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MIMMIのサーガあるいは年代記 ―47―

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             第 四 章
             王の帰還(7)
            ーひこうき雲ー
 
「まあ桃子。防空壕にいなきゃだめ」
 意外にもお婆さんの声がかかります。
「お嬢さま、ここは標的になって危ないです。すぐに降りてください」と、左腕を包帯で吊したゴンザレスがうながします。
「お婆さま、ここは一体なんですか? それに屋敷の中が知らないうちに変わってる。ゴンザレス、”警戒警報”ってなんのこと?」と、桃子は息を整えながらも矢継ぎ早に尋ねました。

「この邸宅が襲われそうなの。その兆候がついさっきあったから、わたしが”警戒警報”を出させたの」
「襲われるって? この前の襲撃で終わったはずよ。それにお爺さまやロドリゴはそこなの?」
 お婆さんは、ゴンザレスに向かって黙って顎をしゃくり、代わりに説明させました。

「近くの変電所で爆発があって、ここ一帯が停電で、三十分前から強力なジャマー電波妨害にさらされてます。この前、お嬢さまの車列が待ち伏せ攻撃を受けた時と、兆候がまったく同じです。また警察無線を傍受解読したところ、西十㎞ほど先に警察が設けた複数の臨時検問所が強行突破され銃撃戦がありました。
「それぞれ三人程度の武装グループが複数組あるようです。まあ、この銃撃戦は注意をそらすための陽動にちがいありません。反対側からここへ強襲してくるか、このお屋敷へ直接ヘリボーン攻撃。あるいはその二つの組み合わせが予想されます。今のところは他に兆候がありませんが、夕方から明け方に仕掛けて来る筈です。あと二時間くらいは、動きはないでしょう」

 彼はここで流れる汗を、首に掛けたタオルで拭いました。再び、防御戦術を解説します。
「この警備人数では、広い敷地を守り切れません。三重の外壁も突破されるかもしれません。ですが、周辺部と外壁の間の空き地に地雷を埋めています。それに敷地内の庭園や道路に”龍の歯”を設置し、ピアノ線で連結していますからヘリはたやすく着陸できません。奴らは集中砲火の良い標的になるだけです。「敵も何千人単位で攻めてくることはありませんから、運がよければこの二つの防御で襲撃を頓挫させることができます」

「それで撃退できないと、どうなるの」
「立てこもるしかありません。地下壕ならあらゆる攻撃に耐えます。敵も一日ずっと戦闘する能力はないでしょう。警察の特殊部隊や国防軍がいくらなんでも乗り出すでしょうから、攻撃は間違いなく頓挫します。
「ですから、早めに従業員とご家族に待避準備の警報をだしたのです。現在の警報レベルは、平常がレベル0としたらレベル2の危険度です。お嬢さまも地下壕から出ないでください。繰り返しますが、あそこは絶対安全です」
 
「この前も似たようなこと言って見込みが外れたじゃない。それに最悪の場合は、時間切れと他人の救援だのみ、ってのはまずいわ。積極的に反撃しなきゃ、やられてしまうわよ。敵もここの防御態勢を知っていると思う。ゴンザレスの思いどおりにならない」と、桃子が言い返します。
「それと……、警察無線を傍受してるって今言ったけど、電波妨害されてるとも言った。矛盾する」
 
「ちゃんと対策してますよ。トンネルで繋がった三㎞先の工場にアンテナとレーダーを立てて、そこからトンネルにケーブル引き込みここで送受信してますから、周波数によっては妨害の影響はありません。前回の教訓から対抗策を編みだしたのです」彼は最後の部分は自慢そうでした。
「ほかにも重火器を用意してますから不十分だとは思いません。サンチョが修復した九二式歩兵砲がもう一門残ってます。敷地外の敵の主な侵攻予想点の照準データーはとったから、初弾から至近弾が得られますよ。それになんと言ってもツングースカ(注1)があります」
 彼は、丘陵の外れに偽装網と草木の緑で盛り上がり、西陽を浴びて不自然な影を伸ばしている一点を指さしました。

「ヘリボーン急襲があっても、あれとスティンガーで五、六機は即座にたたき落とします。ツングースカの35㎜機関砲は、急造装甲車なんてティッシュペーパーなみに貫きます」
「人数は少ないけど圧倒的な火力があるってことで、自信があるようね。だけど敵も無能じゃないわよ。敵も頭を使うわよ」
「それと、食品加工工場にレーダーを置いたと言ったけど、レーダー波を発信したら逆探知される。闇夜に大きな花火をあげるようなものよ」と、桃子が辛辣に指摘しました。
 
 彼は、そのことに今まで気づかなかったので、有線電話を取り上げて、工場へレーダー使用中止の命令を叫びました。かたや桃子は、大きく溜息をつくばかりです。やはり先々が思いやられたのです。
 
「お婆さま、お爺さまは?」
「ここには居ません。天野もロドリゴとサンチョも。どこで何をしているかは、正確には知りません。知ってても教えられません。知らないのがみんなの安全です」と、お婆さんが強く言いますが、桃子は不満な表情のままです。
「それにしても蒸し暑いわね。陽が沈んでちっとは涼しくなればいいのに……。桃子、ちょっと風にでもあたりましょうか」と言って、鍔の幅広い麦藁帽子を手に取って、テントをでて屋上の西端へゆっくり歩いてゆきました。
 桃子は、お婆さんが二人だけで会話をしたいこと、それも今を逃せば二度とできなくなるかもしれないこと、と察してあとに続きました。
 
 屋上の西端に二人は並んで佇みました。風はそよともしません。
 日は生駒山系の彼方に沈みかけていましたが、まだ青空を茜色あかねいろに染めるまでは傾いていません。
 大和平野の南への拡がりを遮る霞んだ吉野の山々のかなたに、彫塑的な夏雲が頭頂だけに、陽光を留めて純白に屹立しているのが目の端にはいっていました。遠くの街並みの低い生活音を背景として、足元から蝉とキリギリスの声が昇ってきました。

「ほら。ひこうき雲」
 お婆さんは頭上の青く乾ききった空を指さします。
 
 純白な細線が南西へ滑らかに伸び、その先端は鋭く二筋にわかれ、雲が途切れた先に細微な機体が、西へ傾いた陽光を反射して輝いています。これと斜めに交叉し幅が拡がり形を崩しかけた、古いひこうき雲が数本たなびいていました。

「わたしが桃子よりずっと幼かったころ、わたしのおばあさんが『ひこうき雲』という曲が好きで、よく口ずさんでた。いまでも覚えてるけど、どこか悲しい曲で、歌詞の意味がわからなかった。歌詞に出てくる『あの子』が女の子なのか男の子なのか、年上なのか年下なのか、それとも何かの寓意なのか、わからなかったけど、なんとなく離別の歌だと思った。だけど、離別の歌ならもっともっと悲しい旋律になってもいいような気がした」
 おばあさんは、青空の『ひこうき雲』から目を逸らして足元を見ます。

「……あの頃のわたしは、『ひこうき雲』になって地上を見下ろしたらどんな気分なんだろうと、なんども想像したものよ。……だけど初めて飛行機に乗って流れ去るミニチュアの地上を見下ろしたとき、失望した。幻想的な情景もロマンもない即物的で猥雑な大地と海洋があるだけだったから。
「とにかく……青空を横切ってってぐんぐん伸びてゆく白い『ひこうき雲』を目にするたびに、曲と亡くなったおばあさんのことを思い出すの。歌詞を理解できなかったこともふくめてね」
 
 お婆さんは、ここまで一方的に喋ると、「わたし自身、何を喋っているのかよくわからない。元文学少女としては失格ね」照れ隠しなのか自嘲なのか、笑いをうかべました。
 そうしてお婆さんは、『ひこうき雲』の曲をゆるゆると、静かに歌い上げました。桃子が初めて聴く曲でしたが、彼女は一度で覚えようとしました。

 桃子は、お婆さんがそのおばあさんの思い出を語り、その象徴として『ひこうき雲』をいまここで見せたのは、桃子にも『ひこうき雲』を見るたびに自分のことを思い出して欲しい、と訴えたのだと考えました。この歌に隠された離別もそれと知らず桃子に暗示したのではないだろうか、とも。ここまで考え及び、さらに聴いた曲を心の中でリフレインすると、涙が溢れそうになりました。ですが、『ひこうき雲』の先にあるまぶしい夕日を凝視し、唇を噛みしめて、なんとか堪えます。
  (つづきますよ)
 

(注1)ツングースカ
https://www.youtube.com/watch?v=FgmJhwXUp8E


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