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スピッツ歌詞考察(第75回)田舎の生活


【基本情報】

田舎の生活
作詞:草野正宗 作曲:草野正宗 編曲:長谷川智樹 with スピッツ
3分18秒

<リリース日>
1992年4月25日(ミニアルバム「オーロラになれなかった人のために」)

<収録アルバム>
オーロラになれなかった人のために(1992年4月25日リリース ミニアルバム)

<タイアップ>
フジテレビ系アニメ『ハチミツとクローバーII』最終回挿入歌(2006年)

<備考>
歌詞に描かれている田舎の風景のモデルは、岐阜県中津川市付知町の付知川流域とされる。

【MUSIC VIDEO】

【歌詞】

歌詞は下記のサイトでご確認いただけます。

【考察】

なめらかに澄んだ沢の水を ためらうこともなく流し込み
なめらかに澄んだ沢の水を汲んでは運ぶという作業を、毎日ためらうことなく行う。

懐かしく香る午後の風を ぬれた首すじに受けて笑う
懐かしさが漂う空気の中で、午後には汗でぬれた首筋に風を受けて笑みを浮かべる。

野うさぎの走り抜ける様も 笹百合光る花の姿も
夜空にまたたく星の群れも あたり前に僕の目の中に
野うさぎが走り抜ける様子も、露に濡れた笹百合が光る姿も、夜空いっぱいに輝く星の群れも、当たり前に“僕”の目の中に入ってきた。

必ず届くと信じていた幻
言葉にまみれたネガの街は続く
さよなら さよなら 窓の外の君に さよなら言わなきゃ
必ず成功すると信じていたのは幻だった。
裏と表の言葉にまみれた街での暮らしが続く。
「さよなら」
窓の外に“君”の姿を思い浮かべ、「さよなら」を言わなきゃ。

一番鶏の歌で目覚めて 彼方の山を見てあくびして
頂の白に思いはせる すべり落ちていく心のしずく
朝一番に鶏の鳴き声で目覚め、遠くの山をみてあくびをして、山頂の雪を見て思いをはせて、心が洗われる。

根野菜の泥を洗う君と 縁側に遊ぶ僕らの子供と
うつらうつら柔らかな日差し 終わることのない輪廻の上
根野菜の泥を洗う“君”と、縁側で遊ぶ“僕ら”の子供と、うとうとしそうな柔らかな日差し。
永遠に終わることのない時間。

あの日のたわごと 銀の箱につめて
さよなら さよなら ネガの街は続く
さよなら さよなら いつの日にか君とまた会えたらいいな
そんな未来を想像していたが、あれは戯言にすぎなかった。
硬い箱につめてフタをしよう。
「さよなら」
裏表のある街での暮らしが続く。
「さよなら」
いつの日かまた“君”に会えたらいいな。

主人公は田舎で暮らしていましたが、都会に出て一旗揚げて、また田舎に戻って家族と優雅な暮らしを送ろうと計画していました。
しかし都会の暮らしは想像よりも厳しいもので、自身が描いた夢は「幻」や「戯言」であったと感じるようになります。

「ネガ」とは写真の現像などでよく使われる言葉ですが、「ネガティブ」のことで、明暗や色相が実物とは反転したフィルムのことを言います。
また、電気の陰極(マイナス)の意味でもあり、よくマイナス思考の人をさします。
「ネガの街」とは、「表と裏」や「光と影」があり、つまり「本音と建前」や「理想と現実」にまみれた街だということを表現しているのではないでしょうか。

主人公は、そんな都会での暮らしに馴染めず苦しみます。
自分たちで栽培した野菜を洗ったり、縁側で遊ぶ将来生まれるであろう子供の姿を想像しては、理想的な田舎の生活を夢見ていましたが、志半ばで命を絶つことを考えています。
田舎に戻ったら結婚を考えていた“君”に、せめて「さよなら」を言わなくちゃ。
そして輪廻の上で、また“君”に会えたらいいな、と。

「死」と「生」がテーマの曲で、世界観としては「花と虫」に似ていると感じました。

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