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薬を飲む前と薬を飲んだ後、どっちがわたしなの?

これは解決済みの問いである。
結構ね、発達障がい当事者から聞く話です。
発達障がい、特にADHDだとストラテラとかコンサータという薬が有名ですね。
これを飲むと注意欠陥がマシになったり音などの刺激に少し耐久力がついたり、連想と雑念のひしめき合う脳内がちょっと静かになったりする。作用の仕組みについてはググってくれ。

そんで、服薬してる当事者からたまにタイトル通りの疑問を聞くわけですね。ストラテラなんかは効果が出始めるのが遅いけれど、長期間飲んで継続的に効果が出るんで、服薬後の「わたし」が感覚のスタンダードになってくる。コンサータは朝飲んで夕方あたりに切れてくるんでそこらへんハッキリするんですけれども(それもしんどい話だよな)。

今回はストラテラを服薬している当事者の一人としてこの問いの私なりの答えを書いておこうと思う。全員の答えではないから参考になるといいな。当事者以外の人はわたしの答えを当事者に押しつけることのないよう気をつけてもらえればと思います。

答え
服薬を決めた私が本当の「わたし」。

めっちゃシンプルでしょ?
正直、素人としてはどっちが本来のその人かなんて医学的には言えないわけですよ。哲学だったらそもそもわたしってなに?ってところから始まるしね。だから哲学としてもステップ飛ばしすぎ問題だしね。
発達障がいを持つ一人の人間として人生をどう生きていくか、その手段として服薬を選んだ私がいる。それが「わたし」の正体じゃん?って話です。
薬を飲む前も飲んだ後もこれは変わらない。飲むという選択をして今日も一日120mgを服用した。
知ってる人は知ってると思うけど、フランスの哲学者デカルトさんが「我思うゆえに我あり」と言ったでしょ。あんな感じです(偉人の名言に乗る)。
「我決めたゆえに我あり」みたいな。
選択肢の数は自分だけでは決まらないけれど、選択肢から「選ぶ」のは自分。私はそこに自分を見ます。
だから、多少機能が変わろうと私は変わらずここにあるわけです。選択をしたから。

参考になったかな~なるといいな~
また気が向いたら書きますわ。面白かったからコンビニのコーヒー奢ったろかい!って人はサポートから100円入れといてください(笑)

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