詩。
最果タヒ展が2月にあるからチケットを購入しました。
国試目前だけど、推し事は一旦脳を溶かすための一環。
今は受験期ということもあり、大学受験の頃を思い出す。
私は進学校に通っていて、先生方は「大学生になれば、好きなだけ遊べるから今は我慢して勉強しなさい」とよく言っていた。
そんな説教じみた言葉を聞くたびに私は「おっしゃる通り。だけど18歳という時間自体、今しかないのでは?その時間を勉強だけに充てろというにはあまりにも無責任だな」と感じていた。それに大学にだって勉強しに行くわけだし。
反骨精神が強いのか、先生が言うことに心の中で反論していた。言うことは正論だけど、そうじゃない部分の方が大切なもののように感じていたから。
遊びや部活などの選択肢を消して、勉強だけさせる風潮の校風が嫌いだった。
勉強して行きたい大学に入ることは大事だけど、それはあくまで自分で行きたいと決めて努力した結果だから。私立より国公立が偉い、みたいな学歴コンプレックスを生み出すのは田舎の進学校の毒性だよな、と気づいたのは大学生になってから。
勉強しようがしまいが、これは私の人生で試験に受かろうが受からまいが自己責任。勝手に頑張るから黙っていてほしい、が本音である。学費を親に出してもらうことを考えれば純度100%の自己責任ではないけれど。今の受験期を通して、高校生の頃の自分に出会い直している。
あの頃感じていたことを今の私はちゃんと言語化して昇華できてるよ、と高校生の私に伝えてあげたい。違和感を感覚としてしか察知出来なかった18歳だったけど、あながち間違ってはいないと思う。思いたいだけかもしれないけど。
私は自分の価値観内でしか生きられないのだから、これからも心地いいものに広げて整備していけたらなと思う。
最果タヒ展に行くにあたって、最果タヒさんの「愛は全部キモい」の連載を読み、読み逃していた諸々の詩を漁っていると「女の園の星」に関するエッセイが出てきた。その中の『自分に出会い直している』と言う表現が今の私にしっくりきて、これを書きたくなった。
分からないから怖い、という感覚があると思うけど、分からないから面白い、という部分で最果タヒさんの詩がとても好きです。感情がただただ水のように流れ出てるような言葉の紡ぎ方。なんだか読んでると酩酊してるような感覚に陥ります。
勉強も今しかできないことだけど好きなことを糧としながら、大学生という残りの時間を大切に過ごして行きたいです。
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