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やきもちを焼くということ|エッセイ

 私はよくやきもちを焼く。料理ではない。たいへんな悋気持ちだという話だ。
 この間は彼氏が仕事の電話をしていて、その相手が職場の女性(電話から声が漏れ聞こえた)であったことでものすごく気分が下がった。職場の女性とどうこうなることはないと彼氏は断言しているし、私自身もそれを「そうだろうな」と思っているのに、である。そしてこの間は、早く帰ってくると言っていた日にぜんぜん帰ってこなくて連絡もなくて、心配もしたけどそれよりも嫌な記憶がよみがえってしまった。
 「悋気」 その正体は考えるだに難しい。私のだけでなく他人のもそうだろう。執着、独占欲の強さ、自己肯定感の低さ、自信のなさ、嫉妬、過去の経験、相手の振る舞い、等々、そこには数多の背景がある。


 今の彼氏は、私のお付き合い史上もっとも信用の高い人である。

 元彼はアグレッシブで外交的な人だった。その気質を活かして職場関係で2度、浮気した。お口も行動もアグレッシブだったため、2度ともすぐ私にバレた。
 その前の人はマメな人だった。ほとんど毎週私のLINEをブロックしてその都度別の女の人と遊び、その後また私とのやりとりを開始していた。
 その前の人はとても器用な人だった。私と付き合いながらいつの間にか元カノとヨリを戻していた。

 今の彼氏は超絶インドアだ。自ら遊びに赴くなんてことをするくらいなら家で寝ているだろう。もしくはポケモンを捕まえるために徘徊しているか。
 そして今の彼氏はめんどくさがりだ。浮気なんてめんどくさいの極みだろう。
 さらに今の彼氏は鶴を折るのが私よりも下手だ。それが不器用故か他の要因故かは知らないけれど。

 すなわち、今の彼氏は、歴代でもっとも信用の高い人である。
 でもきっと、私がやきもちを焼くことに、そんなのは関係ないのだ。 




 私は長女である。2歳になる頃妹が生まれた。もしかすると私の潜在意識には、母を盗られたという記憶――もとい錯覚――が生きているのかもしれない。昔からずっと、だれかにだれかをとられると思い込んでいた。2番目になることは無価値なのだと、そもそも順位を付けなくてはならないのだと、そう信じ込み実行していた。

 そんな人間関係は破綻する。それを学んだから、随分上手になったはずだった。友人関係は。
 「友人」は何人いてもいい。勿論人はそれぞれ違うけれど、色んなタイプの人と友人関係を築いていい。
 「恋人」はひとりだ。私は複数の人と恋人関係を作れるほど器用ではないから。そして相手へも、自分だけを選んでほしいと望む。
 よくよく考えるまでもなく、それってすごい重圧だ。分散と集約、どちらの負荷が高いかなんて、考えればすぐわかるだろう。

 だから私は、『恋人』という存在にひどく執着し、独占欲を強く持つ。それだけでも問題であるが、厄介なのは相手にも同程度のそれらを求めるということだ。


 恋人は自分のことを独占欲が強いと言うけれど、その独占欲を向けられたことはない。私には、それでは足りない。圧倒的に不足しているのだ。
 私はいつも満たされず、もっともっとと求め続ける。
 昔、餓鬼道を歩んでいると言われたことがあるが、言い得て妙である。
 手に入れば入るほど、更に求める。私はそういう人間だ。だから、恋人との同居がよかったことなのか、とんと自信が持てない。距離が近づいたことで余計なことを見るし、考える。

 欲どおしい人間は、最終的に欲に潰れる。欲にはエネルギーを使うのだ。だから私は、できることなら欲を手放したい。
 なのに、すきになればなるほど手放せない。

 均衡というのは、どこでどうやってだれの手で保たれるものなのだろうか。

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