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“アレ”に届いた話


1981→

私が野球好きになったのは、近鉄バファローズの本拠地であった藤井寺で生まれ育ったこと、阪神戦を試合開始から終了まで中継するサンテレビが映る環境にあったこと、さらに歳の離れた2人のいとこ(阪神ファンと巨人ファン)と一緒に暮らしていて、プロ野球についていろいろと教えてもらったことが大きく影響している。
そのいとこは毎年選手名鑑を買っていて、借りて読むことができたため、自分が生まれる前のプロ野球に関する知識も蓄えることができた。

私が明確に阪神ファンになったのは1981年からだ。
まだ幼くて断片的にしか当時の記憶はないが、掛布雅之が4番サード、小林繫がエースとして君臨し、真弓明信がショートを守り、前年新人王の岡田彰布がセカンド、キャッチャーには若菜嘉晴、ファーストには首位打者を獲得した藤田平がいて、規定打席には到達しなかったものの3割打者のダグ・オルトという助っ人外国人選手がいた。
オルトはこの年限りで解雇となり、なぜ3割を打つバッターをクビにするのかと、幼いながらに憤りを感じたものだ。

家には、誰が買ってきたのかわからないが、掛布のサインボールがあった。
掛布は千葉県出身で、同郷の“ミスタージャイアンツ”こと長嶋茂雄に憧れていたにもかかわわらず、“ミスタータイガース”として大阪の顔になっていた。
こうして自然と阪神ファンになった私は、阪神の帽子をかぶったり、掛布に憧れて左打ちをマネしたり、掛布のユニフォームを模したパジャマを買ってもらっては着ていた。
母親に初めて阪神百貨店に連れて行ってもらった時に買ったのは、若菜嘉晴がプロテクターをつけて捕球するポーズを決めている写真がプリントされたサインボールだったと記憶している。

1985→

阪神ファンになってからの4年間は、1981年が3位、1982年が3位、1983年が4位、1984年が4位と、強くもなく弱くもない中途半端なチームだった。
そして巨人に次いで歴史のあるチームにもかかわらず、2リーグ制になってからの優勝はたったの2回で、一度も日本一になったことがなかったため、巨人と比較して弱いチームと揶揄され続けていた。

そして迎えた1985年。
ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布、真弓明信の4人がホームランを30本以上放つなど「打」で他球団を圧倒し、球団史上初の日本一に輝いた。
中でもバースは打率.350、54本塁打、134打点で三冠王という凄まじい成績を残し、神様・仏様・バース様と呼ばれた。
当時小学4年生だった私は、当然のことながら熱狂した。
しばらくの間は、阪神の黄金時代が続くと信じて疑わなかった。

しかし翌1986年は、バースが2年連続の三冠王に輝いたにもかかわらず勝率5割で、また強くもなく弱くもない中途半端なチームに戻ってしまった。
さらに1987年は最下位となり、ここから地獄が始まる。
2002年までの16年間で、Aクラスに入ったのは1992年のたった1度。
15年間はBクラスで、しかもそのうち最下位が10度。
もう病的な弱さで、“暗黒時代”と呼ばれた。

1995→

そんな“暗黒時代”を象徴するような出来事が1995年にあった。
1991年から4年連続で打率3割以上、1993年には首位打者も獲得し、“暗黒時代”で唯一の優良助っ人野手と言えるトーマス・オマリーを1994年オフに解雇したのである。
すると翌年、同一リーグのヤクルトスワローズが獲得し、コテンパンにやられてしまう。
ヤクルトはリーグ優勝と日本一を達成し、オマリーはシーズンMVPと日本シリーズMVPに選ばれる大活躍を見せた。
日本一が決まった試合で野村克也監督の胴上げが行われ、オマリー、池山、古田らが神宮球場のグラウンドを一周する際に撮られた写真が、それはもう羨ましいったらありゃしないくらい輝いていた。
「笑顔がはじける」とはまさにこのことかと思うくらい輝いていた。
そんな写真を、阪神の選手で見たくて仕方がなかった。

“暗黒時代”に終止符が打たれたのは2003年だった。
星野仙一監督のもと、18年ぶりのリーグ優勝を果たした。
しかし、日本シリーズでは惜しくも3勝4敗で敗れ、悲願の日本一には届かなかった。
2005年にも岡田彰布監督のもとでリーグ優勝を果たすが、日本一にはなれなかった。
2014年にはシーズン2位でクライマックスシリーズから勝ち上がり、日本シリーズに進出したが、やはり力不足で敗退した。

そして前回のリーグ優勝から18年が経った今年。
岡田彰布が二度目の阪神監督に就任し、リーグ優勝、そしてクライマックスシリーズも勝ち上がり、日本シリーズに帰ってきた。

2023年11月3日。
オリックス2勝、阪神1勝から、阪神が劇的なサヨナラゲームと逆転勝利で3勝2敗と王手をかけた翌日。
私は一人カラオケがしたくなり、いつも行くカラオケボックスに足を運んだ。
しかし、満室で4組待ち。
休日の昼過ぎだと、いつもこうだ。
独り身ではない私は、朝イチでカラオケに行くなどという自由はないため、どうしてもこうなってしまう。
今日は諦めよう。

2023年11月4日。
この日は運良く、10時前に家を出ることができた。
息子が同級生のお友達と9時過ぎから公園に遊びに出かけたからだ。
幸い、空室がまだ残っており、待ち時間ナシでカラオケができた。
スピッツしばりで90分ほどカラオケを楽しみ、なんとなく「グラスホッパー」が歌いたくなった。

こっそり二人 裸で跳ねる
明日はきっとアレに届いてる
バッチリ二人 裸で跳ねる
明日はきっとアレに届いてる 疲れも知らずに
バッチリ二人 裸で跳ねる
明日はきっとアレに届いてる 輝く虫のように

岡田監督が“優勝”の隠語として使いはじめた“アレ”が登場する歌を、王手がかかっているタイミングで無意識のうちに歌った。
なんて縁起が良いのだろう。
しかし待てよ、明日“アレ”に届くということは、今日は負けか?

案の定、来年からポスティングでメジャーに行くと噂されているオリックスの絶対的エース・山本由伸に抑えられ、3勝3敗になった。
本当なら昨日カラオケに行きたかったのに。
昨日「グラスホッパー」を歌えてたら…

しかし、セ・リーグは阪神、パ・パリーグは近鉄のファンであった私にとって、もちろんバファローズと名の付くオリックスには愛着があるし、いまでもパ・リーグで一番贔屓にしている球団だ。
少年時代に熱望した阪神対近鉄の日本シリーズという夢は叶わなかったが、本拠地を神戸から大阪に移し、バファローズの名を継いだオリックスとの対戦は待ちに待った関西対決で、1964年の阪神対南海以来、実に59年ぶり。
そんな対戦が最終7戦目までもつれ込むなんて、最高の展開じゃないか。
一日でも長く野球が見たい。
どちらが勝っても嬉しい。
(オリックスは去年日本一になってるので、本当は阪神に勝ってほしいけど…)

そして迎えた2023年11月5日。
阪神タイガースが38年ぶり2度目の日本一に輝いた。
歌詞どおり、本当に昨日の明日に“アレ”に届いた。
とにかく羨ましかったヤクルト日本一の写真は1995年。
そしてスピッツが「グラスホッパー」をリリースしたのも1995年。
まさか、28年越しに“アレ”を予言していたの?(んなわけないけど)

明日はきっと“アレ”に届いてる 輝く虎のように

もうあの写真を羨む必要はなくなった。
阪神タイガース日本一、おめでとう! ありがとう!

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