隣の異世界#ショートショート #月刊撚り糸
異世界、という言葉がある。自分が今住んでいるこの世界とは別の世界のことだ。最近は、異世界転生、なんてのも流行っている。そういうことを、城戸小鳥遊(きどたかなし)は一般常識として知ってはいた。けれどもその異世界とやらがこんな近くに存在していることは、知らなかった。
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「キャベツをトマトで煮込むの? え、なにそれ、なにができるの」
藍田景子(あいだけいこ)の言葉に、小鳥遊は目を剥いた。景子の顔をまじまじと見つめるが、彼女の顔に冗談やからかいは見当たらない。あくまで真面目に、くりくりした目をきょとんと開いている。
「え、トマト缶でキャベツを……、えーっと、何て言えばいいかな」
「スープ? ポトフみたいな?」
「いや、そうじゃなくて、うーん」
説明する言葉を見つけられない小鳥遊に業を煮やしたのか、景子はふーんと呟き、明後日の方を見た。
「いいや、面白そう。任せるね」
そのままソファに身を預けてしまう彼女を見て、小鳥遊は胸のざわつきと安堵を同時に覚えた。そしてそれ以上に、続いた言葉に度肝を抜かれた。
「キャベツでトマトかー。レタスならわかるけど」
「レタス!?」
急にものすごい勢いで言葉を投げ返した小鳥遊に、彼女はぎょっとしたようだった。
「え、レタス。なによ」
「レタスのが分からん」
「えー」
レタスをトマトで煮込むのか? それは何料理だ? 小鳥遊の脳内でレタスがくるりくるりと舞いはじめ、そこに真っ赤なトマト缶が乱入した。レタスの淡い黄緑が赤に染まる。ぱりっと張った表面を、トマトが滑る。ぐつぐつと煮込まれ、くたっとなるレタス。ふにゃ、でも、しなっ、でもなく、くたっ。くたっ、と、つるん。
「おーい、たかちゃん」
「あ、うん、ごめん。とりあえず用意するわ」
とんとんとんっ。ざくざくざく。ぼこぼこぐつぐつ。くつくつくつ。音と香りが狭い空間を埋めていく。煮込み料理はある程度ほったらかしにしてもよいから、小鳥遊は洗い物を同時進行で行う。火を止めて具材に味をしみ込ませてから、大皿に取り分けた。
「へえ。予想と違う。思ったよりおかずだ。美味しいね」
「だろ」
赤いトマト。ふにゃっとしたキャベツ。あり合わせで加えた茸と豚肉。粗挽き黒胡椒。
「チーズ入れてリゾットにしてもいいぞ」
「わー、斬新だ! 美味しそう!」
唇の端に赤い色をぶら下げて、満面の笑みを浮かべる景子。煮込みを食べて口の外に色を付けるやつなんて、小鳥遊は見たことがない。それを横目に、残ったスープをごはんにかけて、小鳥遊は満足して食事を終えた。
洗い物は景子が片付けた。ざばあ、ばしゃあ、ちゃっちゃっかちゃん。ほとんど洗剤を使わない景子のやり方をはじめて見たとき、小鳥遊はなにごとかと思ったものだった。
「はい、食後のコーヒー」
ことん、と軽い音を立てて、小鳥遊の目の前に湯気の立つマグカップが置かれた。中には淡い茶色の液体。隣に置かれた景子のマグカップには、もっと色濃く赤味のある液体。
「ありがとう」
「いつも思うけど、こんな時間にコーヒー飲んでよく眠れるよね。そんな人聞いたことない」
そう言いながら、景子は小鳥遊に頭を預けて小説を開いた。なんだか小難しい題名の、色あせた表紙の小説である。仕事で疲れている日にそんな小さい字を追う人を、小鳥遊は見たことがないし、存在を聞いたこともない。
「けどもうなんか、色々慣れたわ」
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異世界、という言葉がある。自分が今住んでいるこの世界とは別の世界のことだ。最近は、異世界転生、なんてのも流行っている。そういうことを、城戸小鳥遊(きどたかなし)は一般常識として知っていた。そしてその異世界が、自分自身のすぐ隣に存在していることも、知っている。
【完】
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