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映画館で観る

7月下旬の話である。
もうすぐ夏休みというところ。7歳息子をフリースクールに送り届けた帰り道、お姉ちゃんも小学校に行き、息子に関する相談の予約も入れていない。このところ、なかなか自分の時間がとれないでいた。気分転換がしたい。

まっすぐ進んで5分で着く図書館に行くか、曲がって35分先の映画館に向かうか、車を運転しながら考える。助手席には返却する本が入った黄色い手さげ袋が見える。
私が馴染む選択肢は、真っ直ぐ図書館へ向かう道。図書館の駐車場に車を停めてから決めようか。しかし、それでは時間がなくなり、映画館へ行く選択肢は消える。
私は決めきれないまま、交差点を曲がった。
気持ちが二手に別れ、片方は体と共に交差点を曲がり、もう片方は図書館への道をまっすぐ進む。
時計は10時半になろうとしている。映画は11時20分スタート。さあ、どうする?

息子のフリースクールへのお迎えは15時。映画館からフリースクールまでの所要時間を考えると、映画の時間は、隙間なくストンとはまる。
お昼ごはんには、映画館近くのケンタッキーで、映画を観る前に食べよう、とシミュレーションするところまでいって、二手に別れていた気持ちが、ようやく一つになり、映画館に向いた。


その日、10年ぶりに映画館で映画を見た。
宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」だ。7月14日上映されると知り、カレンダーの日付を丸で囲み「映画」と書いておいた。子供が生まれる辺りから映画館には行っておらず、気がついたら10年が経っていた。

なぜ10年間行かなかったんだろう。
思いあたる理由のひとつが暮らす地域と映画館がある場所だ。
映画館があるのは隣の市だ。
住んでいる町はコンパクトにまとまっており、車で10分も走ると、スーパー、薬局、公園、児童センター、ガソリンスタンド、市役所、警察署と、あらかた生活や子育てに必要な所に行ける。
映画館に行くには35分程、車が混雑していれば1時間近くかかる。
夫婦二人での子育ては、生活の中に余白が少なく、この35分がとても長く、映画館を遠い所に感じていた。
あとは、コロナも関係している。娘が年中、息子が年少の終わりにコロナ禍になり、一層映画館から遠退いた。


久しぶりの映画館とケンタッキーはどうだったかというと、行ってよかった。

小ぢんまりした飲食コーナーで食べた、できたてのハンバーガーとポテトはとても美味しく、ジンジャーエールと共に賑やかに喉を通った。

映画の座席を選ぶドキドキ。 扉を引く時の、場内の空気と共に溢れ出る音。スピーカー音による空気の振動。座席を探す緊張感。畳まれた座席をパタンと下げる感覚。硬めの背もたれ。どれもこれも久しぶり。
真ん中よりやや後ろの座席を選んだが、大きなスクリーンが自分に被さってくるように見えた。
目に入りきらない画面の大きと聴こえる音の質量。そこでは、テレビのリモコンを探すことも、家庭内の音に気が逸れることもない。
久しぶりに映画館で観る映画は、頭で考えるより、感覚的に漂うような時間になった。

映画が終わり、暖色のほの明るい照明がつけられ、座席が畳まれる音や、話し出す声、足音が聞こえ始める。ふわふわしながら出た映画館の外は、白く、薄く、眩しかった。日の光が届くエスカレーターに乗り、目を細める。目の奥にはまだ、映画の世界がある。
同じようにエスカレーターを下る人の姿を、あの人も同じ物語を目の奥に見ているのかしらと眺める。

夏の日差しを、頬に、眼に感じながら、車に戻ると、中はサウナのよう。車のエンジンをかけると、エアコンから熱風が流れ、空気を動かした。


映画館。そこは日常から少し離れた所にあり、とても遠く感じていた。思いきって出かけたことで、道は繋がっていて、行こうと思えばまた行けるんだ、ということがわかった。次回は10年あけずに行きたい。観たい映画が公開される日にはカレンダーに○をつけようと思う。


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