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昔私は、何者かになれると思っていた|エッセイ
小学生の頃の話である。
私はたいへん内向的な性格で、思考という思考が現実世界を離れ自分の中の『論理』に集約されるという、なんとも頭でっかちな子どもであった。
得意な考え事は、「時間の流れとはすなわち?」「社会とは?」「目に見える色は本当に人類皆共通なのか?」「何が人を人たらしめるのか?」「怒りとは?」といった小難しく思われるテーマで、私は延々とそれらについて考え込み、ありとあらゆる答え(らしきもの)を編み出してきた。無論、参考文献などはない。
だから私はいつも、自分が世紀の大発見をした気持ちになっていた。この世の真理を私は見つけたんだ! と胸が踊っていた。
けれど大概、私が考えたことなどとうの昔に誰かも考えていて、教科書にはその人の出した答えが名前付きで載っていたりする。
その度にがっかりした。
生まれる時代が違えば、ここには私が載っていたかもしれないのに、と思って。
今、私は一通り勉強というものをこなして、社会に出て数年働いている。そうやって時を経て、目新しい考えに目覚めることはほとんどなくなった。どっかで聞いたことがあること、や、だれかが言っていたこと、の方が、私の話の中には多く出てくるようになった。
私は、私のあの新鮮さを懐かしく思う。知らないこと、見えないことが多かったからこそ、世界との出会いの中で脳裏にひらめいた、あの数々の考え事を。幼さの中にあった、真理との繋がりを。小さな哲学者のふりをした、ただの無垢な存在を。
あの頃の夢を見ていた私。
それが幸せだったかはさて置いて、なんと開放的だったことだろう。
大人になるってつまらないね、なんて思わなくていいように、大人になった私はあなたを見習ってみるよ。
教科書にも載らない、何者にもなれない私。
だけど私はこの宇宙で唯一、私の姿と意志と記憶と思考と運命を持った存在なのだ。
そう気づいたのは、大人になったからだよね。
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