自堕落な我が生活を、これから。
日曜日。
本当はnoteコンテストの課題図書を読んで、掃除と洗濯をするつもりだったのだけれど、実際私にできたのは洗濯だけだった。誰からのLINEも返さず、気付けば通知は20越え。辛うじてnoteに投稿だけはしたけれど、タイムラインに流れてきた記事は、どれひとつ読むことができなかった。
なぜか。立派な二日酔いだったからだ。頭が痛くて痛くて、会いたい人に会う気力も起こらないほど、立派な二日酔いだった。
自分でもある意味すごいと思うのだが、母を亡くしてから約4ヶ月、私は週末に呑んだくれるというルーティンを頑なに守っている。ここ1ヶ月ほどはそれが加速して、金曜日か土曜日に朝まで呑んだくれている。
それでも、二日酔いになったのは今回だけだった。体調との相談不足もあるが、とうとうやってしまったな、という気分。
なんでこうなったんだろう、と自分でも思う。母の病態が悪化してから3ヶ月ほど、平日の私はリモートワークを活用して実家で仕事をし、ほぼ毎日半日を使って母の病院に付き添った。週末はもちろん実家で過ごす。自分で言うのもなんだが、献身的な娘だったと思う。きっとそれでも充分ではなかったのだろうけど。
だから、遊びに行くなんてできなかった。体調不良にもなれなかった。
母が他界して、私の生活がそれ以前のリズムに戻ったかというと、そうではなかった。自堕落、なんて言葉がしっくりきてしまう現状。これはあの頃、自分以外を生活の軸とした反動なのだろうか。
答えは否だ。
これは自棄酒とも違う。母の死にあたって後悔はゼロではないけれど、私は私なりにやりきって母を見送った。やるべきことが見えなくなってお酒に逃げているのともまた違う。
どうやっても美談になんてならない。私はただただ呑んでいる、それだけに過ぎない。
何を言いたいのか分からなくなってしまった。
今私がしたいことは、自分の文章のアップデート。教養のエチュード賞に寄せられているたくさんの作品を読んで、私はまだまだ勉強も修練も努力も足りないと思い知った。
皆様、自身を磨いていらっしゃる。自分の文章と向き合い、推敲を重ねていらっしゃる。
私はそこに、全く到達できていない。それどころか、怠っているとまで思う。
努力したい、努力しよう、と思った。その為には、この自堕落な生活を続けるわけにはいかない。自堕落は楽しいものだけれど、進歩のあるものではない。
この記憶も、そのうちきらきらとした思い出に変わるだろう。その時にこの記憶を書き起こせるように、今私は努力をする。
そして形に残る何かを、自分で愛せる何かを、創作する。
私のnoteは決意表明ばかりだな。しかも同じような決意ばかり。有言実行と言うけれど、今のところ有言のみなのでこれからは実行の記録を残していこう。