たちしか残りません。そうしたら、お爺さまのこのちっぽけな帝国は、より強固になり影響力を広げます。それがパワーです。だから桃子、早まって馬鹿な真似をしないで」
 
 桃子は少し落ち着き、涙を流しました。いくら天才少女なんといってもまだ16歳ですもの。やがて彼女は、こっくりと頷きました。
「いい子ね。ここは寒いからお部屋へもどりなさい。みんなが心配していますよ。……あらまあ! そのドレスはどうしたの? はしたないわよ」お婆さんは、桃子がドレスの裾を引き裂き、太ももまでが露わになっているのを、初めて知ったように言いました。

  (つづく)

 
(注)
 桃子10歳の頃、乗馬を習い始めた。奥州の馬商人が持ち込んできた巨大な黒馬。お爺さんは大金をはたいて買ったが、この馬は気性の激しい駻馬で、近づく者に噛みつく、後脚で蹴り上げる、前脚を上げて威嚇し、誰一人も乗りこなせなかった。ところが桃子は、この「黒王」が自分の影に怯えていると推測し、夜になってから角砂糖と人参、それと鞭で手なずけ乗りこなした。「黒王」は桃子にだけは従順で仔猫のように大人しかった。桃子がたやすく「黒王」を乗りこなしたとお爺さんが知ると、「桃子よ。お前に相応しい王国を探すがよい。この国はお前の居所はない」と叫んだという。

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参考:「スティンガー」
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB


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